第7話『灯籠のほむら』

―灯るは、忘れられた祈り―


高天原市の旧町に、ひとつだけ残された石段の坂がある。

夏草の伸びたその道を登ると、小さな祠と数基の石灯籠が並ぶ、静かな空間に出る。

神社でも寺でもない。戦後まもなく、地域の有志たちが手彫りで建立した無名戦没者の慰霊所だった。


ある夏の午後、蝉の声が降り注ぐ中、宮本遥はその場所を訪れていた。

理由は、祖父のひとことだった。


「おまえのKOTOHAで、あそこにある“石の声”を聞いてくれんかの」


石の声――。

それは、遥がまだKOTOHAを開発しはじめたころ、冗談めかして祖父に言われた言葉だった。

“石にすら思いがあるのなら、本物だな”と。

だが今、それを本気で頼まれた。

そう思うと、遥は気が引き締まるような、不思議な重みを感じた。


石段を登り、祠の前に立つ。風に乗って、草いきれと線香の匂いが混ざる。

苔むした灯籠のひとつにKOTOHAのセンサーパッチをそっと貼る。

長年雨風に晒されたその表面は、ひび割れていたが、どこか柔らかくもあった。


しばらくして、骨伝導イヤホンに“声”が届いた。


――名がない。

――刻まれていない。けれど、ここにいる。

――忘れられぬよう、灯を求めて、立ち尽くしている。


低く、深い響き。

男とも女ともつかぬその声は、記憶の奥底から語りかけるようだった。


遥はしばらく言葉が出なかった。

この石灯籠は、戦後すぐの時代、名前も遺族もわからぬまま“戻らなかった誰か”を祀るために建てられた。

碑にはこうある。


『名なき者の霊に、眠りと光を』

昭和二十三年 八月


だが、灯籠の内部、かつて灯が入っていた空洞には、もう電球も蝋燭もない。

空っぽのまま、灯りを失って久しい。


――灯してほしい。

――夜のなかで、忘れられたくない。


遥は手帳に、灯籠の音声を逐一書き留めた。

そしてその足で、科学部に向かう。

協力を仰いだのは、ソーラー式の小型LED灯籠を試作していた後輩・間宮。

彼女の手によって、かつて蝋燭が灯っていた空洞に収まる、静かな明かりが用意された。


その夜、遥は祖父とともに再び慰霊所を訪れた。

彼女がスイッチを入れると、LEDの淡い光が石灯籠の中でゆっくりと灯る。

人工的な光ではあったが、どこか柔らかく、呼吸するように脈打って見えた。


風が止まり、蝉が鳴きやむ。

そして、KOTOHAが最後の“声”を読み上げた。


――ありがとう。

――灯は、いのちに似ている。

――誰かの手で、また照らされた。

――わたしは、ここにいていい。


祖父は帽子を取って、頭を下げた。

遥も黙って手を合わせた。

その瞬間、遠くの夜空で小さな光が揺れた。

流星だったかもしれない。いや、気のせいかもしれない。

けれど、確かに、ひとつの“魂”がそっと昇っていったような、そんな気がした。


灯籠の光は、それから毎晩、日没とともに静かに灯るようになった。

近所の人々が時折立ち寄り、線香をあげるようになり、昔話をひとつふたつ、置いていくようになった。


KOTOHAが最後に記録した言葉を、遥はそっと画面に残す。


灯籠:石造。建立75年。内部空洞復元、照明装着完了。

最終出力:「わたしは、ここにいていい。」


忘れられた名前にも、灯されるべき“ほむら”がある。

その光は、かつて誰かの胸にともった希望であり、祈りであり、命の痕跡なのだ。


遥は今日もまた、名もなき“声”に、そっと耳を澄ませている。

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