【Story 7】令嬢の目利き

 生まれて初めて、首を絞められた。

 首に無骨な指が食い込み、喉が潰される。喉を掴む手にどれだけ爪を立てても、私と同い年ぐらいであろう男は眉一つ動かすことはなかった。

 辛うじて見えた窓から、門番が何事もなく立っている姿が見えた。誰にも気づかれずここまで来たということは、かなりの手練れだろう。声を上げるより私が殺される方が速いに決まっている。目的は何だろうか。我が家は貴族ではあるが、そこまで大きな力は持っていない。当主である父ではなく、ただの娘である私のところに来た理由が、どうしてもわからなかった。

 私は壁に押し付けられながら、頭を動かし、必死に震えを隠そうとした。


「アンタが聖女だな」

「ちが、ちがいますっ」

「しらばっくれるんじゃねー。あの学園に聖女がいることは掴んでんだよ。手袋で隠しているが、手に痣が――、」


 男は爪を立てる私の右手を強く掴み、嵌めていた白い手袋を乱暴に引き抜いた。男の目が大きく見開かれ、手から力が抜ける。私は大きく咳き込んだ。暫く固まった男は、もう片方の手袋も引き抜くと、素っ頓狂な声を上げた。


「嘘だろ? アンタが一番美人なのに?」

「――は、い?」


 膝を突いた私は喉を押さえながら目を瞬かせた。頭の中に並べていた私が襲われる理由が全てどこかへと飛んでいく。男は眉を顰めしゃがみ込み、私に向かって人差し指を向けた。


「あの学園で一番美人なのがアンタだった。つまりアンタが聖女だろ」

「顔は、関係ないのでは……?」

「貴族のお宝や遺跡の秘宝を散々盗んできた俺の審美眼が狂っている訳ねーだろうが」


 この男は一体何を言っているのだろうか。「聖女と美術品を一緒にしないで下さい」という言葉を、私はどうにか飲み込んだ。男は苛立たし気に頭を掻き、ふと動きを止めた。


「……もしかして、あの護衛まみれだった地味女が聖女か? は?」

「『地味女』ではございませんが、王家の護衛に守られていらっしゃるのが聖女様ですね……?」

「神ブス専じゃねーか。あー、やる気失くした」

「不敬です……」


 大きく肩を落とした男から、私はゆっくりと距離を取った。男は私が距離を取ろうが全く気にする様子は見せなかった。それどころか大きなため息を吐くと、顔を上げて私を見つめた。


「はー……。首絞めて悪かったな。また来るわ」

「なぜ!?」

「目の保養」


 当然のように放たれた言葉に、私はらしくもなく口を開けた。男は「やっぱ美人は放心しても美人だな」と頷き、踵を返した。


「じゃあなお嬢様。今度、黒色のドレスでも着てくれ。絶対似合う」


 親指を上げた後、窓を開けベランダから飛び降りた男に、私は座り込んだまま立ち上がることすらできなかった。





 幸いなことに、首に跡は残らなかった。故に――良いか悪いかはわからないが――、家の者が私の部屋に侵入した男に気付くことはなかった。私も、家の者に言わなかった。下手にあの男のことを言いふらせば、私や家に報復が来る可能性がある。それだけは避けなければならない。

 本を抱えながら学園の廊下を歩いていると、向かい側からやって来た警備兵が私の前で足を止めた。首を傾げる私の上から降ってきたのは、聞き覚えのある軽薄な声だった。


「よお、お嬢様。白い制服も似合うな」

「なぜ普通に学園に侵入してらっしゃるんです!?」

「仕事だからな」


 先日の粗暴な様子とは打って変わり、まるで「落とし物を拾い届けました」とでも言うような完璧な警備兵に擬態した男に、私は大きなため息を吐いた。


「なぜ私のところに……」

「美人でも見てねえとやってらんねぇよ。聞いてくれ、護衛が硬すぎて地味女に近寄れもしねぇんだ。王家の護衛舐めてたわ」


 完璧な警備兵の姿から飛び出る不敬罪の塊に、私は額に手を当てた。


「流石、騎士団ですね……」

「マジで仕事になんねぇ。しかも同時に仕事を受けた奴ら全員捕まったんだぜ? 俺も降りようかな」

「是非そうしてください」


 食い気味に言った私の言葉に、男は軽く肩を竦めた。


「いやでもこれ達成できたら一生分の金が手に入んだよ。魅力的だろ?」


 私が大きくため息を吐くと、何を勘違いしたのか男が急に真剣な声を出した。


「……アンタは働かなくていい方の人間だったな。男が貢ぐわ」

「されたことありませんわ……」


 私が力なく首を横に振ると、完璧な警備兵の姿が大きく崩れた。


「はあ!? この学園の奴ら目ぇ節穴じゃねーの!?」

「貴方のその自信はどこから来るんですか……」


 何か言おうと口を開いた男が、突然、眉間にしわを寄せた。私は首を傾げ、周りを見渡した。学園の廊下には、私たち以外の姿はない。一体、何があったのだろうか?


「そろそろ本物が来るな。じゃあなお嬢様。白もいいがアンタは黒だ。絶対黒だ。黒を着ろ」


 矢継ぎ早にそう言った男は、私に一礼して足早に廊下を歩き去って行った。

 男の姿が廊下の角に消えた瞬間、反対の角から本物の警備兵が現れた。


「……ふざけていますが、実力は本物なんですよね」


 再び額に手を当てた私に、警備兵が慌てて近寄ってくる。「どうかされましたか」の言葉に私は片手を振って問題ないことを伝えると、図書室に向かうため廊下を歩き始めた。





 きらびやかなシャンデリアの下で歓談という名の勢力争いをする同級生たちに嫌気がさす。手に持ったシャンパンを口に流し込み、こみ上げてくるため息を飲み込んだ。

 せっかくドレスとアクセサリーを新調したというのに、こんな時まで気を抜けないとは。家でドレスと着た時が一番心が躍る瞬間だったというのは、心底もったいない。

 挨拶をしなければいけない人にはもう挨拶を済ませた。後は、ただ礼節を損ねることなく、創立記念パーティが終わるのを待つだけだ。

 壁の花と化そうと、さりげなく壁際に寄る。ただ、あまり壁際に突っ立ったままでは印象が悪い。暫く休憩してから、誰かに話しかけに行かなければならないだろう。

 今後、関係を作っていきたい人を頭の中でリストアップしていると、真横からどこか力の入った男の声が聞こえて来た。


「俺の目に狂いはなかった。黒じゃなくて紺だが、めちゃくちゃ似合ってる。クッソ美人。最高」


 顔を横に向けると、また警備の格好をしたあの男が私に目を向けることなく、パーティ会場を見たまま後ろ手を組んだまま立っていた。私もパーティ会場に目を向けた。口にシャンパングラスを寄せて、口元を隠す。


「……また、あなたですか」


 「まだ諦めていなかったのですか」と息を吐くと、それを読み取ったかのように男が疲れたような声を出した。


「これでダメなら降りるつもりだが、もうダメだなこれ」

「それは、なによりです」


 私と男の視線の先には、淡い水色のドレスを着た聖女の姿があった。その周囲は甲冑を着た騎士たちと、聖女と関係を保とうという人々の群れで完全に覆われている。私がよくする貼り付けたような笑みではなく、自然な柔らかい笑みを浮かべたまま一人一人に話しかける聖女を見て、私は彼女が聖女たる由縁を否応なしに感じ取っていた。

 隣に立つ男は、一つもわかっていないようだが。


「というかアンタを一人にする男共どうなってんだ? あれか? 美人過ぎて近寄れねぇのか? 根性なしだな」

「……前もお伝えいたしましたが、男性に言い寄られたことなど一度もありません。貴方の審美眼がおかしいのでは?」

「俺の目が狂ってる訳ねぇだろうが」


 男が横目で私を見て、小さく頷いた。その理由をわかってしまった自分に、私はまたシャンパンを口にした。グラスには、もう中身が入っていなかった。


「つかよ、いい仕事持ってねぇ? 最近つまんなくてさ」

「なぜ私に言うのですか……」

「そりゃ美人とのつながりは保っておきたいだろうが」

「何なんですか本当に……」


 私は片手を上げ、近くにいたウエイターを呼び寄せた。空になったグラスを渡し、新しいシャンパンを貰う。泡がはじけるグラスを軽く回し、果実の香りを楽しむ。

 男の言うことを信じるなら、男の他に聖女に近寄った人間はすでに全員捕まったらしい。というのに、男は学園に二度も侵入し、ばれないどころか私に気安く話しかけて来る。実力は確かであることは間違いない。性格を無視すれば、の話だが。

 私は、ちらりと男に視線を向けた。


「……護衛は、お得意で?」

「つまんねぇ仕事だな。却下」

「私の護衛ですが」


 男が私を見た。その目は、獲物を狙う獣のように鋭い。狙い通り食いついた男に、私は視線を逸らしてまたシャンパングラスを回した。


「代々、我が家に使えて頂いている護衛の方のご家族が体調を崩されたようで、しばらく暇を渡したのです。彼が戻るまでの間の護衛を探しているのですが」

「つまりなんだ。アンタの側にいられるってことか」


 率直すぎる男の言葉に、私は思わずため息を吐いた。


「そうなりますが、言い方が嫌ですわ……」

「やるしかねえだろそんなもん。やる気しかねぇ」


 男は食い気味にそう言った。そうだというのに、警備の皮はまだ剝がれていない。本当に、実力だけは確かなようだ。


「書類審査もございますが」

「まかせろ。偽装なら慣れている」

「そうなんですの……」


 シャンパンを口にした私は、もう一度男に視線を向けた。


「貴方がよろしいのなら、後日、正面から我が家にいらしてください。『私の友人の紹介です』と言えば通してもらえるでしょう。後はご自由に辻褄を合わせてください」

「ハッ、朝飯前だな」


 鼻で笑った男に私は小さく息を吐いた。

 男は、自分の目利きに絶対の自信を持っている。持ち過ぎていると言っても過言ではない。私の目利きは一体どの程度のものなのだろうか。

 満足げな男に私は軽く頭を振って、私は頭の中のリストを消化するために人の群れに向かって歩き始めた。

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