第九話 図書館の青

 夜の図書館は、ひどく静かだった。街灯に照らされた外壁は古びていて、しかしどこか、記憶の中の場所のように懐かしい。


「ここが……安斎先輩が通ってた場所」


 凛音。いや、東条凛は、かすかに声を震わせてつぶやいた。


「行こう」

 悠真が頷き、野々村とともに、重たい木製の扉を押し開けた。


 中は無人だった。警備員の姿もない。


「この時間、2階の閲覧室は閉まってる。でも、安斎先輩は“青の書架”に来るって。」

 凛が先を歩き、案内するように図書館の奥へと進む。


 そして、彼女は立ち止まった。古い図鑑や文芸書が並ぶ、図書館の最奥。


 そこに、“青色の背表紙だけを並べた”棚があった。


「これ、わざと?」


「いや、偶然じゃない」


 悠真が目を細め、棚の一冊を引き抜いた。その瞬間、背後の柱の影から、誰かの足音が近づいてきた。


「よく来たな」


 現れたのは、安斎翔平。黒縁メガネに、大学のロゴ入りパーカー。かつての新聞部部長だった男は、思ったよりも若く、疲れて見えた。


「君が……凛音か」

 彼は、凛をまっすぐ見つめた。

「そして、透の“遺志”を継いでるってわけだな」


 凛が、軽く頷く。


「青い名簿を探してるんですね」

 野々村が問いかけた。


 安斎はうなずき、手にしていた文庫を棚に差し込む。カチャ、と小さな音がして、棚の一部が少しだけ押し戻された。


「隠し棚!」


「透と俺とで作った、いわば“裏の書架”だ。校内の不正、教師の裏帳簿、教育委員会の政治的圧力。そういう情報をこっそり記録していた。……でも、透は“それ以上”のことを知ってしまった」


「それ以上?」


 安斎がポケットから一冊の青いファイルを取り出す。中には、手書きのリストが綴じられていた。


「カモ」と署名された投稿、全36件。投稿の時間、IPの末尾、そして、対応する“校内事件”の詳細。


「これ……まさか」


「そうだ。これが、“カモのログ”だ」


「全部……内部の犯行記録だよ。誰かが、校内の不正や問題を、“あえて”ネットで暴露することで、誰かを誘導しようとしていた。狙ったターゲットを追い詰める“炎上商法”だよ」


「つまり……」


「“カモ”は正義なんかじゃない。これは……一種の、実験だった」


「実験?」

 凛が問う。


安斎の口元が、わずかに引きつった。


「SNSの匿名性を使って、人間の行動がどう変化するか。 “告発”に見せかけた、“世論操作”のテスト。透はそれを、気づいたんだ。だから、“沈んだ”」


「そんな……!」


 悠真は拳を握った。


「じゃあ、“透を消したのは”……」


 その時だった。カシャ、と何かが鳴った。三人が振り返ると、図書館の影。書架の隙間に、誰かがいた。


「聞きすぎだよ、みんな」


 その声は、どこか甘く、冷たい。


 女の声だった。


「東条 凛。やっぱり君が、“最後のピース”だったんだね」


 姿を見せたのは、 “生徒会長”――若宮すずか。


 彼女の持つスマホの画面には、「No.367 カモ投稿予約完了」の表示。


「“次のターゲット”は、あなたよ。凛音」



「正義を求めていたけれど、結局、何が正しいのか分からなくなっていた。でも、今は分かる気がする。自分にとって大切なものを守ることが、最も正しいことなんだって」

 凛は、心の中で何かが解き放たれたような感覚を覚えた。過去と向き合い、悩んできた時間が、今、ようやく自分の力になったことを感じる。


「透、私はようやく前に進めるよ」

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