せめて、暖かに
@oshiruko150en
ぺちっ
それはまるで、冷ややっこで殴られたかのような感覚だった。
私の目の前では、男が冷えピタを振り回しながら、何やら叫んでいる。
思い出すのは父の面影。父は、豆腐が嫌いであった。あれは小学二年の時だっただろうか。曾祖父の三回忌。親戚との宴会のことである。
食卓には様々な料理が並び、中々行われない乾杯に、私はしびれを切らそうとしていた。その時、
「冷ややっこじゃあねえかぁ!」
私は一瞬、それが父の声であることに気づかなかった。いつもあんなに穏やかで、母の尻に敷かれている父が、そのような声を出すことができるとは、到底思えなかったからだ。
父は冷ややっこの入った皿に腕を伸ばしたかと思うと、運動会の玉入れで、玉を数える時にするようにして、冷ややっこを掴んでは、宙に向かって放り投げた。
私は茫然としていた。周囲では、父の親戚が「しまった」という顔をしている。私は頭上から迫りくる「それ」に、対応することができなかった。
私の処理落ちした頭を冷やすようにして、「それ」は私の右頬に襲い掛かってきた。
その後、正気に戻った父が、母と一緒に親戚に謝り倒している姿を見て、私は、未知の感覚を味わったのだった。
もう二度と、あの時の感覚を味わうことは、ないと思っていたのに。私は今再び、右頬に「それ」を感じていた。
「俺は誘拐犯だ!強盗じゃない!」
ここは、私の家の近所にあるドラッグストア「松山†刺激†」。私は胃薬を買いに来ていた。この男は突然店に入ってきたかと思うと、棚に並んだ冷えピタの梱包を丁寧に開封し、私に向かってそれを振り下ろした。
「お前は人質だ!ほら!」
私のおでこに冷えピタを貼り付けながら、彼は言った。彼は私の腕を強引に引っ張り、柔道の技をかけるかのようにして、私を持ち上げた。
「何をしているんですか!?」
店員が数人ほど慌てて駆けつけてくる。
「俺は誘拐犯だ!強盗じゃない!」
彼は再びその台詞を叫び、素早い身のこなしで店員の腹に蹴りを浴びせる。
一人、二人、三人。彼は韋駄天三人を蹴り伏せた。メロスかよ。と思った。
勢いそのまま彼は駆け出し、駐車場に停めてあった一台の車に私を押し込み、車を発進させた。
冷えピタのおかげだろうか。ようやく頭がすっきりし始めた。
「何するんですか!?」
「いや遅えよ!もっとあるだろタイミング!」
男は激怒した。
「なんで冷えピタなんですか!冷えピタ嫌いなんですか!?」
「そこじゃねえだろ!後なんでだよ!嫌いじゃねえよ!」
それが彼との出会いであり、あの長い長い三日間の、始まりであった。
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