星屑に触れる

@ekumaru0124

憧憬

「いつもの小説が読みたいの」


お嬢様はギシギシと鳴る木製の椅子に腰かけ、私に向かって言う。


「ルーが読んでくれるのがいいわ!」

「もちろんです、すぐに」


ふふふと笑いながら手元の紅茶を飲む姿はとても愛らしい。この土地名産の茶葉は香り高く私も好きで愛飲している。どうやら3代前の領主から続いている名産品らしいが…「まだー?」と、お姫様が急かしてらっしゃる。


茶色の布張りの装丁は読み古され、ざらざらとしつつも、しなやかにその中身の重みを受け止めている。部屋に据え付けられた大きな本棚___お嬢様にはまだ届かない段だな___から引き出しても、ほとんど毎日読んでいるからか、ホコリは落ちなかった。何度も読んだ本だ。お嬢様は手元に来たその本に半ば飛びつくようにして表紙を開く。


「ルー、はやく!」


私はお嬢様のテーブルの斜め向かい、軋む椅子を引き出し座った。椅子と同じように、この図書室の歴史も重ねられたものなのだろう。全体は大きく立派なお屋敷ではあるが、この部屋だけはどこか過去の空気を残すように、それでいて衰えないと意固地に主張するように、紙の匂いと本たちから圧迫感を感じられた。私は、私たちはそんな図書室が大好きで、お屋敷の一番端の寒い部屋であるとわかっているのに、足しげく通っているのだろう。


「その昔、ある冒険家は言いました。『その旅路の果てにあるものは、青く輝く流星なのだ』と」


お嬢様が好きな冒険小説の書き出しだ。何度も読んで暗唱さえできるが、曰く、「そういうのはちがう!」ので、しっかりと文字を追うように読んでいく。

装丁こそ古ぼけているが、中身は未だ健在で、挿絵には鮮やかな色彩が施されている。なかでも目を惹くのは青。小説のテーマとも言える色だ。青と言っても単一の青ではない。水色に近い青もあれば、濃紺のような青もある。それらが彩る彼らの冒険にお嬢様は、あるいは私も、読む度に夢中になってしまうのだった。


淹れた紅茶も飲み干して、カップも冷えた頃、冒険小説は一区切りを迎えた。この小説はまだ、お嬢様には長いのだ。一息入れようと読むのをやめる。


「ルー、どうしたの?もう少し聞きたいわ?」

「…日も落ちてまいりました、今日は終わりにしましょう。もうじきお食事もできます」

「ええ!じゃあルー、寝る前に続きを読んでね?」

「はい、眠るまでお付き合いいたします」


口では言うが、まだ納得しかねる様子のお嬢様の手元から、冒険小説を取り上げた。いつものやり取り。今日は少しお嬢様のもう少しの気持ちを強く感じたような気がするが…。本を元の棚にしまうと、連れ立って部屋を出た。


「ねえルー、私、冒険小説の世界にいってみたいの」


夕食から戻ると、お嬢様はそんなことを言いだした。


「危険です、行かせられません!」


つい口から出たのはそんな言葉だった。行けるわけも無いのに、私は。

だから領主様に過保護などと言われてしまうのだろうか。


「ルーがいるじゃない!せんとうしつじ?っていうんでしょ?強いのよね?」

「確かに私は戦闘執事として訓練も受けています。その辺の盗賊などに引けはとらないでしょうが…」


大恩ある領主様から拝命した戦闘執事。お嬢様の身を守り、ふりかかる厄災すべてを剣で以て切り払うこと。これがその領主様から授かった命令であり、私の命のありかただ。だからこそ、


「守り切れないかもしれない、知識も経験も無い場へお嬢様をお連れすることはできないのです」

「冒険小説に全部書いてあるじゃない!」

「それでも、です!」

「もう!」


しかし私の脳裏には、冒険小説の「青」が色濃く過る。あの世界にいってみたい、か。考えたこともなかった。もしいけるのなら、行ったとしたら…。ベッドに入りすっかり本を読んでもらう準備が済んだお嬢様の元へ、夢想しながら冒険小説を運ぶ。重みは感じず、表紙のざらつきだけが印象的だった。


「さあルー、続きよ!」

「はい、では…」


わたしは小説を開く。開いたのは続きのページ。ではなかった。

一面青に染まる、幻想的なページ。

主人公たちが旅の果てに行き着いた青の流星が駆ける星空の世界を表す見開きだった。ふんだんに使われた青だけでなく、流星には連れ添うように赤の流星も尾を引いている。紺のカーテンに真珠をばらまいたような星空は明滅しているようで、それでいて目が吸い込まれる。その下には花弁が青く輝くネモフィラが咲き乱れ、空の色を蓄えながら吐き出しているようだ。静止画であるはずのそれは、いまにも星空から吹く鮮やかな風を受け、なびかんとしているように錯覚さえさせた。


見入っているのは隣のお嬢様も同じようで、私はページに目を戻す。


「私も、いってみたいです、お嬢様」



赤く燃える矢が窓のそばを通過したのは、それを口にするのとほぼ同時だった。


何者かが館の扉を大きな丸太で突き破ったのだろう、2階のこの部屋にも届く轟音が鳴った。続いて下人たちの叫び声と、剣戟が重なる。窓の外は月明りではありえない赤さで照らされていた。


「ルー、何が起きたの…?」


お嬢様は状況を把握できないでいるが、恐ろしいことがおきていることは察知したのか手が震え、顔も白く見える。


「ご安心を、私が守ります」


それだけ言うと、ベッドのそばのランプに火をつけ、部屋の隅にある剣を手に取り、お嬢様をベッドから抱き起した。

部屋の壁に耳を当て、戦況を探る。戦闘執事はこうした戦況把握もおしえこまれているからこそ、戦闘執事なのだ。胸元のブローチに触れると、さらに深呼吸をして敵の足音に神経を集中させる。


表には6人、こちらの部屋の窓際には4人、中に侵入し暴れているのが5人…!

館の住民に対して敵の数が多すぎる、これでは戦っても守り切れないだろう。選べるのは、脱走だ。迷ってはいられない。


「お嬢様、お屋敷を今すぐ出ましょう!」


言うや否や、お嬢様の手を取り部屋の戸とは反対にある本棚を引きずり倒した。


「ここから地下まで通路が続いています、早くここから!」


隠し通路。領主様がいざというときのために教えてくれていた通路だった。火の手が回りきる前に、屋敷の裏手まで回れるはずだ。裏手までは索敵できていないが、何がいても、切れば済む。私は戦闘の覚悟を改めて固めると、お嬢様の手を引いた。しかし。


「ルー、お父様は?…お父様は一緒じゃないの!?」


お嬢様のヘーゼルの瞳が、私の持つランプの灯に照らされ、部屋の明かりと薄暗い隠し通路のはざまで揺れ輝いている。それは動揺なのか、父を助けてくれないという不信なのか。私には動揺であるとわかっている、わかっているはずなのにここまで苦々しくその瞳の揺れに心を締め付けられるのは、この後言うべきことが決まっているからだ。


「領主様はきっと大丈夫です。領主様の部屋にも同じように隠し通路があると伺っています。今はお嬢様、ご自分の身をお守りください」


―――無論、嘘だ。そんな話は聞いたこともなかった。

それでも、続ける。


「私はお嬢様の戦闘執事です。なにがあってもお嬢様をお守りします。領主様もそれを望まれているのです。ですから」


手を差し出した。おずおずと差し出される手に、出会った日の姿を重ね、瞬間罪悪感があふれるが、押し込める。留まってはいられないし、助けにも、いけないのだ。

お嬢様の手を優しくつかむと、地下への隠し階段を駆け下りる。もしこの通路が知られていて、逆から敵が来ても対応できるように、お嬢様にはピタリと後ろについてもらった。歩幅も速度も合わせるように、今出せる最大の速度で通路を進んでいく。


冷たく暗い通路は窓も、もちろん明かりもない。手元の頼りないランプを掲げて進んでいく。屋敷からは未だ剣戟や家財をめちゃくちゃにする音が聞こえてくる。みんな私によくしてくれた人たちだ。お嬢様を助けるという使命がなかったら、そこまで考えてしまったところで頭を振った。今私は何を考えた…?暗く冷徹な通路は思考までも蝕んでいるようだった。それでも進む。後戻りはもうできない。


「お嬢様、見えました、出口です!」


無限にも思える通路の旅が終わる。通路の最後にあったのは木製の戸だ。降りてきた角度と地理的に考えれば、表からは井戸の裏手にあるツタがうっそうとしていたあたりだろうか。戸を調べると、簡易な鍵で外からは開かないようになっているだけだった。これなら出られる。

が、安堵しない。敵も馬鹿ではないだろう、領主に娘がいることくらいは調べてきているはずだ。それに家を燃やすという徹底ぶり。金ではなく命が狙いなのは明白だ。私は油断なく、戸の向こう側を再度、聴いた。


「お嬢様、外にまだ敵が何人かいます。ここに隠れていてください。片づけたら戻ってまいりますので、どうか、出られませんように!」


ランプを置くと、戸をこじ開け飛び出す。敵は4人、幸いこちらを見ていない。これなら、

―――8秒でカタが付く。



【お嬢様視点】


物心つたときにはもうお母様はいなかった。

お父様は私をいつも甘やかし、大事に大事に育ててくれたと思う。

6歳の時、野盗に襲われかけたところを救ってくれた商人の伝手でルーを迎え入れてくれたのも、記憶に新しい。

はじめは大きい男の人が怖くて怖くて仕方がなかったけれど、一見冷たそうでまっすぐな性格や、不器用なほど実直な行動、言葉の端々からにじみ出るお父様への敬意やお屋敷の人への態度は、私が4年で折れて懐くのに十分すぎる理由になった。

それからルーは、私に文字の読み方や礼儀を教えて、いずれ領主になるかもしれないのだからと世話を焼いてくれる日々が続いた。本を読む習慣をつけてくれたのはルーだ。でも私はルーに読んでもらうのが好きだったから、甘えていた。


今日だって、そんな温かくて優しい日が続くと思っていた。

それなのに。


今、私は、愛して育ててくれたお父様だけじゃない、食事の世話をしてくれるゲイルや、ご飯を美味しく作ってくれてつまみ食いをさせてくれるミザリーおばさん、その旦那さんで頼りになる馬飼いのダンさん、メイドのメアリやジェーン、ほかにも私の大好きな人が沢山暮らすお屋敷が、襲われ燃やされるのを見捨てて、ルーと逃げようとしてる。

正しいのかな?ほんとかな?お父様は逃げられているのかな?


私にはなにもわからない、それだけがわかることで、それが悔しくて悲しくて、それどころじゃないのに自分でいっぱいなのが情けなくて、今までに見たことが無い顔で逃げるのを助けてくれるルーに圧倒されたまま、地下通路を進んできてしまった。

履物もなくて、地下通路は冷たかった、あまりにもたいらで、土踏まずが傷んだ。でもそれよりも、心が喚いて止まらなかった。わたしは、ルーは、お父様は、どれを軸に考えたらいいんだろう。


そうこうしてるうちに出口に着いてしまった。ルーは隠れてろって言ったのかな?多分そう。私を死なせないために、こうしてくれていることだけは、その姿と必死さと、これまでの彼が教えてくれていた。なんとか心を押しとどめられるだけ押しとどめて、ルーが無事に済ませるのをかたずを呑んで見た。そして私は、驚愕した。


ルーが飛び出していった先で行われたそれは、本で読んだり、話に聞いたりする「戦闘」とは程遠いものだったからだ。


ルーの持つ剣は、らんらんと輝く月夜と、今も屋敷を焼く業火に照らされ、赤と青に輝いている。飛び上がり振り下ろすたび光を跳ね返す彼の剣閃は、冒険小説の流星のように流れ煌めき、敵をうちたおしてゆく。一方的すぎる戦いとも言えない何かは、10も数えないうちに終わっていた。こんなに強かったなんて。


済ませた後、ルーは少し息を荒らげていた様子だったが、剣についた血を振り払い、ブローチに軽く触れると、こともなげに近寄ってくるのが見えた。


ああ、ルーって、つよかったんだ。よかった。じゃあ、それなら。


ここで私の記憶は一旦終わっている。


【ルー視点】

剣の柄に貼られた細皮は汗で手に馴染んで食いついている。一振りするごとに剣が伝えてくる重みが心地いい。お嬢様の視線を感じるが無事ならそれでいい。今は私のやれる事をやるまでだ。


一気呵成に飛び出してきた野盗達を両手で以てまずはなぎ払い牽制すると、私は高く飛び出した。ややもすれば武器を投げられ狙われる__その前に切り捨てれば良い。目を白黒させた野盗が動けずにいる。

そのままの勢いで流れ込むように切り捨てた。

3人目、4人目とかかってくるが物の数ではない。どうやらこちらに回っていたのは余りだったようで、覚悟ほど苦戦は強いられなかった。

私は剣を振り払う。激しい動悸がするが構わない。これで済んだ。


振り返るとお嬢様の姿が見える。無事で安心するが、すぐさまそれは焦りになった。お嬢様がゆっくりと倒れていくではないか。戦闘よりも早く走った私は、お嬢様が気を失っているだけであることを確認し、抱き上げて、裏の森へ駆け出した。


私はお嬢様を抱えて南を目指す。

―――森で迷ったらまっすぐ南。

それが領主様の口癖だった。森の話が出る度に口にされたそれは、迷い人に対する屋敷への案内ではない。娘が追われたときのための、森へ逃げたときのための教えだったのだ。


雨が降り出していた。大粒の冷たい雨はひどく体力を奪う。私は着ていたなめし皮の外套をお嬢様にかぶせると、また走った。体力が続く限り、どこまでも。


それが私の、使命なのだから。


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