33. 一進一退

 三月半ばに終える筈だったジャーンシー城制圧は、ローズを大いに手こずらせ、四月三日にようやく終わりを迎えた。

 これまで侵入を許したことのない宮殿にイギリス兵がなだれ込み、すぐさま制圧が完了した。

 ローズは王妃ラクシュミーを捕縛するよう命じ、リアムも宮殿の隅々を歩いて回った。昨日と今日の戦闘にも、ラクシュミーが参加していると報告があった。この城のどこかにいるはずなのに、姿がない。

 城が落ちることを悟ったラクシュミーが、絞首台を拒んでとうに儚んだのか、というリアムの不安はすぐさま打ち消された。

「ハーヴェイ殿!」

 公謁殿ディーワーネ・アーム近くにいたリアムは、リスターに馬上から呼びかけられた。

「ラクシュミー王妃が見つかったそうです。閣下が検分願いたいと」

「すぐに向かいます」

 適当な馬を借り受けて、ジャーンシー城の中庭まで駆け抜けると、本陣代わりの天幕が張られている。中に入ると、中央に赤いサリーをまとった女が両手を縛られ、座らされていた。

「城内のシヴァ寺院にいた娘だそうだ。年頃も背格好も合致する。人相も斥候の報告通りだ。不審な点はあるか?」

 ローズに尋ねられ、リアムはラクシュミーと思しき娘に近づく。娘は口元をサリーで覆い隠していたが、その両目は激しい怒りを湛え、威嚇するように睨みつけてくる。

「……よく似ていますが、別人です」

 斥候がラクシュミー本人と見紛うのも無理はない。それくらい似ていた。だが、この娘が本物なら、リアムに無関心を貫くことは難しいだろう。この娘は、リアムを知らないのだ。

 ローズが手を振って、娘を捕らえておくように命じた。娘が「私が王妃だ! 疑うのか!?」と喚き、暴れようとする。兵が娘を押さえつけ、天幕から引きずり出してゆく。それと入れ替わりに、別の斥候がやって来た。

「閣下! ジャーンシー城より北へ延びる街道で、イギリス兵の遺体を発見しました! 損傷を見るに殺害後一日か二日経過しており、賊に襲われた模様です!」

 山中には賊もいると聞いてはいるが、ジャーンシー陥落前後に、となると妙に示唆的だ。反乱軍の残党か、もしくはラクシュミー王妃の一行の仕業である可能性が高い。この街道の先にはクーンチ砦とカールピー砦がある。

 恐らくそこに逃げ込んだのではないか、と斥候を差し向けて見れば案の定、軍勢が待機してイギリス軍を待ちかまえていた。

 その中に、ラクシュミーらしき人物はいないという。ただ、彼女の真紅のサリー姿はイギリス側に鮮烈な印象を与えており、もしラクシュミーが裏をかいて男装しているならば、見過ごした可能性はある。

「城が落ちればあるいは、と思ったが……なかなかしぶとい娘だな」

 ローズの口調は忌々しげだったが、その目は強敵を前に意気軒昂となった戦士そのものだ。病の影も連戦の疲れも見当たらなかった。

「こんなに長引くとは予想外でしたね」

 ロウの声にも呆れが混ざっていた。この頃のローズは自ら歩くこともままならず、担架で運ばれている。

 不思議なことに身体が不自由になるほどに、ローズの勘が研ぎ澄まされていくのが、側にいるリアムにもよく分かる。ラクシュミーを人心を掴むのが上手いと評していたが、ローズもまた従える将兵の機微を把握することに長けている。

 ジャーンシー陥落翌日に開いた閲兵式と褒賞の授与は、ローズ自らが無理を押し、先頭に立って行った。

 長引く行軍に嫌気が差していた兵たちだったが、病に冒されながらも軍の正装をまとったローズの姿に感銘を受けたのか、少将の労いに士気を高めていた。

「カールピーの先にはグワーリヤル城があります。王妃とタートヤ・トーぺーはシンディア家に助力を求めた可能性もあります」

「グワーリヤル藩王は親英派だと聞いていたが……拠点にされると厄介だな」

 リアムは苦い顔で同意を示した。ジャーンシー城も高台にあり、攻めにくい構造ではあったが、グワーリヤル城はジャーンシーよりも規模が大きく、堅牢で知られる。これといって弱点もなく、長期戦にずれ込む可能性は高い。

 これまで辛うじて維持してきたローズ軍の戦意が、難攻不落の城の前に喪失してしまう虞があった。

「シンディア家に使者は」

「送っております。ジャーンシー王妃の要求を呑まぬように要請しています」

「素直に聞き入れてくれれば、良いのだがな」

 ため息と共に吐き出されるローズの台詞には、諦めの響きがあった。

「ローズ閣下、カールピーで行軍の動きがあります。ジャーンシーへ出撃する模様です」

 テントにやってきた副官のリスターは、折り目正しい敬礼をし、状況を報告した。

「向こうは我々を休ませる気はないらしい。実に賢明で、腹立たしいことだな。宮殿探検はひとまず切り上げだ。将軍らを呼んでくれたまえ」

 リアムとリスターが承諾し、テントを出ようとしたところでローズの声がかかる。

「君たちには引き続き儂の手足となってもらう。よろしく頼む」

「こうなれば、とことんおつき合い致します」

 すかさず笑顔で答えると、隣でリスターも同意を示す。

「わたしなぞはとっくに覚悟を決めてましたよ、ええ。ローズ閣下、あなたは本当に頑迷だ」

 ロウが大袈裟に肩を落とした姿に、その場にいた三名は苦笑した。


 間もなく準備を整えたローズ軍はジャーンシーを拠点に行軍を開始した。

 カールピーからやってきたタートヤ・トーぺー率いる軍勢五千とローズ軍が、クーンチでぶつかり合ったのは五月の初め。両軍は互いに大砲を打ち鳴らし、戦の始まりの合図とした。

 イギリス軍のエンフィールド銃は、相変わらず凄まじい威力を誇っている。長期の行軍と熱射病で多くの脱落者を出していたが、ジャーンシー城を拠点にしたことはローズ軍を有利にしていた。

 接近戦においては先方の技量に及ばないが、一軍のまとまりはこちらが上という点も変わらない。これまで通りの堅実な手でじりじりと相手の数を減らしていった。

 ローズの指示を各将軍へ伝えるため、欠けた人員の代わりにリアムとリスターもひっきりなしに馬を走らせることとなった。

 間近に迫る鬨の声、発せられると殺気と鋭い剣の先。人々のいきれと信念とが混じり合い、砂塵を巻き上げ空を覆う。

 リアムは自分でも不思議なほど、恐怖を感じなかった。そんなことに気を割いておれるほど暇ではなかった上、この先にラクシュミーがいると思うと焦りのほうが先に立った。

 炎天下に踊る陽炎は、地上の諍いを嘲笑するかのように歪んだ波形を描いて立ち上り、戦場の人間たちの足元に熱気の舌を這わせる。日が南中する度に両軍は引き上げ、休息を挟んで夕方には再開する。

 一進一退、永遠とも思える戦闘を繰り返しながら、タートヤ・トーぺー軍をカールピー砦にまで追い込むことに成功したのは、五月も半ばを過ぎた頃だった。

 今度こそ王妃とタートヤ・トーぺーの捕縛を、と意気込んだローズだったが、敵は砦には拘らず、めぼしい物資だけを持ち出して火を放ち、逃走。

 またしても取り逃がしたことを、総督府に報告するのはリアムの役目である。少しでも休みたいのに、文面を考ねばならない。頭が痛かった。

 インド反乱の前年、総督がダルフージーからカニングに変わっていた。新総督は反乱鎮圧を使命とし、ナーナー・ゴーヴィント及びタートヤ・トーぺーの捕縛はまだか、とハミルトンを介して執拗な催促を送ってきていた。

 ナーナー・ゴーヴィントとタートヤ・トーペーはカーンプルで地盤を築くことに失敗すると、各地のイギリス軍基地を急襲しては去ることを繰り返していたが、昨年十一月を最後に、ふつりと足音が途絶えていたのだ。

 資金が尽きたか、はたまたどこかで命を落としたか。後者だとしても遺体を挙げるまで捜索しろと言い出しかねなかった。

 長い潜伏期間を経て、再び表舞台に顔を出したタートヤ・トーぺーを捕らえれば、首謀者のナーナー・ゴーヴィントにも行き着く。この機会を逃せば、このインドに反乱の芽を残すことになる、とは総督府の言だが、ローズの失態は取りも直さず、カニング自身の評価に汚点を残す。

(馬鹿馬鹿しい……)

 総督引退後の本国での地位を気にする余裕を、こちらにも分けてもらいたいものだ。戦場にいる将兵は、総督の機嫌取りのために存在しているわけではない。リアムの苛立ちはそのまま文字に現れ、少々乱雑になってしまったが、知るものか。

 戦況報告をインドールのハミルトン宛に送るよう、小者に頼んでから倒れるようにしてわずかな睡眠を取った。

 翌朝、火の収まったカールピー砦を検分した所、出火していたのは城壁正面に積まれていた土嚢の袋のみ。砦は戦闘ではなく経年による損傷が激しく、守りが堅いとは口が裂けても言えぬ状態だった。

 タートヤ・トーペーはそれを理解していて、クーンチまで出撃したのだろう。砦の放棄も予め決めていたらしく、炎に巻かれた兵もなく、綺麗なものだった。

「足止めを食らったのかもしれんな」

 砦の様子をリアムが伝えるとローズは唸り、その大人しくしていれば品の良い顔を顰めた。

「連中、ここを最後の決戦の地にするつもりはなかったようだ。やはり狙いは……」

 その先は言われなくても分かる。リアムたちが想定していた最悪の事態に向かっている、あるいは既に――

「ローズ閣下、報告致します」

 天幕に現れたリスターの姿を、リアムとローズは覚悟を決めて見やった。

「ジャーンシー王妃率いる軍勢が、シンディア家のグワーリヤル城を目指し行軍中とのこと。その中には、ナーナー・ゴーヴィントの姿も確認されました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る