第18話 Share a quarter -貴方のための唄-.8
空ってこんなに高いんだなとか、グラウンドってこんなに広いんだな、とか。
そういうこと、考えさせられた。私が解き放つ声が、メロディが、ことごとく飲み込まれていったから。
和歌さんを思って歌うことは幸せと同義だったが、同時に不安も呼び寄せた。ここで和歌さんに拒絶されてしまったら、私はいよいよ血液に乗せて心臓へと運ぶ酸素をどこからも得られないと思ったからだ。
それでも、闇雲に歌い、奏でた。
私にはそれしかないのだ。
自己表現。そう、音楽は自己表現だ。
例えるならきっと、爆発に近い。芸術は爆発だなんて言った人間がいるらしいが、ちょっと理解できる気がした。そうやって破裂させるようにして表現しないと、私の中で徐々に膨らんでしまい、苦しくてしょうがないんだ。
見る者を引き寄せて止まない、そんな自己表現がしたい。
いつの間にか、車に乗っていたはずの和歌さんが学校のグラウンドと道の間に立てられたフェンスにしがみつくようにして現れ、こちらを見ていた。視力がよくても、その表情はハッキリとは分からなかったが、きっと複雑な顔をしているに違いなかった。
喜びと困惑、躊躇の狭間にあるのだろう。この音と音の波間が和歌さんをそんな場所に連れて行ったのだとしたら、私も苦しい。
(足りない)
私は自然とそう考えていた。
もっと、リズムを、ビートを、メロディを。
生きとし生ける者が酸素を、光を、水を、求めるように。私は私を支え導く“音”を欲した。
あまりに自分勝手な祈りだ。私は、彼女らが求めたことを自分の都合だけで跳ね除けてしまっているのだから。
でも、そうしないと届かないような気がした。現に、和歌さんは俯きがちになった後、ゆっくりその場を離れようとしていたのだ。
(和歌さん…っ!)
曲の一番が終わった。和歌さんに聞かせるためだけに設えた曲。本来、文化祭などで発表する代物ではない、私の魂。
孤独の暗雲がかかったまま二番が始まろうというとき、神は私に希望の光を差し出す。
聞こえてきたのは、最も私のそばにある、私以外の音。
奏のベースだった。
朝礼台の上から、音のほうを見やれば、ぬるりと、あたかも初めからそこにいたみたいに私の奏でる旋律に合わせて笑う奏の姿があった。
奏の唇が、何か言葉を象った。確信はないが、『しょうがないなぁ』と言ったような気がした。
次に、霞のキーボードの音が響き始める。それは電源の都合上か、少し離れた場所からだったが、それでも十分に私の音を支えた。
あのキーボード、重いだろうに…。奏が一緒に運んだのだろうか。
しかし…。
(これだよ、これ…!)
私はグルーヴィーに胸を詰まらせながら、これだけワガママな自分に付き合ってくれる友人たちを想った。生まれながらにして父親を持たない私に与えられた幸運の一つだった。
息をしていた。
呼吸が始まり、音楽が生まれ落ちる。
それでも、一度蜜の味を知った私はもっとと欲した。そしてそれは、多少の悪態を伴ってやって来る。
「あぁもう、滅茶苦茶!予定通りには弾いてくれないくせに、単独路上ライブはするって、なんなんですか!?本当!」
少し高いところにいる私をじろりと睨みつけながら、長瀬はギターを首からかけ、タイミングを計って演奏に混じった。
「ごめんってば」
ついつい口元が綻んでしまう状況の中、歌詞と歌詞の間に私がそう謝れば、長瀬は照れたように頬を赤くしてから何か言った。でももう、聞こえなかった。もしかすると、私の声も聞こえてはいないのかもしれない。
大サビが始まる寸前のCメロ。テンションが最高潮へと昇り詰めていく、階段を駆け上がっていくような時間、ドラムの音が滑り込んでくる。伊藤だろう。
音はいつものような苛烈さも手数もない。さすがに楽器の全部を持ってくることは無理だったのだろうが、なんだっていい。そう、なんだって構わない。
(みんな、付き合いが良すぎ…!)
演奏が終われば、絶対に先生たちに怒られる。演奏を止められていないのは、まだ先生たちが気づいていないからなのか、別の理由からか。
私は叩きつけるように最後のサビに入った。
マイク無しでも和歌さんに届くよう、声量に意識を注ぎすぎているせいで、喉が痛み始める。素人みたいな失態だったが、私の必死さを形にするのにはちょうど良かった。
一度離れようとしていた和歌さんは、またフェンスにしがみついてこちらを見つめていた。距離があっても、今なら分かった。彼女が肩を震わせて泣いていることが。
和歌さんの言う通り気持ちだけでは、越えられないものはあるのだろう。でも、私たちがそうとも限らないし、今がそのときとも限らない。
未来は暗黒に閉ざされているが、闇の先が不幸の旅路とは限らない。きらきら光る星だって、漆黒の宇宙の先にあるのだから。
つんざくように最後の一節を歌いあげる。
青い空に私たち全員が紡ぐ残響が広がった。
くるりと振り返れば、遠くのほうで霞が先生に囲まれているのが見えた。あたふたしている様子だったが、もしかすると少しでも時間を稼いでくれているのかもしれない。
伊藤は汗を拭きながら、ぼうっとこちらを見ており、事の行く末を見守ろうという感じがしたが、一方で長瀬は足元でずっと小言をわめいていた。
「なんですか、これ。ほんと。なんでこんな急ごしらえのステージが、今までで一番さいっこうなんですか…!ほんと!」
喜んでいるのか怒っているのか分からなかったが、協力してくれたことは確かだったので、適当に、「ありがとう、長瀬」と伝えておく。そうすれば、意外にも彼女は大人しくなった。
最後に、奏に目配せする。彼女は静かにウインクすると、顎で和歌のほうを示した。
言葉はいらなかった。あるいは、そう思いたかっただけ?
どうでもいい。考えても仕方のないことが世の中にはたくさんあるのだ。
私は肺一杯に空気を吸い、それから叫んだ。
「和歌さん!」
その大声に和歌が顔を上げる。
「ワガママでごめん!自分勝手でごめん!子どもで、ごめん!」
その謝罪にはいくつかの意味があった。一つは、勝手に彼女に触ろうとしたことへの謝罪。後は、和歌のことを考えているようで目を逸らしていたことへの謝罪、そしてほんの少し、私の馬鹿に巻き込んでしまった仲間たちへの謝罪。
「でもいつも!大事に想ってるから!」
愛している、という言葉は飲み込んだ。
それはきっと、後でいい。後で、二人きりのときに伝えられれば、それで。
結論から言って、まず私は――いや、私と仲間たちはこっぴどく先生に叱られた。学年主任の先生に、本当にこれでもかと言わんばかりに叱られたため、霞や長瀬は目に涙を浮かべて身を固くする始末だったが、私や奏のような、元が良い子ではない二人と、意外なことに伊東も平気な顔をしていた。
学年主任も、明らかに事の発端である私に対してはいっそう厳しく接していたものの、和歌に自分の気持ちを伝えられた実感、彼女もそれを悪いふうには解釈しなかったであろう確信、そしてなにより、自分が望む自分であれたことへの充実感が鎧となり、私はほとんど反省の姿勢を示さず、むしろ嬉しそうにニヤニヤしていた。
ありがたいお説教の後に私を待っていたのは、今度は霞と長瀬からの叱責であったが、これにたいした効果がなかったことなど、言うまでもない。
私は家に帰ってからすぐ、和歌に対し、どうしてあんなふうに思い詰めたのか、何かきっかけがあったのかを尋ねた。
そうすれば、和歌自身、ずっと悩んでいたことを打ち明けてくれたのだが、私が驚かされたのは、きっかけのほうだった。
「じゅ、授業参観…?」
知らない人はいないだろう、その学校行事は来週に迫っていた。
和歌は私の母から、土日祝日関係なく忙しい自分に代わり、授業参観に出てほしいと依頼されていたらしいのだが、それによって、自分と私の間に確かな血縁があること、本来、自分は姪の保護者であるべき存在であることを思い知らされたとのことだ。
そんなことで、という言葉が話を聞いた私の口から出かかったが、ぐっと飲み下した。
私の考え方と彼女の考え方は違う。血がつながっていようとなかろうと、私たちは他人。それぞれ違う考え方や価値観を持った人間なのだ。
「ごめんね、一葉ちゃん。私、なんか悪いことしているみたいで、不安になって…」
ちょこんと私の部屋の床に座り込み、うっすら涙を目に浮かべ始めた和歌を、私は慌てて抱きしめる。
「謝らないで、和歌さん。私が能天気にしてたからまずかったんだと思う。ちゃんと、一緒に考えないといけなかった。そういう義務が私にもあったはず」
義務、と言うと何か受け入れがたい感じがしたが…きっと、こういうものを処理しきるようになることも成長ということだろう。
真実、私と和歌の選んでいる道は茨の道だ。
周りから理解されない可能性のほうが圧倒的に高いから、自分たちの中に押し隠しながら生きていくことは避けられぬだろうし、いつしか私たちのほうが疲弊してしまうのかもしれない。きっと今回、和歌を苛んだのはその氷山の一角なんだ。
それでも…私は和歌と一緒にいたいと思う。できるだけ、永く。
「一葉ちゃん…」
「私、この間ようやく、自分が自分勝手だって気づいたんだ」
ゆっくりと和歌の髪を撫でる。指の間を通る髪は何の抵抗もなく、透き通る水のようだった。
「少しずつ、きちんと大人になるつもり…あいつらにも、きちんと謝んなきゃいけないって思ってる。お礼も、言いたいかな。まぁ」
今回のことでさすがの私も奏たちのことは見直さざるを得ないと思った。こっちは至極勝手な理由で彼女らとの演奏を拒否したのに、彼女らは私のためだけに協力してくれた。言葉もなく、音楽だけで響き合うみたいにして。
この先一生、彼女らみたいな存在とは出会えないかもしれない。特に、奏や霞は。たいした付き合いもないのに、と考えると、伊藤や長瀬も特別なのかも。
和歌は私の意志表明を受け取ると、少しだけ嬉しそうに、でもどこか、物悲しそうに微笑んだ。
「本当はね…一葉ちゃんが変わっていくのが、少しだけ怖くもあったんだ」
「え、私が変わるのが怖い?なんで?ってか、私、変わってないよ」
「うふふ、変わったよ。昔は、『友だちなんて、群れないと生きられない奴が作るもんでしょ』とか言ってたもの」
「うげぇ」
なんだそれ。勘違いしているのにも程があるだろう。
人間は群れないと生きられない動物だ。社会性の生き物なんだから、それが普通だ。もちろん、群れ方は人それぞれだろうが…。
私は話の焦点をずらすべく、眉間に皺を寄せながら尋ねる。
「そこは変わったかもだけどさぁ、それが怖いって、なんで?和歌さん、普通に喜んでそうだけど」
「それは、叔母としては嬉しいんだけど…」
和歌はそこまで言うと、さっと頬を赤く染めて俯いたのだが、それからモジモジとして、私の顔と床を何度も見比べている様は、どうにも言葉に尽くし難いほどに可愛らしかった。
「だけど?」と私が催促すれば、意を決したふうに和歌は顔を上げた。
「う、嬉しいんだけど……独り占め、できないなぁって…」
独り占め?
私は思わず、驚きから口をぽかんと開けて和歌の顔を呆然と見つめた。
そんな私の態度をどう思ったのか、和歌は酷く慌てた様子で両手を顔の前で左右にぶんぶんと振ると、聞かれてもいないのに詳細をしゃべりだす。
「だ、だって!それまで、私のことばっかりだったはずなのに、奏ちゃんとか、霞ちゃんの話、すっごく増えたもん。最近は、伊藤さんと長瀬さんのことだって…私と一緒にいるのに――…」
あふれる愛しさから、ほとんど無意識のままに和歌の手を捉え、その身を抱き寄せる。
「きゃっ」
和歌の、甘い良い匂い。くらくらする、幸せの香り。
「和歌さん、嫉妬してくれてた…可愛い…」
ぎゅっ、と強く、強く抱きしめる。彼女と私がもう二度と離れないように。
…確かに、私は変わったのだろう。それは自分でも分かる。
だけど、変わらずにいることもある。
自分を貫いて生きていくことに、並々ならぬこだわりがあるこの人生観。
かき鳴らす音楽が私の魂を揺さぶり続け、その音と音の隙間に魅入られていること。
そして何より、私の人生を形作ったこの愛すべき人に、すべてを捧げて生きていきたいと願っていること。
それらは、絶対に一生変わらない。青臭い考えと揶揄されようが構わない。
むしろ、嗤った奴を嗤ってやる。
お前の人生には、何も大事なものがないんだなって。
「あ、う、や、やだぁ…恥ずかしい…」
胸が痛くなるくらい、和歌のことが好き。その気持ちを込めて、彼女を見つめる。
「和歌さん、指にキスするくらいなら、いい?」
本当は唇にしたかった。永遠に私のモノだって信じられるようにするために。だけど、それじゃ、また和歌に呆れられるかもしれないから、一歩譲って、彼女に許可も求める。
和歌は顔を真っ赤にした後、小さく頷いた。
だから、私は彼女の薬指に口づけを落とす。
「予約、しとく」
女同士なのに、血がつながっているのに、馬鹿みたいだって?
はっ、勝手に言ってろ。
私は和歌の顔が今までで一番真っ赤に染まっているのを見て、不敵に微笑む。
「愛してるよ、和歌さん」
…私たちの気持ちは、私たちにしか決められないんだから。
Share a quarter null @null1324
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