第12話 Share a quarter -貴方のための唄-.2
叫んで乾いた喉に透明の液体を流し込んで潤す。私はそのまま、「ぷはっ」と思わず声を漏らしながら、なかなかどうして、この新曲のリズム感が持つ激動は燃える、と心を震わせていた。
やはり、歌うのも、音を刻むのもいい。とりわけバンドで行うとなると、何物にも代えがたい魂がある。他人との関わりなんて面倒なことも多いが、“これ”はそこでしか得られない。そして、麻薬みたいなもので、一度知ったら離れられないものでもあった。
まぁつまり、私は耽溺していたのだ。奏と霞と共に打ち鳴らした音楽の余韻の中に。
だからこそ、奏が間延びした口調で投げかけてきた質問に対し、本気で余計なことをと思ったし、鼻白んだのである。
「で、何で怒らせちゃったのぉ?」
私は無言のままに奏を睨む。
(…せっかく人が忘れてたことを…ほんと、奏って嫌なやつ)
明らかに触れてほしくない話題であることも、私が瞬く間に現実へと引き戻されて不機嫌になったことも分からない奏ではない。私をからかって面白がるような奴なのだ。奏は。
グラマラスで身長も高く、飄々とした態度を一切崩さない志藤奏は、いっそOLであると言われたほうが納得できるくらいには大人びていて、およそ学生らしからぬ色香を放っている。そんな彼女がガーリーな容姿をしている霞と付き合っているというのだから、どこか危なげな関係に見えてしまうのも無理はなかった。
一方、内面は洗練された大人の女性とはまるで違う。からかい好きで、楽しいことが好きなタイプである。子どもっぽいと形容すると違和感が残るが、おおよそ慎ましやかな女性ではないことは確かだ。
そんな奏からの問いかけなのだから、それがただの親切心からくる質問でないこと誰が聞いたって明白だった。だからこそ、私は顔を歪めてこう返すのだ。
「別に、喧嘩してないし」
「へぇ」面白い玩具を見つけた、と奏の血色の良い唇が弧を描く。「本当にぃ?」
「ほんと」
「昨日、何かあったんじゃないのぉ?」
「…」
私は図星を突かれて黙り込んだ。これ以上、何か口にすれば、自分の立場を悪くするようなことになると分かっていたからである。
でも、奏は相手がちょっと引いたくらいで食い下がるのをやめるような女ではなく…。
「んー…何か余計なことを言った?」
「…」
反応しない。すれば、奏を面白がらせるだけだ。
「じゃぁ…んー…、一葉って、和歌さんと付き合いだして三か月も経ってないよねぇ」
「…」
「それなら、うん、あれだね」
きらり、と奏の瞳が光る。
嫌な光だった。
「一葉、焦って何かしたんでしょ。――例えば、無理やり触ろうとしたとか」
「してない」
より核心を突かれた私はとっさに反論した。しかし、これでは自白しているのと何ら変わりないではないか、と気づいた頃には時すでに遅し。
「図星だ。ふふっ」
どこか幸せそうに微笑む奏は、緩やかにウェーブのかかった髪を自分の手で撫でると、「ね?」と気まずそうな顔をしている霞にウインクする。
「やめなよ、奏。人様の事情をさぁ…」
「えぇ?こんなに面白いこと、スルーできるぅ?」
私の堪忍袋の緒は、奏がふざけていることがありありと分かる発言にぷちっ、と音を立てて切れた。
「ちっ!あんたってやつはさぁ…!どうしてそう人格が歪んでんの?人が真剣に悩んでることを取り上げて面白がるなんて」
そうして私が、牙を剥き出しにして威嚇する獣みたいに奏を睨むと、彼女は肩を竦めて軽く謝罪してから、「でもぉ」と相変わらず間延びした口調で応える。
「隠されると、なんでも暴きたくなるのが人の性じゃない?それにほら、また私たちが何かの役に立つかもしれないよ?」
そう言うと、彼女はなにやらよく分からないジェスチャーをしたのだが、それがキューピッドが矢を射る真似をしていたらしいことに気づいたのは、その日、ベッドに入る頃だった。
確かにこの二人、奏と霞には、和歌と自分の関係が希望の欠片もないまま終わらずに済むのを手伝ってもらったことがあり、恋のキューピッドと言われても大げさではなかった。
しかし、奏にキューピッドを自称されるなんて鳥肌モノでしかない。
私はすぐさま両手で自分の二の腕をさすると、「勘弁して。霞には話してもあんたには話さないよ、奏」と奏に嫌味を言った。
そうしてしばらくの間、私たちは冗談を飛ばし合ったり、愚痴を吐いたり、とにかく、音楽以外のもので満たされた会話を続けた。
一年前の私が今の自分を見たら、目を丸くするだろう。もしかすると、怒るかもしれない。
『お前は、その指でかき鳴らすメロディと、叫ぶ歌だけが自分の理解者だって言ってただろ。逃げんなよ』…そんなふうに。
そしたら、私はなんて言うかな?
私は少しだけ黙って、馬鹿みたいに真剣にそんなことを考える。
カーテンはためく窓の外では、眩しい春の西日が新緑を照らしていて、下校途中の生徒たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
まるで、この世には音と歌以外にも賛美できるものであふれているとでも言わんばかりの…高校2年生の春だった。
こぼれるような息を一つ、吐き出す。
ため息なんかじゃない。
笑ったのかな、私。
――逃げたんじゃない。きっと…。
「……変わったんだよ」
ぼそり、と中身が聞き取れないような独り言を漏らす。奏も霞も不思議そうな顔をして、何か言ったかと首を傾げたが、私は目を細め、「別に何も」とだけ返した。
こんな私を、私は嫌いじゃなくなっていた。
和歌さんとの問題は確かに悩ましいけれど…今の自分なら、きちんと向き合える気がする。
私は少しだけ晴れやかで前向きな気分で立ち上がると、新入生歓迎会での部活動紹介をどんなふうに行うか話す二人の元に移動するのだった。
本来、私は人前で何かをするのは好きではない。
別に周囲からの視線で緊張するとか、失敗が怖くて、とか可愛い理由ではなく、そもそも、発表みたいなものの意味がイマイチ理解できないのだ。
一斉にみんなの前でやったほうが効率的なものなら、まぁ、理解できる。説明会とか、全校集会とか。…嫌いだけど。
「はぁ…」
そばでそわそわ体を揺らしていた霞が、私のため息を聞き取ったらしくこちらを覗き込んでくる。
「や、やっぱり、一葉も緊張してる?してるよね?」
今にも泣き出してしまいそうなくらいの不安で瞳を揺らしている霞。庇護欲をそそられるが、今は肩にのしかかる億劫さのほうが勝った。
「しないよ、緊張なんて。ただ、面倒だなって思っただけ」
「えぇ?」
「面倒でしょ。こんなの」
私があからさまに嫌な顔をしてみせれば、霞は呆れたような顔で私を見た。そして、そんな私と霞のやり取りを少し離れた場所で観察していたらしい奏も、似たような顔を浮かべこう言った。
「新歓ライブを“こんなの”呼ばわりかぁ。さすがは一葉。ぶれないねぇ」
新入生歓迎ライブ――つまり、この春で新一年生として入学してきた生徒たちを歓迎するべくして催されたライブである。
名前の仰々しさに勘違いする者が多いが、中身は吹奏楽部がメインの普通の演奏会である。私たち軽音楽部は、所詮、吹奏楽部の演奏準備のつなぎで舞台に上がるだけなのである。
この扱いの違いを何も思わないでもなかったが、私自身、人前での演奏にろくすっぽ興味がないことが幸いし、たいした文句は言っていない。
私は霞と奏を一瞥すると、ゆっくり閉ざされる舞台カーテンを睨むようにして見やる。
「私の音楽は自己表現。だから、誰かの感想も、評価もいらないし興味ない。極論、オーディエンスは私にとって邪魔者でしかない」
巷では、ちやほやされるための音楽が存在しているらしいが、全くもって度し難い。肥溜めにでも吐き捨ててほしい、音楽の“お”の字も名乗らないでほしい汚物である。
私は頭の中に、研ぎ澄ました一振りの太刀を思い浮かべる。
狂気をまとう美しい波紋。光を反射する無垢なる刀身。
その一刀は、決して鑑賞のために何百回も槌で叩かれ、焼かれたわけではない。斬るべきものを斬るためにあったはずだ。
つまり、それと同義。
私の音楽は、私を叫ぶためにある。
それを耳にする者がどう感じるかなんて、どうでもいい。例外があるとすれば、誰かのために叫んだ、そのときだけだ。
続けて私は、和歌のことを思い浮かべた。
ただ一人、私の音楽の中に存在する、私以外のもの。
係員をしている生徒に呼ばれ、私たちは閉ざされた舞台上に移動した。霞の動きがぎこちないが、奏は飄々として私から少し離れた場所で準備を始める。
「じゃあ、なんでこんな面倒に付き合ってるの?」
楽器の準備をしながら、奏がそんなことを尋ねる。珍しく真剣だった。
「…」
私も同様に準備をしつつ、無言でその問いの答えを考えた。
答えはすぐに見つかった。だが、それを口にするのを私のひねくれた精神がはばかった。
『それでは、次の演奏です。次は、軽音楽部によるロックミュージックになっております』
そうこうしているうちに、アナウンスが私たちの紹介を始める。何がロックミュージックだ、と眉をしかめたくなったが、どう答えるべきか考えることを私の頭は止めていなかった。
『えー、私たちは、諸事情により、部員が二年生三名だけの軽音楽部ですが…えー…あー…うちのとっても可愛いギター兼ボーカルのパワフルな歌声をどうかお楽しみ下さい』
直後、カーテンの向こう側で笑い声が上がる。
その耳障りな音が、この隣でニヤニヤしている女がしたためた部活動紹介文のせいだと理解したとき、思わず私は舌を打って彼女を睨んだ。
「奏…あんたねぇ…」
「やだ、怖い顔」
ぱちっ、とウインクしてみせる奏。後ろから霞が、「も、もう始まるよ」と焦った声を上げているが、まともに頭に入って来なかった。
カーテンが少しずつ開かれ、舞台の上の光が客席の暗黒を照らす。
こと音楽に関して、私は手を抜かない主義だ。だから元々、興味のない新歓ライブであっても本気でやってやるつもりではあった。
だが、こうやって奏に焚きつけられて、舞台を用意されたとあってはそれだけでは済まされない気分になっていた。
カーテンが完全に開ききり、お手本みたいに用意された拍手がパチパチと鳴るが、それでも私は奏を睨んでいた。
ざわざわと私語に勤しむ観衆。それらは私たちの様子を訝しがっていた声もあるだろうが、“可愛いギター兼ボーカル”という馬鹿みたいな冗談の味見をするような声も多くあったと思う。
――私が、この面倒で馬鹿馬鹿しいライブに付き合う理由。
そんなものは、分かりきっている。
私はオーディエンスのノイズでかき消すことはできない声で、奏に淡々と告げる。
「あの日、あんたの挑発に乗ったからだよ」
独りで奏でていた音楽。その終焉を、彼女は運んできた。
「だから今日も、乗ってやる。奏は特等席で聴いてろ、私が可愛いボーカルかどうか」
直後、マイクのスイッチをオンにしつつ、予定のない旋律をギターで響かせる。
体育館を震わせる弦の絶叫。
指先で感じる、一音、一音の脈動。
消えずにどこまでもハウリングしていく、音響。
小汚いノイズを走らせていた群衆共は、すぐに沈黙を余儀なくされた。
見ろ。
これが音楽だ。音楽の輝きだ。
冗談みたいに真剣にやってきた、私の魂。それを五感で感じられる者ならば、笑うことなんて出来ないはずなんだ。
そのままアドリブで予定通り、曲のイントロに入る。霞は少し遅れて入ってきた形になってしまったが、奏は一瞬たりともずれなかった。その事実が酷く気に入らないし、同時に酷く興奮した。
Aメロが始まり、私が歌い始めると、またざわめきが生まれた。
もっと真剣に聞け、と気持ちを込めてBメロに移れば、いくらかの聴衆が手を振ったり、体を揺らしたりし始める。
(そうだ、それでいい…!)
そして、サビが始まる――…。
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