第4話

 90分のほとんどが教授の好きなジャズの鑑賞という、どの先輩からもオススメされた授業を受けながら考える。


 あの女のぬいを使った呪いは不完全だった。

 だからきっとあの女には何も起きず、ただ気味の悪い人形が手元にある状態になったのだろう。


 笑歌を巻き込んできた時点でそれなりに覚悟はしていたのだけれど、人形の中に笑歌の髪の毛が入っていたことで完全に心が決まった。


 あの女のDNAを手に入れて、今度こそ完璧にあの女を呪ってやる。と。


 生年月日とフルネームは、顔写真を入手する過程で丈司さんのスマホからゲットしていた。

 だからあとは髪の毛なり爪なりを手に入れるだけなのだが、やはり現実的なのは髪の毛だろうか。


 ただ、丈司さんの服に付いた髪の毛がイコールあの女のものとはならないのが問題だった。

 元々笑歌の彼氏として紹介されたのに、私に粉をかけてくるようなクソ男だ。

 きっと他にもキープしている女がいるに違いない。

 まずは丈司さんの交遊関係を把握しなければ。


 私は机の影にスマホを取り出し、メッセージアプリで丈司さんを誘った。


『そろそろ会いたいな』


 流石に仕事中なのか返事はなかったが、遅くとも夜には予定調整の連絡が来るだろう。

 一番早く会える日を設定して、スマホの中身を確認させてもらいたい。


 あの女のDNAについては一旦置いておくとして、呪いについてだ。


 今、ぬいの呪いは笑歌に向かっているということでいいのだろうか。

 いや、ぬいの呪いというよりは別のものになっているように思う。


 だってこのぬいは、あまりにも笑歌とかけ離れているから。

 普通に考えれば、まともに機能するはずがない。

 けれど実際に笑歌の部屋ではおかしなことが起こっているし、私の身にも起きた。


 それはあの女の生霊なのか、ぬいについてきた別の何かなのか。

 確かなことは、何も分からない。


 全ての授業を終えた私は、オカルト研究会に行ってみることにした。


 私自身は、オカ研に所属しているわけではない。

 入学式の後のサークル勧誘期間に、ほんの少しだけ興味があるような話をして、別に貴重品があるわけでもないから鍵もかかってないし、メンバーじゃなくても好きに出入りしていいよと言われただけ。


 オカ研はサークル棟の中でも一番古い棟の、更に奥の方に部屋があるせいもあって足を運ぶだけでもかなり目立つ。

 素知らぬ顔をして一般女子大生を装っている私にとって、かなり足を運びにくい場所だった。

 とはいえ、どんな感じなのか興味はあったので、何回か人目を忍んでたずねてみたことがあった。


 今日も、その時に会話をしたオカ研の会長がいて、私を見るとにこりと笑った。


「やぁ、花畑くん。久しぶり」

「お久しぶりです家永いえなが先輩」

「今日はどうしたの? 入りたくなった?」

「や、ちょっと……知りたいことがあって」

「ふむ、なんだろう」

「呪いについてなんですけど」


 私がそう言った瞬間、家永先輩の顔が分かりやすく輝く。

 立ち話もなんだからと示されたのは、ラーメン屋さんにあるような丸イスだった。

 年季の入った丸イスに腰掛けると、ギィィと軋む音がする。ただ、突っ立っているよりはマシだろう。私は先輩の方を見た。


「そもそも、呪いってなんだと思う」

「え?」


 そう言われても、パッと答えは出なかった。

 オカルト関連の本は好きで読んでいたけれど、単純に怖い話が好きだから読んでいただけで、そういう色々な概念の成り立ちや、原理みたいなものに対しての興味はそれほどなかったのだ。


「”呪術”と”呪い”の違い、とか」

「同じ、じゃ、ないんですか?」


 笑歌がここにいたら、もしかしたら知ったかぶりをしていたかもしれない。

 けれど今ここには私と家永先輩しかおらず、私の無知を晒すことにそれほど躊躇ためらいはなかった。

 先輩は、そんな私の返事にむしろ嬉しそうに頷いた。


「人間はさ、昔から人知を超えた”力”の存在を信じてきたんだよね。超自然的な力を自分たちのいいように使おうとする時、人は念じたり、呪文を唱えたり、儀式を行ったりする。そういうのは全部、”呪術”っていう大きな枠組みの中に分類される。日本には仏教との距離が近い人が多いから、怖い思いをした時になんとなく『南無阿弥陀仏』って唱えたりしちゃうことってあると思うんだけど、そういうのも呪術の括りだね」

「なるほど……」

「で、その”呪術”の中でも、特に”敵対して恨みに思う相手を害する”ために行われるのが、”呪い”なんだよね。江戸時代の国学者、ばん信友のぶともは『方術源論』の中で呪いのことを『うらみある人にわざわいおわせむと、ふかく一向ひたすらおもひつめてものする所為わざ』と言っている」

「相手に何か災いが起これって念じるのが、呪いってことですか」

「そうそう。念じるだけじゃなくて、ほら、丑の刻参りみたいに相手に見立てた藁人形を作って、それに釘を打つとか、恨みを込めて作った呪物を相手の家に埋めるとか、そういう行為のことも指すね」

「人形……」


 思わず膝の上に置いていたトートバックを握りしめる。反射的に緊張してしまった私の変化に気付きもせず、家永先輩は嬉々として言葉を続けた。


「呪術と人形は切っても切れない関係だね! 呪いといえば人形、って言っても過言ではないくらいなんじゃないかと僕は思ってるけど。藁人形は言わずもがな、『日本書紀』にも、中臣なかとみの勝海連かつみのむらじが、太子ひつぎのみこ彦人ひこひとの皇子みこの像を作ってまじなう、なんて記述があるし、平城京跡からは人名が刻まれ、目や胸に釘を打たれた木製の人形ひとがたが発見されてるしね。忍者の漫画にも出てたけど、泥人形で相手を呪うなんてのもあるし、紙人形、布人形、色んな種類の人形が呪物になってる」


 布人形。まさにぬいのことだと思った。

 聞くなら今しかないと思い、一度深呼吸をする。


「私、誰かから呪われてるかもしれなくて」

「呪い?」

「はい」


 一瞬、ぬいを見せようかと思った。けれど、そのぬいが誰を模しているかだったり、ぬいを作ったのが私であることまで説明したくはなかったし、余計なことを知られるわけにもいかなかった。

 だから直接ぬいを見せることはせず、口頭で触りだけを説明するに留めた。


「んー、でも、そんなに深刻に受け止めなくても大丈夫じゃない? ほら、病は気からっていうみたいにさ、呪いについて考えすぎると、自分の身に降りかかるマイナスなこと全部が呪いのせいに思えてきちゃうんだよ。そういう意味での呪いみたいなものはあるのかもしれないけど、だからこそ、真剣に受け止めすぎない方がいいこともある」

「そんな……」


 まさかそういう流され方をするとは思わなかった。私の表情が曇ったのを見てか、家永先輩が少し焦ったように言う。


「それに、心身ともに健康ならよっぽどの恨みを集中的に受けない限りは問題ないらしいよ。意識してなくても、無宗教でも、神仏に守られてるって読んだことがある」

「よほどの恨みを集中的に……」

「え、そんなにヤバいの? そんなことないでしょ? 花畑くん、別にクレーマーとかモラハラ気質ってわけでもないだろうし、大丈夫だって。ほんと、普通に生活してたら呪われることなんてないみたいだよ? 自分にマイナスな感情があるとつけ込まれやすいとか、誰かを呪っている状態が一番呪われやすいとかはあるらしいけど……あ、なんか悩み事とかある? 僕でいいなら聞くけど……」


 誰かを呪っている状態が一番呪われやすい。その言葉が私に重くのしかかった。

 私があの女を呪ったせいで、あの女からの呪いを受けることになった?


 プラスのパワー全開であろう笑歌を呪うほどの力があるのなら、無防備な私などすぐに影響を受けることになるだろう。だってそのぬいを作ったのは、私なのだから。


 ギリ……と奥歯をキツく噛み締めた。己の行動を後悔している場合ではないのだ。何か、突破口を見つけないと。


 パチン……パチッ……


 何かが弾けるような音がして、顔を上げる。家永先輩にも聞こえていたようで、キョロキョロと辺りを見回していた。


 ジジッ……ジジジッ


 埃っぽい室内を照らしていた蛍光灯がチラついた。数回の明滅を繰り返した後、一際明るく瞬いて、消える。


「昨日交換したばっかりなのに。やっぱりガタが来てると思うんだよねぇ、この建物もさ」


 全ての蛍光灯がそうなったわけではない。私の真上にあった蛍光灯だけが消えていた。

 残りの蛍光灯と、外から差し込む太陽の明かりがぼんやりと照らし出す部屋で、家永先輩が替えの蛍光灯を持ってくる。


 慣れたように壁に立て掛けられていた脚立に上る先輩を見ながら、背中に冷や汗が流れるのを感じていた。


「電気のスイッチ、切ってもらっていい?」

「あ、はい」


 入り口のすぐ横にあるスイッチに駆け寄り、パチンと押した。途端に薄暗くなる室内に少し怯む。


 大丈夫。先輩もいるし。


 私は意識的に深い呼吸を繰り返し、先輩の作業を手伝った。


「ポルターガイストとか、家鳴りなら楽しいのにね」


 ギシッ


 まるで先輩の言葉に返事をするように、天井が、鳴った。

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