握手会当日

そうざ

A Handshake Day

「ありがとうございま~す」


 もう何回、この台詞を口にしたのだろう。何人の掌と触れ合ったのだろう。

 ファンの差し出した手を右手で受け、そこに左手を軽く添えて包み込むように握手をする。愛しむように、勇気付けるように、感謝の気持ちを込め、相手の目を真っ直ぐ見詰めながら――それがマニュアル。

 殆ど上げっ放しの口角が、時々細かく震える。目の前のファンに気取られないよう、尚更なおさらの笑顔で誤魔化ごまかす。


「ありがとうございま~す」


 イベント会場は蒸し風呂のようだった。エアコンが効かないくらい熱気が充満し、えた臭いが篭もっている。油断すると、眉間に皺が寄ってしまいそうだった。

 握手をしながらり気なく行列に目を遣る。会場後方にある両開きのドアが、次々と新たな人間を室内へ呑み込んでいる。マネージャーに拠ると、行列は廊下、階段、そしてこの大型電気店を一周し、更に駅へ向かう道にまで続いているらしい。

 握手の相手は様々だった。服がヨレヨレの人、髪がボサボサの人、ブクブクに太った人、ガリガリの人、オドオドした人、ビクビクした人、ニヤニヤした人、ヘラヘラした人――それぞれに個性的でも、これだけ人数が多いと段々似たり寄ったりに見えて来る。行列はもう没個性の塊でしかなかった。

 最初は感謝感激だった。この暑い盛りに全国から一目私に会いたいと足を運んでくれたのだ。でも、今はもううんざり。

 昨夜は不安で中々寝付けなかった。初めての握手会にどれくらいのファンが集まってくれるのか、お天気は大丈夫かな、電車が止まったりしないかな、そもそも私にファンなんて居るのかな――色んな心配事が頭をぎり、逃げ出したいくらいだった。

 蓋を開けてみれば、全て取り越し苦労だった。徹夜組を先頭に、開場の何時間も前から行列が出来始め、電気店ここで催されたイベントとして過去最高の人手だと聞かされた。マネージャーを始め、イベントスタッフも興奮していた。


「ありがとうございま~す」


 決まり事を口にしながら、私ははっとした。目の前に居るこの人って、ついさっき握手したばかりじゃ――確証はないものの、そんな気がしてならなかった。

 写真集を購入した人だけが整理券を貰え、握手の権利を得られる。もう一度、握手をしたかったら、新たに写真集を買ってまた最後尾に並び直さなければならない。そこまでしてくれるファンが居るのは嬉しいけれど、その半面、好い加減にして、と思ってしまう。

 皆、やけに行儀が良い。行列は全く乱れない。蟻みたいだ。そのお蔭で、最初は声を張り上げながら場を仕切っていたスタッフも、いつの間にか会場の端にたむろして談笑している。そこにマネージャーも加わり、あの映画は良かっただの、長期休暇は旅行へ行きたいだの、支点、力点、作用点だの、人の苦労も知らないでと思ったけれど、表情に出たらまずい。明鏡止水、虚心坦懐、無念無想。


「ありがとう、ございま~す」


 何でそこまでして私と握手なんかしたいのだろう。どうして、当分は手を洗いません、なんて言うのだろう。私の手は何の変哲もない普通の手だ。私なんてちょっと見て呉れが良いだけの詰まらない存在なのに――。

 大きな手――そんなに強く握んないでよ――骨ばった手――これって火傷の跡なのかな――ヌルヌルした手――爪くらい切って来いって――ザラザラした手――大きなペンダコだ――毛深い手――いつまで触ってんのさ――血管の浮いた手――さっさと放せ――静電気を帯びた手――痛い、痛い、痛い――。

 周りをうかがいながら、り気なく握手の手を左手に代えようとした、その瞬間、刺すような視線を感じた。マネージャーを筆頭にスタッフがこちらを見ている。右手で握手をし続けろ、という支配的な圧力。私は、止まり掛けた握手さぎょうをそのまま継続するしかなかった。


「ありがとう……ござい、ま~す」


 どれくらいの時が経ったのだろう。半日はとっくに超えている筈だ。一昼夜に近いか、それ以上かも知れない。流石に、そろそろ、好い加減、行列が途切れるだろう。あと一人で、もう一人で、残り一人で――終わらない。


「あ、ありが、とう……ござい……まぁす」


 全員が握手をした後に直ぐまた新たに写真集を買って並んでいるに違いない。もう嫌がらせとしか思えない。並んでいるのは、本当に私のファンなのか。皆が結託けったくして、私が苦しむのを愉しんでいるんじゃ――。

 右の二の腕が張り詰めている。手首もカチカチに固まっている。掌は殆ど感覚がなくなり、熱く火照ほてっている事しか分からなくなった。


「あり……がと……ありがと、ございま、す」


 掌が赤黒く変色している。晴れ上がって1.5倍くらいになっている。指を曲げようとすると、きしむ音が聞こえて来そうだ。握手専用自動機――そんなフレーズが浮かんだ。

 私って本当にアイドルなのかな、アイドルになった夢を見てるだけじゃないのかな――その時、掌に電撃のような痛みが走った。


 ――パチパチパチパチッ――


 誰かが拍手をしている。まばらだったその音が、次第に会場全体に広がる。拍手の嵐。皆の笑顔。マネージャーもスタッフも喜んでいる。私の知らない所で何かが画策され、実行され、貫徹され、そして、成功したらしい。

 私は場の空気に釣られて思わず拍手をした――筈だったが、実際は胸の前の空気を掻き混ぜているような、意味のない動きをしているだけだった。

 足下あしもとを見た。手首から先が落ちている。散らばった人差し指、中指、小指。親指と薬指は遠くまではじけ飛んでしまったのか、見当たらない。

 つかつかと近寄って来たマネージャーが、黙って私の胸を開けた。そして、そこに表示されたものを見て、嬉しそうに叫んだ。

「一万、五千、六百、四十、三回っ! 記録を大きく更新しましたっ! 続けて左手の耐久実験に移りますっ!」

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握手会当日 そうざ @so-za

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