最終話:窓辺にて

風が吹いている。

 カーテンが音もなく揺れ、夜の街の灯が差し込む。


 湊は、いつものように窓辺に立っていた。

 視線を落とせば、地上が見える。

 スマホを見ながら歩く若者、仕事帰りのスーツ姿。

 誰も彼も、彼の存在には気づかない。


 ただ、時折。

 ふと立ち止まり、見上げる者がいる。


 彼らは、湊と目を合わせる。

 そして、何かに気づく。

 「ああ、自分はもう戻れない」と。


 そんなとき、湊は微笑む。

 アオがかつてそうしたように。

 やさしく、悲しく、壊れた誰かを誘うように。


 その夜。

 誰かが、彼の部屋を訪ねてきた。


 ノックの音。

 誰も訪ねてくるはずがない。


 扉を開けると、そこにいたのは——アオだった。


 彼女は以前と変わらない姿で、そこにいた。

 白い服、黒髪、そして微笑み。


 「久しぶりね、湊くん」


 湊はなぜか、何も言えなかった。

 彼女は一歩、足を踏み入れる。

 窓の前まで来て、彼の隣に立つ。


 「あなた、上手に微笑めるようになったわね」


 「……あなたの真似をしただけだよ」


 ふたりはしばし、夜の街を見下ろしていた。

 静かだった。


 やがて、アオがそっと呟いた。


 「私、もう消えるの」


 「……なぜ」


 「見られなくなったから。

  あなたが、もう“私の代わり”になってくれたから」


 湊は何も言えなかった。


 「これでようやく、後悔から解放される」


 アオはそう言って、最後に微笑んだ。

 あの日と同じ、けれどもっと穏やかな微笑みだった。


 そして、静かに——消えた。


 その後も、湊は窓辺に立ち続けている。

 誰かが、どこかで「死にたい」と思ったとき。

 その目に、彼の姿が映る。


 そしてその瞬間、後悔が芽吹く。

 そこからが始まりだ。

 「こちら側」の。

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窓辺の女 綴野よしいち @TsuzurinoYoshiichi

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