第5話:目覚め

 ——目が、覚めた。


 呼吸が痛い。

 肺に空気を入れるだけで、肋骨が軋む。


 天井は、病室の白。

 無機質な光と、消毒液の匂い。


 「よかった……! 湊くん……湊くん!」


 看護師の声が耳元で揺れる。

 湊は、ようやく、自分が助かったことを知った。


 下半身の感覚はなく、両腕にもギプスが巻かれている。

 それでも、命がある。それだけで、十分だった。


 アオ。

 あの女性のことを思い出す。

 彼女は、幻だったのか?

 それとも、本当に“あの館”にいたのか?


 あの後悔の館は、夢だったのか?

 鏡の中に映った自分の死体も。

 彼女が「私を忘れて」と言ったことも——。


 窓の外を見た。

 春の光が差し込んでいる。

 桜の花が、風に乗って舞っていた。


 そのときだった。


 隣の病室の窓に、誰かが立っていた。

 長い黒髪。

 白い病衣。

 そして、あの微笑み。


 アオ——だった。


 目が合った。

 いや、見つめられていた。


 その口元が、また動いた。

 声は聞こえない。

 だが、湊には確かに読み取れた。


 「ようこそ、こちら側へ——」


 次の瞬間、アオの姿はふっと消えた。

 隣の病室には、誰もいなかった。



湊は、それきり彼女を見ていない。

 だが、退院後も、ふとした瞬間に思い出す。

 窓の揺れる音。

 目が合ったときの震え。

 そして、あの“やさしすぎる微笑み”。


 もし次に誰かが、飛び降りようとして、

 落ちていく最中に、湊を見たとしたら——


 彼が誰かの“アオ”になるのかもしれない。

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