燭台の妖精

轟零華

第1話:雨降り、山奥で

 それは夏が終わり秋も近づきつつある、ある日の事だった。


 その日の仕事帰り、私はいつもの慣れた山道を車で走っていた。


 山道と言っても道幅は車がすれ違う事が出来るくらいには広く、分かれ道もほとんどなかったので、そこを通るのに特段の不安を感じた事はなかった。


 もちろん、その日も同じだった。


 この山道を通るのが一番の近道だったし、それに自然の中を走るのは爽快だった。




 その日は仕事が少し長引いて、会社を出るのが少し遅くなってしまった。


 会社を出る頃には太陽はかなり西に傾いており、山道に差し掛かった頃にはもう太陽は山の向こうに沈み、周りは薄暗くなっていた。


 ハンドルを回して少し窓を開けると、吹く風は爽やかではあったものの、昼の名残の暑さを感じた。


 ツクツクボウシのあの特徴的な鳴き声が響いていた。


 山の空気を吸って自然の音を聞いていると、仕事のために張り詰めていた気持ちがほぐれていくのを感じた。



 その時、車の下の方から金属と何か硬いものがこすれるような鈍い音がして車が止まった。


 車の外に出て車の下を覗いてみると、助手席側の前輪車軸辺りにまあまあの大きさの石が入り込んでいるようで、どうやらこのせいで動けなくなってしまったようだった。


 暗かったことと解放感が相まって、石が落ちているのに気が付かなかったのだろう。


 ならば仕方ない。疲れている上に車も壊れてしまったというのに、どうしてか私はそれほどショックも受けなかった。


 おそらくはこの自然が私の気持ちを落ち着かせてくれているのだろう。


 私はとりあえず、民家を探す事にした。電話を借り、レッカーを呼ぶためだ。


 私は、私が来た道沿いでこのあたりには民家がないのを知っていた。


 しかし私は、ここから少し道を戻ったところに分かれ道があることも知っていた。


 その分かれ道は獣道けものみちに近しい、人が歩いて通れるくらいの太さの道で、舗装はされておらず草も生えているような道なのだが。


 もちろん、もし車が使えていたとしても車は通ることのできない道だったので、普段通りがかる時は風景として眺めていた道だった。


 そして私は、さっき通った時にその分かれ道から行けそうな場所に明かりが見えたという事を思い出した。


 というのも通った時、不思議な場所に明かりがついているものだと思って印象的だったのだ。


 私は貴重品が入ったカバンを持って、その場所に向かってみることにした。


 もしそこに家がなくても、道を引き返して何キロか歩けば民家につくのだから、行ってみる価値があると思った。


 しばらく歩くと分かれ道についた。


 分かれ道は緩やかな上り坂になっており、少し向こうで左に曲がっているようだった。


 道は舗装されておらず、草もあまり生えていないようだった。


 暗かったのではっきりとは見えなかったが、土は比較的乾いているようだった。


 道の両側には木々が生い茂っており、下の道よりも圧迫感があった。


 奥の方から、甲高くもの悲しい鳥の鳴き声が聞こえた。


 その声は時々途切れながらも続いていた。辺りはもうすっかり暗くなっていた。


 しばらく歩くと、開けたところに出たのが分かった。


 左側には山肌があり、反対側には木が茂っていた。


 まるで昔に打ち捨てられた子どもたちの広場のような雰囲気があった。


 広場は草が伸び放題になっており、私の背よりも高かかった。


 このような場所に人の住む家があるはずもなく、付け加えて言うのならば電柱などの近代的なものも一切なかった。


 木々の隙間から見える空は、もうほとんど夜の色をしていた。


 その時、私は自分が懐中電灯の電源を入れていない事に気が付いた。


 この場所が仄明るいということに。


 それは、広場の中心辺りでぼんやりとした明かりが灯っていたからだった。


 電線がないのだから、蛍だろうか。


 けれど、蛍にしては動きも少ないし、それに蛍よりは明るいような気もした。


 それから、この光を私は知っているとも思った。


 私は草を掻き分けてその光源の方に進んだ。


 草の中はやけにじっとりとして不快だったが、好奇心とそれからなつかしさが私を突き動かした。


 レッカーの手配は、これを見てからでいい。


 まもなくして、草の丈が低くなった。


 前方で蝋燭の火が揺れていた。


 なつかしさを感じたのはこれが理由だったのだと思った。


 子どものころ、私は暗くなった仏間で蝋燭の火が灯るのをよく眺めていたものだ。


 ちろちろと揺れる炎が、見守ってくれているようでそこはかとない安心感を感じていたのを覚えている。




 蝋燭の火に近づくにつれ、歌が聞こえ始めた。


 囁くような歌だった。


 何人かの女性が、声を合わせて囁くように歌っている。


 かすれるように聞こえるその歌が私の心の奥底をくすぐった。


 それはまるで黒板を爪でひっかいたような、真冬にストーブの直火を浴び続けた時のような心持だった。


 不快なようでいてそうでもない。


 理解できないもどかしさを感じながら私は草を掻き分けて、声のする方――ちょうど、火が見えた前方だった――をそっと覗き込んだ。


 その声は決して、秋の虫が鳴くような快い音でも、教会で聞く聖歌のような神聖な音でもなかった。


 それは嵐の夜に家の隙間をすり抜けた風があげる悲鳴に似ていて、そのような風への恐れから来る不安を掻き立てられるようだった。


 なつかしさを感じたあの火も、今では妖しさが感じられた。それでも、引き返そうとは思わなかった。




 しかしその後私が草の隙間から見たものは、それほど恐ろしいものではないように思えた。


 小学生くらいの女の子が四人ほど、輪になって燭台を掲げていた。


 女の子たちは上面がおおよそ一平米あり、地上から十センチほどの高さがあるほとんど直方体の石の周りを取り囲んでいた。


 その石の上には、古代ギリシヤ風の衣装をまとった女の子が燭台を持っていた。


 その姿はあのうすぼんやりとした蝋燭の光に照らされて、細部まではっきりと見えた。


 だが、子どもたちの持つ燭台に刺された蝋燭には、どの蝋燭にも火は付いていなかった。 


 私は困惑し、ぞくりと背筋に寒気が走るのを感じた。


 彼らは確かにあの不穏な歌を歌っていたが、あの見えた火は子どもたちでなかったのだ。




 子どもたちはみな生気のない顔をして、口をほとんど動かすこともなく歌っていた。


 私は真ん中に立つ女の子に釘付けになってしまい、動くことが出来なかった。


 その少女は紅色の髪を持ち、ギリシヤの白い布衣装をまとっていた。


 そして、紅色の瞳で私を見つめていた。

 

 彼女もまた生気のない青ざめた顔をしていた。


 私はその顔に嫌なものを感じた。


 嘲笑うわけでも睨むわけでも悲しむわけでもない表情であるにも関わらず。


 それなので、私はこの嫌悪感を余りにも少女が無表情である故だと思った。


 少女が天へ燭台を掲げた。それと同時にあの不快な歌が途切れ、辺りの光が消えた。


 突然の暗さに懐中電灯を探そうとしていると、突然恐ろしい明るさの光が目の前で光り、ひどい轟音で耳が聞こえなくなった。


 続いて身体に冷たいものが激しく降ってきた。それで、雷が落ちたのだと気が付いた。

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