第5話 儀式の完成

 月は異様なまでに赤かった。


 集落の中央、祠の前に立つ祐介の姿は、もはや“あの大学生”の面影を残していなかった。

 彼は真紅の法衣に身を包み、耳のない側頭部には黒い布が巻かれ、口元からは絶えず涎が垂れていた。

 舌を失った彼は、もう言葉を発することができない。

 だが、それこそが“完成された神の器”の証だった。


 信者たちは祐介の前にひざまずき、地に頭をこすりつける。

 誰一人、疑う者はいなかった。



――儀式の始まり。


 鐘が三度、鳴らされた。

 その音は鉱山の奥まで響き渡り、獣すら息を潜める。


 供儀台に横たわるのは、新たな犠牲者。

 誰であるかは、もはや問題ではなかった。


 四肢は切断され、呻きは絶叫へと変わり、やがて“神の声”として空へ吸い込まれていく。

 信者たちはそれを、目を閉じ、耳を澄ませ、うっとりと聴いていた。


 祐介は無言のまま歩み寄り、皿に乗せられた“耳”と“舌”を手に取る。

 それを咀嚼する動作すら、彼にとってはもはや神聖な儀式の一部でしかなかった。



 血と唾液が交じった液体が彼の喉を流れるたび、

 村人たちの歓喜の声が山に響く。


「神は、我らに満ちた!」

「この山に、救いあり!」

「命こそが供物、肉こそが恩寵!」



 そして。


 かつてこの地を偶然訪れた若者たちの名前を、覚えている者は誰一人としていなかった。

 “祭りの年”として記録されるその年、村はいつになく豊作に恵まれ、山に病は一つも現れなかったという。



 数ヶ月後。

 山道を通っていた県職員が、偶然この集落の記録を目にした。

 そこには手書きの地図と共に、こう記されていた。


「神を食らう者、神に選ばれし者。

 彼の声はすでに肉を越え、骨の奥に響いている。」


 職員はその紙を手に取り、苦笑した。

 そして言った。


「まだ、こんな時代錯誤な“まじない”信じてる奴がいるんだな」


 その声は、誰にも届くことはなかった。



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『山嚼(やまく)』 ぼくしっち @duplantier

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