第6話 交わる想い
東京は朝から冷たい雨が降っていた。
瑞月は不倫スクープの穴埋めの記事…栗原での"神隠し伝説"ネタを、どうまとめようか悩んでいた。
自らが収集したことを記事にするわけにはいかない…結局、板垣がSNSのオカルト好き仲間から集めた内容を抜粋して記事にすることにした。
記事を仕上げたときには、すでに22:00を回っていた。
編集部にはほとんど人影はない。板垣は調べものと言って出て行ったきりまだ帰ってない。瑞月は、重たい足取りで並木の部屋の扉を叩く。
「どうぞ」
低く、くぐもった声。瑞月が入ると、並木は手元の資料に目を落としたままだった。しばらくの沈黙。瑞月が切り出す。
「……訊かせてください。父のこと、全部」
並木は視線を上げた。眼鏡の奥の瞳が、どこか過去を見つめている。
「…来るべき時がきた、って感じだな」
「どういう意味ですか」
「お前が明誠社に入ってきた日、不思議な感覚だったよ。過去が自分を追いかけてきたみたいでね。まさか、あんなに小さかった良介の娘がね…」
「……私、会ったことあるんですか? 子どもの頃」
並木の表情が、見せたことのないような柔らかなものに変わる。
「あるさ。覚えてないかもしれないがね。ちょうど千波ちゃんが生まれた頃だったかな。
栗原で、お前のお父さんに会いに行った。お前は、あの時ぬいぐるみを抱えていて……お母さんの後ろに隠れて、少し警戒してたな」
瑞月は驚いた表情を浮かべた。だがすぐに、それを押し殺して問いを重ねる。
「父とあなたは…どういった関係なんですか?」
並木は静かに語り始めた。
「お前の父親、良介は…俺と同期で明誠新聞社会部記者だった。俺は政治部にいてな…まあ良介とともに明誠新聞の両エースだと言われていたんだ。妙に気が合って、二人で日本のジャーナリズムを変えるんだ!って…ライバルであり盟友であり、親友だった」
「父は…なぜ辞めさせられたんですか? 何を取材してたんですか?」
並木は深く息を吐き、椅子にもたれた。
「ふっ…さすが…良介の娘だ。察しがいいな。俺はまだ辞めさせられたとは言ってないぞ…」
並木の眼差しが鋭いものへと変わった。
「良介は、“疼痛薬理研究合同プロジェクト”という国家プロジェクトの背後を追っていた。当時の厚生省と国立衛生研究所が主導し、健生製薬が治験の中核を担う流れだったが……裏があった。厚生省医政局課長補佐だった早乙女貞一が、健生から便宜を図る見返りとして多額の賄賂を受け取っていた。——匿名の告発があったんだ。良介はそれに飛びついた」
「……!」
「俺も協力してた。中央省庁が絡んでるからな。政治部の立場から、裏を取ったり、関係者をつないだりしてな」
「じゃあ、なぜ記事が出なかったんですか?そんなこと追っていたなんて記録、社のどこにもなかった!」
「ある日、突然、良介が辞めさせられた。理由は聞かされなかった。会社の誰もが腫れ物に触るように沈黙していた。そんな記録…残しておくわけないだろ。お前も二年前に経験済みだ。だが俺は疑問を持った。だから良介の掴んでいたものを——引き継いだ」
並木は机の引き出しを開け、数冊の古い手帳を取り出して見せる。
「これは良介のノートの写しだ。栗原で治験の準備が始まっていた。それが手がかりになって、再び良介と連絡を取った。彼は地元に戻っていたが、調査は続けていたんだ」
「……父は、一人で動いていたんですか?」
「いや、俺も何度か栗原に足を運んだ。お前にも会った。……正直に言おう、あの頃、俺の家族にも“警告”が届いた。良介の記事を出すつもりだった矢先だ。——この国の、もっと奥の部分が動いた。俺は、家族を守るしかなかった…良介は"あとは俺に任せろ"と」
瑞月は拳を握りしめた。
「……じゃあ、父が言った“俺に任せろ”って……」
「ああ。あれは、俺を守る言葉でもあった。“お前よりフリーの俺の方が目立たない”と。彼はそう言って、単独で動き出した。……そして、ある晩、俺の携帯に電話がかかってきた。“明日、証拠を受け取ってほしい”と」
「それが……最後の会話だった?」
並木は静かに頷く。
「翌朝、彼の死が報じられた。『山中で転落死』とされていた。足を滑らせて谷底に転落って…信じられるか? あの慎重で冷静な男が——」
瑞月は震える声で尋ねる。
「その後……何か、掴めたんですか?」
並木は大きく首を横に振る。
「……会社に呼び出された。“まさか調べようとしてないだろうな”と。俺は第五特別編集部に異動を命じられた。“大人しくしてろ”とな」
「……!」
瑞月は二年前、この編集部に飛ばされた日、並木にそう言われたのを思い出す…そういうことか。
並木の顔が紅潮していくのがわかる。
「それでも、調べた!会社の目を掻い潜って、栗原に旅行と称して行き、良介が遺した取材手帳や資料を、良介の部屋からなんとか回収した!そこに残っていた取材記録は、かすれていたが……」
並木は一気に喋った後、ふと我に返ったように大きく息を吸った。
「あいつが追っていたものは癒着でも不正でもなかった。もっと根深いもだったということだ。そして……ようやくお前が、その意味を明らかにしようとしている」
瑞月の目が潤む。
「父が、全部ひとりで背負ったこと。並木さんが、それを黙って引き継いできたこと。……なのに私は、ずっと疑ってた」
並木は、少し笑った。
「疑ってくれて、よかった。——だから、今ここにお前がいる」
*
扉が軋んで開く音に、瑞月と並木が同時に顔を向けた。
「……あ、すんません。ちょっと遅れましたぁ」
板垣がいつもの軽い調子で入ってきたが、室内の空気の重さに気づいてすぐ、声のトーンを落とす。
「えっと……今、話の途中っすか?」
「ちょうど一段落ついたとこよ」
瑞月が言う。どこか張りつめた声だった。
板垣はうなずいて、手にしたスマホを見ながら話し出す。
「さっき、もう一回岡崎さんの話、確認してたんすけど……。
あの“神隠し”の件、やっぱ気になるんすよ」
「神隠し……?」
並木が低く反応した。
「鵜崎が消えた直後に、栗原周辺で子どもが何人か行方不明になったって。岡崎さん、言ってたじゃないすか。“地元じゃ神隠しの再来って騒がれてた”って」
瑞月も黙ってうなずく。
「で、調べたんすよ。10年前、あの地域で実際に“行方不明”の届け出がされてた件、三つくらいは記録残ってるんですよ。でも、どれもすぐに取り下げられてる。
……理由はどこにも書かれてない。そんなの、ありえないっすよね?」
並木も瑞月も沈黙したまま。板垣は続ける。
「……もしかして、あの“神隠し”、ほんとは治験と関係してたんじゃないかって。
分かんないですけど、例えばKSP-108の副作用とか、そういうのを隠すために、子どもたち、一時的にどっかに――隔離されたとか」
並木の目がわずかに揺れる。
「待て、憶測でものを言うな。根拠は?」
「いや、まだ…でも、タイミングが合いすぎてる。治験の進行、鵜崎の失踪、そして“神隠し”が騒がれた時期……全部、重なってるんです!
変な言い方すけど、これ“誰かが記録を消した”って雰囲気、しません?」
瑞月がそっと声を上げた。
「もしそうなら、“神隠し”って言葉で全部ごまかされてた…ただの都市伝説じゃない可能性があるってことね」
並木は目を閉じ、少し息を吐く。
「――俺も、10年前にその話を聞いた。岡崎さんからだ。
ただの迷信だろうと思って、深くは掘らなかった。……いや、掘れなかったんだ」
「どうしてですか?」
板垣の問いに、並木はしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。
「何もかもを敵に回す覚悟が、あのときの俺にはなかった…」
「なぜ僕たちを栗原に?」
「……何でだろうな」
並木は少し自嘲したように続けた。
「冴木が早乙女の写真を持ってきた時、"もう一度、あの時の続きを追う必要があるんじゃないか?"って…"今がその時なんじゃないか?"って思ったのかもな。
そうしたら、お前のボツ企画を思い出した。まさかお前たちがこんなこと持って帰ってくるとは…思った以上に、俺の想像を超えてきたよ」
瑞月は、静かに並木を見つめた。
彼の目の奥には、微かに紅く炎が灯ったように見えた。
*
——編集部を出ると、夜風が思ったよりも冷たく感じられた。雨は上がっていた。
街はまだ明るく、どこか現実離れしたように騒がしい。
瑞月は、さっきの並木や板垣の言葉を頭の中で繰り返していた。
「良介の追っていたのは、癒着でも不正でもない。もっと根深いものだった」
「栗原で"治験の準備"があった」
「……“神隠し”は、ただの都市伝説じゃない」
胸の奥がざわついている。
父が追っていたもの、そして”神隠し”。
繋がりかけた点が、また霧に包まれていくような感覚。
そのとき、スマホが小さく震えた。
通知画面に表示された差出人の名前を見て、瑞月は立ち止まった。
From: Chinami
件名: もうすぐ
お姉ちゃんへ
ごめんね。黙ってたことがあるの。
あの庭で、あのとき、見たことがあるの。
何を見たのか、ちゃんとは思い出せない。
でも、ずっと心の奥に残ってる。
……あの場所で、何かが始まってた。
それが、ずっと続いてる。
お姉ちゃんがそれを追ってるなら、本当に気をつけて。
私は、思い出す準備をしてる。
ちゃんと、全部。
千波より
しばらくその場から動けなかった。
その言葉は、まるで彼女の行動を見透かしていたかのようだった。
風が頬をかすめる。
それが背筋を撫でていくのと同時に、どこかで冷たい波が押し寄せてくるのを感じた。
スマホを手にしたまま、瑞月はそっと目を閉じた。
そのまま、静かに歩き出す。
——その夜、瑞月は夢を見た。
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