日常-2

 翌日の休み時間、しんは机に突っ伏し、同化していた。同級生からの哀れみの目を一身に浴びている。


「おい、しん、なにやってんだよ」


 勢いよく頭を抑えつけてきたのは、親友のかずきだ。

 力任せに頭をぐりぐりされ、呻き声が漏れる。


「いってぇ……!」

「よりによって山中の数学で課題シカトするとか、ねえわ」

「終わんなかったんだよ……」


 しんは顔を上げる気力もなかった。


 ごはんを食べたらゲームをすると、香織と約束した。夕飯前に課題が終わらなかったなんて言い訳は、香織にはできない。

 ゲームのあとはお風呂、歯磨き、そして就寝だ。香織の睡眠を妨害しないために、しんは香織が寝た後は電気を付けない。


「朝の一時間で終わると思ったんだけどなあ……」


 自分の見積もりの甘さと数学の不出来が原因だ。言い訳はできない。


「朝のうちに山中に質問にいきゃよかったのに」

「嫌だ」


 しんは即答した。

 問題を理解できない生徒をねちねちといじめ上げる山中に、質問になんて行きたくない。できれば今後一切会話をせずに学校生活を終えたいくらいだ。


「まあ、済んだことだ。どんまい」

「済んでねえよ! 俺だけ別の課題出された!」

「あ、そうだっけ?」


 他人事である。

 間違ってはいない、所詮は他人だ。


「よし、かずき、そのスペシャル課題を手伝わせてやる」

「パス」


 かずきは即答した。しんは鼻をひくりと痙攣させる。


「てめ」

「俺、数学、苦手」

「よくもまあいけしゃあしゃあと」


 苦手なわけがない。

 数学はかずきの大得意科目だ。テストの旅に学年で一、二を争っている。


「面倒くさいだけだろ。困ってる親友を見捨てるのかよ」

「え、親友なの?」


 わざとらしい軽口に、容赦なくパンチをお見舞いする。命中した鳩尾を手で押さえ、かずきは少しむせた。


 かずきとは、幼稚園からずっと一緒だ。

 近所の小学校、中学校に進学したため、当然そこも一緒。

 高校はさすがに分かれるかと思ったが、互いの志望校を言い合ってみれば一緒だった。

 腐れ縁だ。


「香織ちゃんは最近どう?」


 かずきはしんの数学ノートをめくりながら、さりげなく聞いてくる。しんも気にしていないふうに、椅子を揺らしながら答える。


「どうとも。とくに変わりないよ」

「そりゃいい」


 心地良い沈黙が流れる。




 両親が死んだことも、もちろんかずきは知っている。香織が父母を探して外を歩き回ったり、しんの言葉すら強く拒否していた時期も、一緒に見守ってくれた。


「香織ちゃんのことでいっぱいいっぱいになってるけどさ、おまえだって泣いていいんだぜ」


 あのときの真剣なかずきの顔を、震える声を、しんは一生忘れないだろう。


「泣いていいんだ。香織ちゃんのためだけにがんばらなくていいんだ。

 母ちゃんも父ちゃんも死んだら、悲しいに決まってんだろ!」


 当たり前のことを叫ばれ、麻痺した心が突然ほぐれた。

 二人で向かい合ってわんわん泣いた。

 頑張らなくていいと言ってくれたことも、一緒に泣いてくれたことも、その全てが尊くて、この親友は一生親友であると確信した。




「これは九十八ページの公式三で解け」

「え?」


 呆けた顔をする。かずきは面倒臭そうにノートをゆすった。


「いや、おまえに出されたスペシャル課題だよ。見てやってんだよ。ほれほれ、今の時間に解け」


 小突かれ、しんは慌てて教科書をめくった。


 しんはさほど友人が多いほうではない。

 人付き合いが悪いと自分でも思う。家に課題を持ち帰らないために休み時間は机に向かっていることが多いし、授業が終わればすぐに帰るのだから、仕方ない。

 そんなしんを、かずきはそっと支えてくれる。


 いつか返したい借りだけが溜まっていく。

 それでも、親友に甘えるこの時間はなんとも心地が良かった。

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