第十階層攻略

第5話 国際探索者協会日本支部①

 ところで、枕は柔らかいよりある程度は硬い方が良いと、僕は常々思っている。

 テンピュールとか低反発みたいな柔らかいのも悪くはないけど、やっぱり首の後ろをがっしり支えてくれる蕎麦殻そばがらのあのごろごろした感触には代えがたい。


 たぶん父さんがまだ生きていた頃、家で使っていたのがそういうタイプの枕だったからだと思う。探索者エクスプローラー養成学校の学生寮に入って最初にやったのは部屋に備え付けの枕を通販で買い換えること。以来三年間、毎日同じ枕を使い続けている。

 

 だからわかる。

 ここは間違いなく自分の部屋のベッドの上。

 ゆっくりと目を開けて、見慣れた白い天井をぼんやりと眺める。


「……あれ、えっと……?」


 どうにも頭がぼんやりして記憶がはっきりしない。なんとなく手を伸ばそうとして、痺れるような痛みに思わず悲鳴を上げてしまう。

 腕にも脚にも体の他の場所にも、ものすごい筋肉痛。

 なんで、と思った途端に、ありとあらゆることをまとめて思い出す。


「そうだ……卒業試験……!」


 大阪ダンジョンの第一階層でとんでもない高レベルモンスターに襲われて、絶体絶命のところで青い髪の少女に出会った。僕を「わたしの王」と呼ぶ変な少女と契約して、固有ユニークスキルを身につけて、大立ち回りの末にどうにかレッサーサイクロプスを倒して──


 ……それで、その後は……?


 おそるおそる布団の中を覗き込み、自分がパジャマを着ているのを確認する。ということはどうにか自力で部屋に帰ってきて着替えたはずなのに、なぜか全く記憶に無い。

 窓際に置いたスマホの待ち受け画面の表示は三月二日の朝七時──つまり、あの戦いの次の日の朝。

 わけが分からない。とにかく起きなきゃと僕はベッドの上でごろんと反対向きに転がり、

 

「は……?」

 

 布団の隣にはもう一人、青い髪の少女。

 ん、と細い吐息を漏らしたニミュエが、青い瞳を開いて何度か瞬きする。


「やあ……気持ちのいい朝だね。わたしの王」

「え、いや、あの……?」


 とんでもない不意打ちに、目を丸くしてしまう。

 そんな僕の前でゆっくりと身を起こす少女。

 白いシーツが同じくらい白い肌を滑り落ちると、一糸まとわぬ少女の体が露わになる。


「ま! 待って! ちょっと待──!」


 慌てて飛び起きざま手を伸ばし、胸が見えてしまう寸前でシーツを押さえることに成功する。白い布を慎重に上に動かし、少女の細い肩を覆うように巻き付け、


「あの、あのさ……」

「皆まで言わずとも分かっているとも、わたしの王。こうなるに至った経緯を説明しろと言うんだろう?」


 ニミュエは薄いシーツ一枚で隠れただけの胸に偉そうに右手を当て、

 

「まず、昨日、君はレッサーサイクロプスの討伐に成功した後、体力を使い果たして気を失った。同時に君が所属している探索者エクスプローラー養成学校の救出部隊が駆けつけ、君は彼らに保護された」


 それは何となく覚えてる。 


「わたしは君に同行し、学校長とやらに状況をかいつまんで説明した。途中でわたしを不審者呼ばわりする無礼者を五人ほど叩きのめしたが、まあそれは些事だ」


 なんだか頭が痛くなってきた。

 それで? という気持ちを込めて視線を向けると、ニミュエはなぜかますます偉そうに、


「わたしが不審者などではないという点については、その後に現れた学校長の上司の上司の上司だという男が保証してくれた。それで、ともかく君を自室に運んで休ませようということになり、わたしがその役目を買って出た。……部屋にはベッドが一つしか無いということで彼らは何やら渋っていたが、わたしが小型の妖精体に変身して見せると納得してくれたよ」

「えっ」


 妖精体っていうのは、レイド・バトルで見たあの小さなマスコットみたいな姿のことだろう。

 いや、じゃなくて。


「……で? その後は?」

「もちろん、君の服を全て脱がせ、新しい下着とその『パジャマ』という夜着に着替えさせた。さすがにシャワーを浴びさせるのは難しかったからな。後で汗を流すと良い」

「はぁ!?」


 恐れていた通りの説明にくらくらする。

 見られた。

 たぶん、まるっと、全部。


「そうして君をベッドに寝かせたのだが、わたしも汗を流したくなってな。シャワーのついでにドレスを洗ったのだが、代わりに着る服が無い。そこで、必然的に裸で君とベッドを共にすることに」

「言い方ぁ!」


 思わず、あーもー、と天井を仰いで、


「おかしいだろ! 僕のパジャマの替えとか下着とか、適当に借りるのいくらでもあっただろ?」

「君のパジャマは大きすぎる上に肌触りが最悪だ。まして、あのトランクスとかいう男性用の下着に至っては論外。あんな無粋な物を身につけるくらいなら潔く死を選ぶとも」

 

 なんだか泣きたい気分でため息。

 と、「納得いったかい?」と微笑んだニミュエが、思わせぶりに目を閉じて、んー、と唇を近づけてくる。

 春の花畑みたいな、そよ風みたいな爽やかな香り。とっさにベッドの上で後ずさると、少女はぷぅっと頬を膨らませ、

 

「いったい何が不満なのだ、わたしの王」

 シーツ一枚で隠された体を誇るように胸を張り、

「これほど美しく、気高く、そして可憐な乙女が君に無条件の好意を向けているのだぞ? 君さえ良ければ今すぐ夜伽の求めに応じるのもやぶさかでは無いというのに、君はどうしてわたしに恥をかかせようとするんだい?」


 不敵な笑みを浮かべるニミュエに、僕はちらっと横目を向ける。

 顔は間違いなく可愛い。控えめに言ってもとんでもない美少女だ、

 だけど、シーツに隠れてしまって在るんだか無いんだかもわからない胸とか、細すぎる肩とか腕とか脚とか、とにかくありとあらゆるパーツが、なんて言うか、こう。


「……犯罪っぽくてちょっと辛い」

「はははははははは。君はわたしの寛容と慈悲の心に感謝すべきだな」


 すごく良い笑顔のニミュエが両手の拳で僕の頭とか腕とかをぽかぽか殴る。ものすごくめんどくさい気分でベッドの上を這って逃れ、


 いきなり開け放たれる部屋の入り口の扉。

 とっさに動きを止める僕とニミュエを、スーツ姿の男が呆れたように眺める。


「学籍番号114514、相馬隼人」

 いかにも真面目っぽい男の人はサングラスを外して胸ポケットに収め、

導き手ガイドとの関係に口を挟むつもりは無いが、時と場所はわきまえた方が良い」

「え? ち、違、これは……」


 言いかけて我に返る。

 今、この人、ニミュエのことを「導き手ガイド」って言ったか?

 それに、この顔、確か……


来栖くるす支部長?」


 反射的にベッドから飛び降り、ニミュエを背中に隠す位置で背筋を伸ばす。


「私の顔を覚えているか。感心な学生だ」

 国際探索者エクスプローラー協会日本支部長、来栖仁くるすじんという名前の男はうなずき、

「一時間後に校長室に来い。大阪ダンジョンの現状と君の今後について話がある」

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