第5話
姉の怒りに触れて、すっかり意気消沈したタマキはスカートを脱ぎ、ズボンにはきかえた。そして、このスカートを恐々姉の部屋に返しに行くと、部屋にいた姉は険しい顔で受け取り、タマキの目の前でドアを乱暴に閉めた。
お父さんとお母さんに言いつけるって言っていたけれど、本当だろうか。まだ母には言っていないようではあるけれど。
やがて夜になった。父が帰宅した玄関戸のばたんという音が聞こえる。それと同時に勢いよく姉が部屋からでて階下に駆け下りていく音がした。
タマキは絶望に顔色が青ざめる。
姉は言うつもりだ。僕のことを。
タマキは姉が恨めしい。言いつけるだなんて。どうしてそうタマキを追い込むことをするのだ。どうして、姉は理解がないのだろう。姉の性格の悪さが憎い。
「タマキ」
母の声が響く。
「ちょっと降りていらっしゃい」
胸がつまったタマキは返事もできず、凍り付いた。しかし、無視するわけにはいかないのだ。どうせ無視しても呼びに来るのだ。いかなければならない。
地獄の瞬間が早く終わることを祈って、タマキは階下に降りて行った。
「座って」
母と父と姉はダイニングテーブルを取り囲むように座っていた。開いた一つの椅子に、タマキが座るように母は進める。
父は不機嫌に顔を痙攣させている。そして、タマキが椅子に座るのを見届けてから、彼は言った。
「千佳のスカートを履いて遊んでいたのか」
「はい」
タマキはそういうよりほかにない。
「なんでそんなことをしたんだ」
「遊びで」
「お前はナヨナヨしているし、何か普通とは違うな。女になりたいのか」
タマキは黙り込む。父の言葉は侮辱的だ。それがわかって胸がちくちく痛み、辛い。本当のことを言うべきかそれとも嘘を言うべきか迷った。女になりたい。というか、女のような男になりたいのかもしれない。
「男が好きなのか!」
タマキが黙っていると、いきなり父は声を荒げた。
そして、力いっぱい拳でテーブルをどんと叩いた。
タマキは羞恥に顔が赤くなる。まるで身ぐるみはがされて裸に剥かれたみたいに、心ぼそい。そうだ、男が好きだ。久留米京太郎が好きなのだから、男が好きということになる。
「そうですよ」
タマキは偽ることが嫌でついに言った。
「ほらあ! やっぱりそうだ!」
姉の千佳は、わっと泣き出した。
「なんなの? 気持ち悪いよ、おかしいよ。どうして普通でいてくれないの。恥ずかしいよ。私もう外を歩けない……!」
姉の叫びに煽られるようにして、父も怒りを顔中にたたえ、立ちあがり、タマキの頬を力いっぱい打った。
「馬鹿野郎! お前は何という恥知らずだ!」
「やめて、お父さん」
母が必死に父を押さえる。
「ね、タマキ、もうそんなことしないでしょ。普通になれるよね。ほら、お父さんに言って。普通の男になるって。大丈夫だって」母は優しく説く。
しかし、タマキには、家族が自分の心を踏みにじっているようにしか思えない。
自分らしく生きることを封じて、自分じゃない何者かになることを強要している。それは、ひどくタマキの心を傷つけることだ。
家族全員、タマキを信頼していないんだ。人として扱ってくれないんだ。都合が悪いと捨てるのだ。
悲しみに胸が張り裂けそうだ。
タマキは家族の冷酷さを前に、涙がこみあげてくる。唇がぶるぶると震える。
「おい、バリカン持ってこい」
父は母に言った。
「こいつの髪剃って、心を改めてもらう」
タマキはぎょっとして飛び上がった。
「わかりました。ごめんなさい。男になるから普通の男になるから、そんな事しないで」
必死に懇願すると、父の顔も多少和らいだ。
「本当だな。もう女みたいなことしたら、ただじゃ置かないぞ。つぎそんなことしたら精神病院にぶっこむからな」
「はい、わかりました。ごめんなさい」
謝りながらも、タマキは屈辱に胸が張り裂けそうだ。
家族がタマキを否定するなら、もうタマキは家族を家族と思わない。自分を苦しめる人をどうして愛せるのだろう。
嫌いだ。
タマキは決意した。
こんなのが家族なら、もう家族なんていらない。
絶縁してやる。
家だって、出て行ってやるんだ。
「もういいわね。じゃあ、ごはんにしましょ」
母は問題が解決したとほっと安堵し、嬉しそうに言った。
「僕はいい。カップラーメン後で食べるから」
こんな家族の傍でごはんをともにするなど、屈辱だ。嫌いなんだ。もう大嫌いなんだ。一緒にいたくない。正直軽蔑している。
タマキが席を立ち、階段を上がっていくと、
「なんだ、あいつは」という父の非難めいた声が聞こえた。
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