其の一、「ひとりで寝たくない」完
以前極楽へ見送った、小さな男の子が使っていたものである。
「あのガキ、やけに長えことこの家に居座ってたよな。お前母親ヅラしてたっけ」
「うるさいな。一人は怖いって言ってたから、隣で寝てあげてただけだよ」
一人は怖いから、お姉ちゃん一緒に寝ようって。あのオジサンはなんか嫌だって。
アカツキは、その男の子が極楽に逝くときまで、ずっと隣にいて安心させていた。二人が住んでいるこの家は、たまに子どもの魂が遊びに来るところであり、お菓子を食べたり庭で遊んだりして、逝き先が決まるまでの少しの時間を楽しむための場所なのである。
人間界の言葉でいえば、保育園や幼稚園のような。
「・・・・ちょっとくらい使ったって、バチなんざ当たるわけねえ」
その日の昼。町を散歩していたアカツキは、興味深い話を耳にする。たまたま入った定食屋で、客同士の会話を小耳に挟んだのだ。
「先に極楽に行った女房が昨日夢に出てきたんだ、『愛してる、ありがとう』って言ってたよ。あいつらしくねえ言葉だ、なんで夢の中なんだよ」
「夢の中でしか言えねえこともあるさ。最近よくあるらしいぜ。自分のことを大切に思ってくれている人が、自分の夢に出てきて、最後に伝えたかったことを伝えに来るんだってよ」
「・・・・くそが。俺はいつもみたいな、可愛げのねえ言葉が欲しかったな」
その客は、少し声を震わせながらそう言った。
自分のことを大切に思ってくれている人が夢に出てくる、か。人間界であれば噂程度の話だろうが、死境ではありえないことではない。むしろ、寝ている間の一興といえる。
「ただいま、ミヤビ」
アカツキが散歩から戻ったのは午後四時頃、ミヤビはソファでうなされながら昼寝をしていた。アカツキは、ミヤビにそっと毛布をかけて、晩ご飯の支度を始める。これが、二人のいつもの生活。アカツキはミヤビのうなされている声を聞いても、毎日のことなので放っている。ミヤビはしばらくすると、自分のうなされる声で起きて、シャワーを浴びて、出来上がっている晩ご飯を食べる。そして酒を飲んで、酔い潰れる。
「あんた、またうなされていたよ」
「・・・そうかい」
アカツキとミヤビは、それ以上何も言わない。どちらも無駄な会話はしないタチなのだ。
次第に、夜が更けていく。布団を敷いて、歯を磨いて、電気を消す。アカツキはミヤビの隣で、いつもとは違う枕を抱きしめて、ゆっくりと眠りについた。
その夜、アカツキは、短く深い夢を見たんだ。
どこまでも果てしなく広がる白い空間に、自分ともう一人。それはどこかで見たことのある顔だった。歳は、五つくらいだろうか。幼い男の子が立っている。
「あんたは・・・・前の・・・・」
「覚えててくれたんだ、お姉ちゃん」
「極楽に逝ったんじゃないの・・・・なんでここに」
「・・・・僕、お姉ちゃんに伝えたいことがあって。戻ってきたんだ」
その少年は、どこまでも澄んだ顔をしていた。
「ずっと暗いところで独りぼっち、寂しかった。・・・・でも今日は、お姉ちゃんにまた会えた。久しぶりに、隣にいてくれたね。
・・・・安心できた、ありがとう」
少年はそう言って、背中を向けて歩き出す。そしてそのまま、白い空間に溶けていった。
そこでその夢は終わったんだ。あっさりとしていたけれども、何か心に残るものがあった。
あの客の話は、ただの噂なんかじゃない。本物に違いないや。
翌朝、
「よおアカツキ、ぐっすり眠れたか?」
いつもと変わらない、ミヤビの酒焼け声。
「うん」
「ぼろい枕、乾いてんぞ」
ミヤビは煙草をふかしながら言った。アカツキは、あの枕を抱いたまま布団から起き上がり、ぼろい枕には目を向けずに言う。
「いいや、今日からこれ使う」
これからはずっとこれと寝る。
其の一、「ひとりで寝たくない」 完
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