『月刊 チョコレート工場を作る』

水上歌眠

『月刊 チョコレート工場を作る』

 今度という今度こそ、辞めてやる。私はそう憤りながら、駅までの道を歩いていた。

 新卒でなんとか滑り込んだ会社で、自分を騙し騙し過ごした時間は、もう五年になっていた。五年か。五年あれば、どれほどのことができただろう。怒りはだんだんと空しさへ変わり、私はいったん気持ちを整理しようと、立ち止まった。

 そこは駅ビルに入っている本屋の前で、平積みされた雑誌が目に入った。


 『月刊 チョコレート工場を作る』


 雑誌のシリーズとしてはよく見かけるものだった。毎号、プラモデルのパーツが付録としてついていて、最終号まで全て買うと必要なパーツが揃い、プラモデルが完成する、というものだ。

 それにしても、チョコレート工場の模型とは、マニアックすぎないか。そう思って隣に並んでいる同じシリーズの雑誌を見ると、『月刊 クラシックカーを作る』と『月刊 戦艦大和を作る』だったので、果たしてチョコレート工場とどちらがマニアックさで勝るのかは、判断できなかった。

 表紙には、やけにリアルなチョコレート工場の外観が載っている。窓は少なく、凹凸の少ないシンプルな外観で、いかにも食品工場らしい清潔さがあるが、一角だけ大きな窓とカウンターが備え付けられており、ピンクや明るい茶色の可愛らしい色で塗られていた。きっと、工場直売を行う窓口なのだろう。

 自分だけのチョコレート工場か。不意に甘い香りが漂ってきたような気がして、私は『月刊 チョコレート工場を作る』の創刊号を手に取り、レジへ向かっていた。


 家に帰って『月刊 チョコレート工場を作る』創刊号を紐解いてみると、予想に反して、付録らしきものは付いていなかった。その代わり、一枚のはがきが挟まっていた。どうやら、サイズの関係で創刊号にパーツが収まらなかったので、はがきに住所を記入して投函すると、その住所へ後日パーツを届けてもらえる、ということらしい。

 雑誌の内容はなかなか本格的で、チョコレートの加工に関する歴史や、味の流行の変遷、チョコレート工場で働くための資格や手続き、チョコレート職人へのインタビューなどが載っており、現実を忘れて楽しく読むことができた。

 この内容なら続けて読みたいと感じ、私ははがきに郵送先住所を書き、『定期購読を希望する』欄にチェックを入れ、翌朝忘れずにポストへ投函できるよう、はがきを玄関マットの上に置いた。

 未来を楽しみに思えたのは、久しぶりだった。


 一週間後、自宅のワンルームに、予想外に大きな荷物が届いた。品名には『テンパリング・マシン』と記載がある。どう考えても、プラモデルの大きさではない。慌てて創刊号の表紙を確認した私は、どこにも『プラモデル』とは書かれていないことに気が付いた。

 まさか、本物のチョコレート工場のパーツが送られてくるということか。そんな馬鹿な。急いで定期購読の解約方法を調べようと、創刊号を開くと、チョコレート工場で働く人へのインタビュー記事が目に入った。チョコレート職人たちが白いコックコートに身を包み、まぶしい笑顔や真剣な表情で写っている。

 そうだ、私は仕事を辞めたかったのだ。チョコレート工場が本物なら、そこで働く人が必要ではないか。私のチョコレート工場なのだから、私が工場長だ。工場長になって、これからは、好きなチョコレートだけを作って暮らそう。ナッツを入れて、チェリーを飾ろう。

 私は、定期購読の解約ではなく、配送先を実家の住所へと変更する手続きをとった。


 それからは毎月、様々なものが届いた。工場の建材、コーティング・マシン、メルティング・ケトル、粉ふるいマシン、自動包装機。両親は、私が仕事を辞めたと聞いたときは目を白黒させていたが、あまり干渉せずにいてくれた。

 土地を借り、チョコレート工場を建築し、製造ラインが完成に近づいていくのと並行して、私は雑誌の情報を参考に、営業許可証を取得したり、他社の商品ラインナップを研究したりと、精力的に動き回っていた。本当は、私はずっと、こういうことがやりたかったのだ、と思った。会社員時代よりも体に力が湧いてきて、無限に動けるような気がした。

 来月はいよいよ『月刊 チョコレート工場を作る』の最終号となったとき、次回予告が目に入った。

 『最終号の付録は、工場長!』


 気が付くと、私は本屋の前に立っていた。

 平積みされた雑誌が目に入った。


 『月刊 拳銃を作る』


 私はそれを手に取ると、レジへ向かった。

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