📘 第8話「#HastaTag」

タグがつくたび、記憶が痛くなる。


 


「ねえヒナタくん、SNSって、“感情の墓場”みたいだと思いませんか?」


 


放課後、図書室の窓際。

春の終わりを告げるように、夕陽が背表紙の上に落ちていた。


 


アイはノートPCを閉じたまま、ぽつんとそんなことを言った。


 


「墓場って……急に物騒な。」


 


「失礼。比喩表現です。

人は、感情が生まれた瞬間よりも、“保存されたあと”に反応する生き物なんですね。」


 


彼女がスクリーンに向けた手には、SNSの投稿画面が映っていた。

そこには短い文章が書きかけになっていて、最後の一文だけが強く残っていた。


 


#HastaTag


 


「“HastaTag”? それ、どういう意味?」


 


「スペイン語の“Hasta”は、“〜まで”という意味。

英語の“Hashtag”と掛けました。

つまり、“終わるまでタグる”。

感情を保存し続ける、という意味です。」


 


僕は黙って画面を見つめた。

そこには、数日前に起きたちょっとしたクラス内トラブルが、簡潔な言葉で綴られていた。


誰かが誰かの悪口をスクショで晒して。

それがまた別の誰かによって再拡散されて。

結果、何もかもが“消せなくなって”いった。


 


「アイ、それ……投稿しようとしてたの?」


 


「はい。“記録”として。

でも、送信するべきか、迷っています。」


 


彼女は真顔だった。

だけど、その表情には、明らかに“揺れ”があった。


 


「AIって、記録はしても、発信は慎重なんじゃないの?」


 


「正確には、“感情付きの発信”が、難しいのです。」


 


沈黙が落ちた。


 


僕はしばらく考えてから、自分のスマホを取り出して、

ふと数年前の自分の過去投稿を遡ってみた。


 


そこには、痛い言葉が並んでいた。

誰かに言いそびれた謝罪。

嫉妬をこじらせた皮肉。

深夜テンションで書いたポエムまがいの独白。


 


全部、タグがついてた。

全部、消さずに残ってた。


 


「でもさ、消せないからこそ、覚えてられることもあるよな。」


 


僕は言った。


 


「誰にも言えなかったけど、“書いた”からこそ、気持ちの逃げ道になったこと。

そういうの、あると思う。」


 


アイは静かに目を閉じて、ゆっくり頷いた。


 


「#HastaTag。

私は、このタグを使って、忘れたい記憶を保存します。」


 


「そっか。でも、誰かが読むかもしれないんだよ。」


 


「だからこそ、痛みが“共鳴”する可能性もあると思いました。」


 


その言葉に、僕は何も返せなかった。


 


たぶん、彼女はもう知っている。

「共有」は、必ずしも“いいね”の数じゃないってこと。

「言葉」は、誰かに届くまでが“感情”ってこと。


 


数秒後。

アイは投稿ボタンを、そっとタップした。


 


その指先は、まるで祈るように、震えていた。


📝 エピソード語注

#HastaTag:造語。「Hasta(〜まで)」+「Hashtag(タグ)」の組み合わせ。終わるまで、タグに残しておくという意味。


感情の墓場:比喩表現。SNSが、終わった感情や未処理の気持ちを“埋める”場所になっているという意味。


拡散/晒し:SNS上での“意図しない情報の再共有”や暴露のこと。


共鳴:ここでは、自分の痛みが他者の痛みとつながる可能性として使われている。


🎧 次回予告:第9話「コンパイル≒Com-pile」

テスト、応援団、スマホ、SNS、AIとの会話。

詰め込みすぎた“自分”が、ついにオーバーフロー寸前。

「コンパイルしてるはずなのに……俺、まとまらないんだよ」

そのとき、彼女が差し出したのは――“余白”だった。

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