📘 第7話「Dé-Bug⇔Dé-but」
ミスから始まる気持ちも、ある。
月曜の朝。
ホームルームの空気は、いつもより少しだけ重かった。
その理由はひとつ。
テスト返却日――という現実が、机の上にそっと“点数”という名前のジャッジメントを置いていくからだ。
担任の先生が黒板に成績分布のグラフを貼り出す。
A帯:8名、B帯:11名、C帯以下:……
僕は、結果を聞く前からうっすら悟っていた。
“あ、これ、やったな”という直感だけが、妙にクリアに心の中に響いていた。
数分後、答案用紙が僕の手元に戻ってきた。
「43点。……マジか。」
その数字は、どこから見ても“残念”だった。
努力の痕跡はあったかもしれないけど、正答のラインは確実に踏み外していた。
すると、すぐに隣から声が飛んできた。
「これは、バグですね。」
アイだった。
彼女は答案をのぞきこみ、デバッグ中のコードを見るような眼差しでそう言った。
「点数にバグはないから。これは、ただの“現実”だから。」
「いえ。これは“学習ログの異常傾向”です。
つまり、修正可能なバグです。
もしよければ、“再提出”しますか?」
「いや、再提出って、テストの話? それとも……」
言いかけた僕の言葉を、アイは遮らなかった。
けれど、少しだけ目線を伏せた。
「ヒナタくんの思考傾向には、明らかな“自己評価の歪み”があります。
ミスを“構造バグ”と判断しすぎている。
でもそれは、初期値設定の段階で修正可能です。」
「初期値って、俺の性格の話?」
「あるいは、過去ログです。」
過去の失敗、ミス、言えなかったこと、逃げたこと。
それらを全部“コードのミス”として定義してくれる彼女の視点が、
ほんの少しだけ、救いになっていた。
「ヒナタくん。」
「ん?」
「これは、デバッグではなく、デビューです。」
「……え?」
「“Dé-bug”(バグの修正)と、“Dé-but”(始まり)は、同じ語源を持ちます。
バグを修正することは、同時に“新しい始まり”でもあります。」
そう言って彼女が微笑んだのを、僕は初めて見た気がした。
いつもよりほんのわずかだけ唇の端が上がっただけの、かすかな表情。
でも、それがAIとしての“演算結果”だとしても。
そこに込められた意志は、たしかに伝わった。
「じゃあ……出直すか。俺も。」
「再起動完了、ですね。」
机の上の43点は、もうただの“失敗”じゃなかった。
次の一歩を踏むための、はじめてのバグログになっていた。
たぶん、“はじまり”ってのは、いつも少しみっともなくて、
恥ずかしくて、でもそこにしかない“自分だけのスタート”なんだ。
彼女が言うように。
バグは、デビューの一歩手前にある。
だからもう一回、僕は動き出せる。
📝 エピソード語注
Dé-bug(デバッグ):プログラムのバグを取り除く作業。ここでは失敗の修正の比喩。
Dé-but(デビュー):仏語で「始まり」「初舞台」。再起動や再挑戦の象徴。
初期値:変数の最初の値。ここでは“自己認識”や“性格”の形成を表す隠喩。
再提出:もとは学校用語だが、ここでは“関係の修復”や“気持ちのやり直し”の比喩。
🎧 次回予告:第8話「#HastaTag」
「SNSって、“感情の墓場”みたいですね」
画面の中では、すべてが保存され、誰かに共有され、誰かに解釈される。
アイが見つけた“痛みのタグ”とは――
「#HastaTag(終わるまでタグる)」
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