第36話 彼氏の左頬のたたき《ビンタ》と左脛いため《痛め》⑥

 小さなランプが一つ分。

 これが今ヴェロニカが頼れる灯りの全てだった。


 底冷えする地下牢から三人揃って脱出し、足音が響く狭い石造りの通路を縦並びで急いでいる。


 先頭にアリア、次にブレイン、最後尾にヴェロニカといった布陣だ。

 上階の書斎からこの地下牢までは殆ど一直線のようなもので、賊たちと出会でくわすなら、それは先頭になる確率が最も高い。

 それ故にアリアが先頭に立つと申し出た。

 アリアの後ろにはブレインが。

 これは彼の逃走を阻むためと、今日まで受けて来たのだろう拷問で、身体が弱っていて動きの鈍いブレインをサポートする為もあった。

 最後尾のヴェロニカには、万が一ブレインが逃げ出そうとするようならフライパンを脚に叩きつける任務が与えられている。


 この別邸の見取り図を知るヴェロニカも、流石に地下牢の存在は知らなかったこともあって、どこかに隠し通路があるのかどうかさえ分からなかった。

 その為、今は行きに通った道をそのまま辿って、元の書斎に戻ろうとしているところだった。


 あちらもその事は承知の上だろう。

 万が一脱走されても必ずそこを通ると思えば、見張りを置くならそこにするはずだ。

 恐らく書斎床の隠し扉を開けた時点で、賊と対面する事となるだろうとアリアは結論づけていた。

 勿論扉を開ける時には音と気配を遮断する魔術を使うつもりだが、じっと見つめられていたならば、扉が開くところは視認されてしまうのだ。

 見張りが騒ぎ出す前に意識を奪えれば良いのだが、それが叶わなかった場合は、ヴェロニカがブレインを連れて勝手口へ走り、最後尾に移ったアリアが結界魔術を道々いくつも張ることで相手を阻む手筈となっていた。


 上手くいくかは分からない。

 分からないが、三人共に生き残ってここを出るには、難しくともやるしかなかった。



 もうすぐ書斎へと上がる階段へと差し掛かる。

 ヴェロニカの足は焦りにもつれ、転びそうになっている。


 慌ててはだめ、冷静に、とは頭の中で考えつつも、このような危険な場所で動くなど、お嬢様であるヴェロニカにとっては初めての経験だった。



「どのみちどっかでぶち当たるので、見つかるとかは気にせずに、ランプは点けてて良いですよ。」とアリアは言う。

 地下にいる今はまだそれで良いかも知れないが、地上に出れば幾つも窓があるのだ。

 この灯りが窓から漏れれば、外にいる賊までも邸内に誘き寄せることになるだろう。

 居場所を教えてしまうこのランプを、それでもヴェロニカは消してしまうことが怖かった。


 不衛生な地下牢だ。

 足元をネズミが走り、壁には時折蜘蛛やゲジゲジといった虫が這い登っているのが視界に入る。


 賊は怖い。

 少しでも見つかる確率を下げ、魔術詠唱の時間を稼ぐのなら、灯りは無い方がきっと良い。

 けれどもしランプを消して、見えないながらに歩くなら、そうした訓練を受けていないヴェロニカは、壁に手をつけねば、暗闇の中踏み出せる自信がなかった。


 賊よりはマシなはずだ。

 賊は襲ってくるが、蜘蛛やゲジゲジは襲っては来ない。

 そう、例え触れたとて、襲ってはこないはずなのだが。


(どれも一緒だわ、全部怖い。賊も、蜘蛛も、ゲジゲジも。)



 けれど、危険と知りながらも来ると決めたのはヴェロニカで、直接関係があるわけではないアリアを巻き込んだのもヴェロニカだ。


(怖くても、何が何でも逃げ切らなくては。

 足を引っ張っては駄目。)


 ヴェロニカは自身に言い聞かせながら、ふるりと背を振るわせた。



*****


 実の所、賊どもがこぞって外に出て行った背景には、真正面から馬で乗り込んだ騎士隊員数名と賊たちとの衝突の事実があった。


 アリアからの連絡で、女子二人が間違いなくシェイファー家の別宅へと向かった事が判明したことから、アドルファスとフランク両名は、他の騎士隊員を数名連れて急行したのだ。


 アリア達の出発から実に二刻程も後の出立だったが、そこはそれ、民間の馬車の脚と軍馬の脚とは比べ物にならなかった。

 しかもその上、アリアはヴェロニカの体調を心配して度々休憩を挟んでいたのだから、当初あったはずの二刻の遅れなど、在ってないようなものである。


 アドルファスは別宅についてすぐ、恐らくアリアの乗っていただろう馬車を発見した。

 馬車はすぐに見分けがついた。

 巧妙に隠してはあったのだが、馬車の見張りのつもりか…はたまた後から来るだろうアドルファスに向けての目印のつもりだろうか。


 馬車の屋根には、アリアの連絡鳥が留まっていたからだ。

 馬車を隠していることは認識できているらしい連絡鳥は、声をひそめて喋り出す。


「オソカッタ、…ネッ!

 モウ、フタリ…デッ、イッチャッタ、ヨォン!ギャハハ!」


「……。」


「……。」


 ひっそりと話し出した割には、その口調も内容も、テンションがバカ高い。

 その落差で尚更に、煽ってきているような気がしてならなかった。

 気にするな、ただの鳥だ、別に煽ってくる意図は無いはずだ。

 アドルファスは己にそう言い聞かせた。


「…既に二人とも邸内という事なら、俺らも急ぐ必要があるよなぁ。」


「内部を知ってるヴェロニカ嬢がいないのが痛いが…。

 まぁ貴族の館の造りなど、ある程度は似通っている面もある、はずだ。

 いくぞ。」


 アドルファスが見下して来る連絡鳥から目を背け、別邸に向かって歩き出すと、正面から斥候の隊員が戻ってきた。


「おい、アドル。

 破落戸ごろつきみたいなのが何人か、既に邸内にいるようだ。

 どうする?正面突破か?

 地下牢の男とやらを奪取にきたんだろ?

 表にいるのを一匹捕らえて地下牢まで案内させるか?」


「…ああ、それが早いな。

 とはいえ、中にはご令嬢もいるはずだ。

 オレとフランクは万が一の時のために通用口から潜入する。

 後の5名は正面からだ。

 堂々と騒ぎを起こしてくれていい。オレたちが潜入しやすくなる。

 あとは、そっちはそっちで地下牢を目指してくれ。

 保護対象はシェイファー家ご令嬢と魔導師が一人。

 確保対象はブレイン・クラーク事務官長補佐官だ。

 では、任務を開始する!」

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