第35話 彼氏の左頬のたたき《ビンタ》と左脛いため《痛め》⑤

 男達が全員姿を消した後、ヴェロニカはアリアに尋ねた。

 アリアは右手の指を顎に添え、何か考え事をしているようだった。


「それで、これからどうするのです。

 わたくしを止めたのですから、何か理由があったのですわよね?」


「先程、かしらと呼ばれていた賊のボスらしき男ですけど、階段上にいたメンバーに呼び出されていたでしょう?

 かなり慌てた口調だったし、おそらく何か問題でも起こったんです。

 彼が逐一仲間を纏めていたようだったから、きっと指示を仰ぐためなんだと思います。

 他の男たちも、こちらを見張りもせずに立ち去ったあたりなんて、その証拠みたいなものですよ。

 こちらは女性二人に拘束されてる男が一人。

 牢の中には入れてるし、どうせ何も出来やしないと踏んで舐めてかかってるんです。

 油断してくれて有り難い話ですけども。」



 男たちは本当に誰一人見張りにつくことなく、全員地下牢から出ていってしまった。

 もはや油断どうこうと言ったレベルではないなと思う。

 そもそも、ここにブレインを閉じ込めていた時ですら、毎日世話と様子見には来ていたようではあったものの、ブレインは普段一人きりでここにいたようだった。

 ひょっとしたら侯爵家別邸に掛けられている結界魔術を過信しすぎているのではないだろうか。

 絶対に部外者が入って来れないのだと信じていたのだろう。

 何事にも、例外というのはあるものだ。


 彼らは魔術というものに詳しくないのだと、既にアリアは確信してしまっていた。


 なぜならば、こうまで堂々と王宮魔導師の制服である魔導ローブを着ていると言うのに、彼らは一切の警戒を見せず無反応だったのだから。

 魔導師だと理解していれば、こうして魔力を封じもせず野放しにするなど有り得ないことだ。

 武器など持たずとも、相手を鎮圧するだけの力はある。


 恐らくだが、アリアのことはヴェロニカというご令嬢の侍女かなんかだと勘違いしているのだろう。

 まあ侯爵家のご令嬢が、護衛も侍女も連れずに出歩くことこそ、ある事ではないので、勘違いするのは分からないでも無かったが。

 先程ヴェロニカを庇って前に出たのも、そう見せる要因になっていたのだと思う。


「どちらにせよ、ここから出る一択ですけどね。

 侯爵様に連絡を取ると言っていたじゃないですか。

 侯爵様がどう対処するかは知らないですけど、当然可愛い娘と我々は別に閉じ込めるのが普通だと思うんですよね。

 逃げ出すためにって娘が人質にとられることもあるだろうし、そうでなくても結託されたら困るので。

 なので別々に分断されると面倒だし厄介極まりない、見張りの目がない今のうちに脱出すべきだとは思います。」


「あの賊たちがこちらに戻って来るまでに、と言うことね。

 ——娘であるわたくしは兎も角、貴方達二人はどうなるか分からないのだもの。

 わたくしとしても脱出するのに賛成です。」



 アリアの意見に同意しつつも、ヴェロニカはその瞳を潤ませたまま。

 口調も何時もより心なしか大人しく、矢張り落ち込んでいるのだと思われた。



「……ここに来るまではね、お父様がそんな悪事を働いているだなんて、信じたくは無かったの。

 わたくしにとっては、何時だって優しい父親なのだもの。

 けれど、少なくとも侯爵家の…、いいえ、お父様の邪魔になると判断したのなら、手荒い手段を取ることもあるのだと言う点は、そうなのだろうなと納得したのです。

 …現に、今、こうして賊を雇い入れ、人を地下牢に閉じ込めるような事を、娘に悟られる事なく平然とやって退けたのですからね。」



 裏切られたような気持ちなのだろうか。

 恋人も、父親も。

 ヴェロニカの知らないところで悪行に身をやつしていたのだから。

 …ヴェロニカには一切の違和感を感じさせることもなく。


 男達のその仮面の被りっぷりには、アリアとしてもある種の感嘆の息を漏らすところだ。

 とは言えそんな恐ろしい悪意蔓延あくいはびこる貴族社会で、ヴェロニカのように純粋培養されたご令嬢が存在するのは、本当に稀少なのだなと、改めて感じた次第である。



「アリアさん、ここの鍵も開けられて?」


「このくらいならいけると思いますよ。

 普段は忘れがちですが、こう見えて私、王宮魔導師ですからね!」


「まっ…待ってくれ!

 私も出してくれるんだろう?ヴェロニカ!

 君は私を愛してくれているはずだろ?」


 二人だけ逃げては堪らないとでも思ったのか、ブレインが慌てて割り込んで来る。

 元々この男をここから出すために来たのだから、心配などせずとも置いて行ったりしないのだが。

 アリアはヴェロニカをチラリと見た。


「……出しますわ。

 ですが、それは、貴方に罪を償わせるため。

 決して逃すためでは有りません。

 貴方も逃げようとはせず、わたくしに従うのです。

 このままここにいて、お父様に始末とやらをされたくないのならば。」


「…君の言う通りにしよう。

 本当に済まなかった…私の愛しいヴェロニカ…!」


 抱きしめてこようとしたブレインに向かって、ヴェロニカは正面から力一杯手を振り抜いた。


 パシンっと。


 その白魚のような細腕から繰り出されたにしてはキレの良い音が響く。

 これまでの間、心配させ続けたこと。

 罪を重ね、父を脅迫し金を無心したと言うこと。

 都合よく愛を語り出したこと。


 その諸々を全て平手に込めて振り抜いた。


 右手は少し、赤くなっている。

 ビンタなど、深層のご令嬢にとっては、人生初めてだったに違いなかった。


「ッッッ!! ……つぅ…、ヴェロニカ、君は、何を…。」


 叩かれるとは思いもよらなかったと言う顔で、ブレインはその場にぼんやりと座り込んでいる。

 アリアはそれを横目に、何も言わずに手枷を外した。



「では、脱出と行きますか!

 ——…と言うことで、ヴェロニカ様は一応これを持ってて下さい。

 何かあれば、これを相手の頭部に全力で叩き付けて下さい。

 手だと、さっきみたいに痛めますからね、これ使うんです。」


 アリアはそっと、ヴェロニカにフライパンを握らせた。

 収納魔術で仕舞っていたフライパンであった。

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