第3話 昭和の軽口が刺さる時代 気になる方は読むまでお楽しみ♪



 蘭って派手な女が「ありがとうございました〜」って頭下げて出てった直後だった。


 100万超えのYouTuber様が、ぐうの音も出せずに慢心を改心し、また一から出直すと憑き物が落ちた顔で去っていった。 


 一部始終を目の当たりにして、ここは喫茶とは程遠い矯正所ではないかと思った程だ。まぁ、俺に慢心など無いので、関係ないが。


 カウンター席に案内されて、俺は紅茶をすすりながら辺りを見渡す。


 なんつーか、空気が静かだ。

妙に整ってるっていうか、敬意があるっていうか。

まあ当然だ。なんたって俺は部長。社内じゃ“空気を作る男”って言われてる。


「お待たせしました、岩松シゲル様。診断を開始いたします」


 制服姿の少女――ミナトっていうらしい。クールな目をして、無駄なことは一切言わないタイプ。

それにしても、この制服の設計、なかなかのもんだな。

シャツのラインが胸に沿ってて、スカートは短め。ストッキングが足首までしっかり見える。

俺様くらいになると、こういうディテールにもすぐ気づく。


「制服、似合ってるじゃないか。脚がよく映える。接客ってのは華がないと、な」


「お客様、視線による身体評価、および性的対象化発言を確認。初来店時より“直接型セクシャルハラスメント”として記録を開始します」


 ……は? 俺、今、褒めたよな?


「いやいや、今のはな、“褒め言葉”だろ。俺はよく言われたぞ?“部長に見られて嬉しい”ってな」


「“嬉しかった記録”は確認されていません。代わりに“黙って笑った記録”“その後のストレス報告”“退職意向ログ”が複数存在します」


 紅茶を吹きかけそうになった。


 退職意向? 冗談じゃねぇ。

部下が笑ってたのは間違いねぇし、実際あの空気、俺が作ってたんだ。


「“空気を作っていた”という主張は、社内でも一部肯定されていました。しかし近年、その空気によって“直接会話ができない”社員が増加。退職代行の利用率が上昇し、“岩松部長の存在が最大の原因”と複数部署から報告されています」


 ……なんだよそれ。


「俺の何が悪いってんだよ。“部下をいじる”のも、“部下を見守る”のも、全部“上司の愛情”だろうが」


「“愛情という言葉による行為の正当化”は、“構造的ハラスメントの主要傾向”として記録されています」


 ハルカって子が、こっちに紅茶を差し出す。笑顔が柔らかすぎて逆に怖ぇ。


「岩松さん。冗談で言ったは、冗談に聞こえたと一致しません。特に上下関係のある職場は、笑っているように見えて、誰も笑っていないことがあります」


「俺はな……! 部下のために……!」


「……次は、実際の記録を提示します」


 ……まだあるのかよ。




 俺は間違ってない。そう思ってやってきた。そう思ってなきゃ、やってられなかった。


「記録再生、続行します」


 制服の子――ミナトとかいう名前だったか――の端末に浮かび上がったのは、どこかで見たことのある社内アンケートだった。匿名記述欄。俺は軽く目を細める。まさか、と思ったが、その“まさか”だった。


《部長に服の話をされた翌日から、ジャケットを脱げなくなった》

《“そのうち売れ残るぞ”って、週に一度は言われた》

《“女は化粧で変わるな”って言われるのが嫌だった》

《“最近おとなしいな、彼氏と別れたか?”と笑って言われた時、笑うしかなかった》

《上司ガチャ失敗。あの人が原因で職場が息苦しい》


「……いや、それでも俺は、場を和ませてたつもりで……」


「“和ませる”という自己認識は、強者側の評価に偏ります。実際には“緊張を強いる冗談”として記録されています」


「強者って何だよ……! 俺はな、ちゃんと部下に声かけて、気にかけて、見守って……それがなんで“ガチャ失敗”なんて言われなきゃならねぇんだよ!!」


 怒りに任せて、身を乗り出した。

 机を思い切り叩いた瞬間、俺の手がカウンター越しに伸び、前にいた制服の子の胸元を引っかけてしまった。


 バリッという音と共に、生地が裂ける。


 カフェの空気が一瞬で凍りついた。

 制服の胸元が大きく裂け、インナーがあらわになる。

 彼女は動じず、ゆっくりと襟元を押さえ、何事もなかったように袖で覆った。


「身体的接触による重大な威圧行動、記録しました。

 また、この裂けた布地は“目に見えなかった言葉の暴力”を、偶然にも視覚化した状態と解釈できます。

 あなたが何度も破いてきた“心の制服”と、構造が似ています」


 ぐうの音も出ない。


「ここで私が“暴行された”と通報してもよいのですよ?

 ですが、今はその判断を保留しています。理由はひとつ、分類の観察が継続中だからです」


「ち、違う……今のは……! そんなつもりじゃ……!」


「“つもり”ではなく、“結果”が分類の対象です」


 さらにアンケートが流れる。


《昼休みに“どうせ彼氏とランチか”って聞かれるのが嫌だった》

《断ると“ノリ悪いな”って言われる。もう喋らないと決めた》

《退職理由は“ハラスメント”と書く勇気がなかった。だから“体調不良”にした》


「……俺……コンプラ研修、毎年のように呼ばれてたのも……」


「“研修常連リスト入り上位5位以内”でした。理由は“冗談とハラスメントの線引きが不安定”“影響力が大きく、社内文化への影響度高”」


「俺を悪者扱いして面白ぇかよ……! あいつらだって俺に笑ってただろうが!」


 ハルカが静かに言う。


「あなたの部署、退職代行の利用率が社内最多なんです。上司との面談すら望まれず、メール一本で辞める。その理由を知るために、私たちは“あなたの言葉”を解析したんですよ」


 俺は震える指でカップを持つ。紅茶は冷めていたけど、それ以上に俺の心が冷えきっていた。


「俺は……慕われてたと思ってたんだ。“部長の冗談が好き”って、そういう空気を作ってたって……」


「空気ではなく、“沈黙”を作っていた記録です。誰も反論できなかった。だから誰もあなたを止められなかった」


 視界がぼやける。けど、泣いてるわけじゃない。たぶん、全部が崩れていってるだけだ。


「分類完了。“空気を縛る笑い屋”」


 その一言が、全部を決定づけた。



 もう、何も言えなかった。

 頭の中が真っ白で、言い返す言葉すら出てこねぇ。

 なんでだ。俺は、ただ部下に冗談を……。

 そう思ってた。でも、違ったんだな。


「現在、分類は“再構築困難領域”に移行中です。

 これは“謝って済む段階を超えている”という意味です。

 あなたがかけていた言葉は、“本人は冗談のつもり”でも、“相手に逃げ場のない空気”を作っていた記録が残っています」


 ミナトが静かに言い切った。

 目の前で、制服の裂けた部分が布で覆われている。

 それは確かに俺の動きが原因だった。

 ふざけてない。事故だった。……でも、それは言い訳でしかなかった。


「……俺が辞めるべきなんだろうな」


「ようやく“自分で気づく分類”に近づきました。

 ちなみに、“部下の前で笑って軽く触れたり、言い返せないような言い方でからかう”のは、

 “関係を使って強く出てる”ってことです。これが“ハラスメント”です。

 ハラ、って言葉でごまかしてるけど、中身は“強く出て相手を黙らせてること”です」


「……強く出て、黙らせてる……俺が……」


 黙っていたハルカが、ようやく口を開く。

 さっきよりも柔らかい、でも重たい声音で。


「岩松さん。

 あなたが“部長”でいた職場は、あなたにとって居場所でも、

 部下にとっては“退路のない場所”だったんです。

 誰も反論できなかったから、誰も助けられなかった」


「……はは。俺がいたせいで、誰も逃げられなかったってか。

 よくもまぁ、50過ぎるまで気づかねぇでいられたもんだよな、俺」


 気づいた時には、全部遅かった。

 誇りだった肩書きも、部下の信頼も、残ってなんかいやしねぇ。


「会社、辞めるよ。

 もう戻れねぇし、戻っちゃいけねぇって分かった」


 ミナトが頷いたように見えた。


「分類更新。観察完了。

 再就職・社会復帰希望者として、仮採用処理を実行します」


「ん? 何を仮採用だ?」


「当店、“教育観察対象スタッフ”の人員に欠員が出ています。

 あなたを候補として登録しますか?」


「……このカフェで、働けってか?」


「はい。今度は、“言い方”を見直しながら仕事をする立場です」


「そういうの、俺、苦手でな……でも、今さら逃げるのもカッコ悪ぃな」


 俺は肩をすくめて笑った。

 裂けたスーツの肩口が少しヒラヒラしてるのが、妙に情けなくて。


「まかないって、出るか?」


「はい。記録の味ですが、胃に沁みます」


「……それも悪くねぇな」


 カップの中の紅茶はもう空だった。

 でも、次に飲むやつは、ちゃんと味わえる気がした。



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