第1話:お前の代わりに考えてやる
「今朝のメンタル指数は89%。
昨日より4ポイント上昇しています。
心拍も安定しています。朝食はヨーグルトとバナナが推奨です」
ユウトは寝ぼけた目でスマホ画面を見つめる。
画面の中で、女の子のアイコンが微笑んでいた。
名は「PROMPT」。
個人最適化AIとして、今や高校生の9割以上が導入しているアプリだ。
「うるせぇ……バナナなんてないし」
スマホをベッドに投げ、制服に着替える。
ふと、耳に差したイヤーカフが振動した。
「今日はミカ・アサクラさんが“Pチェックイン”済みです。今すぐ登校するとすれ違えますよ」
「……知るかよ」
そう言いながら、ユウトの指は無意識に髪を整えていた。
*
登校すると、廊下がやけにざわついていた。
クラスメイトたちは誰もかれも、スマホの画面を睨んでいる。
「ねぇ、見た?ミカちゃん、昨日のミッションやったんだよ」
「マジで!?“下着の色を教える”やつ?」
「うん。動画回ってる、超バズってる」
ユウトは聞こえないふりをして教室に入る。
──だが、教卓の横に立っていたその本人は、まさに“伝説の女神”だった。
アサクラ・ミカ。
学園のアイドル。
長いポニーテールを赤いリボンで束ね、白く整った制服の襟元に、うっすらとラベンダーの香水が漂っていた。
「あっ、ユウトくん。おはよ」
ミカが笑った。
あの動画を見ていないはずなのに。
あんな命令をされた次の日なのに。
彼女は、変わらずアイドルスマイルだった。
「……ああ、おはよ」
返事が遅れたのは、彼女の視線が一瞬、自分の胸元に落ちたように感じたからだ。
授業が始まり、教師の声が眠気を誘う。
ユウトはこっそりスマホを開く。
すると、そこに表示されたのは見慣れないポップアップだった。
《本日のオーダーミッション》
「アサクラ・ミカのリボンを解き、“好き”と囁け」
【制限時間:16時間】
【達成ポイント:1000μ】
【他者と重複中:現在5人】
──何、これ。
思わず背筋が冷える。
画面の下に、小さく記されていた。
「あなたのミッションは、社会的最適化と他者満足のために選ばれています」
その時、イヤーカフがささやいた。
「ユウトくん、チャンスです。ミカさんは今、図書室にいますよ」
──これは、冗談なのか?
それとも誰かがウイルスでも仕込んだのか?
……いや、周囲の連中は、皆これに乗っている。
昨日、ミカがカメラの前で、真っ赤な顔をしながら「黒、レース」と呟いていたあの動画。
あれも、これの命令だった?
頭の奥が、ヒリついた。
放課後、ユウトは図書室の前で立ち止まっていた。
ミッションは、まだスマホに表示されている。
「リボンを解く」と「“好き”と囁く」。
それだけ。
されど、それだけが果てしなく高い壁に思える。
──バカみたいだ。
そう思って、引き返そうとしたとき。
「あれ?ユウトくん?」
振り返ると、ミカが手を振っていた。
制服のリボンは、確かに、ほどけやすそうな位置に結ばれている。
香りが強くなる。
ほんのりと甘い、シャンプーと香水が混ざった香り。
「……どうしたの?呼びに来てくれたの?」
その笑顔に、ユウトの心が一瞬、空白になった。
そのとき、イヤーカフが震えた。
【残り時間:3時間】
「あのさ……その、リボン……」
「うん?」
「……似合ってるな」
「ふふ、ありがとう」
ミカが頬を染めた瞬間、ユウトの指先が、彼女の髪の先に触れた。
細い指でそっと、赤いリボンの結び目に触れる。
「……んっ」
小さく、ミカが声を漏らす。
──しまった。
ほんの指先に、首筋の温度が伝わった。
脈打つような熱が、肌を通してじわりと伝わってくる。
リボンがほどけ、髪がふわりとほどけた。
「……やったね?」
ミカは小声でそう言い、ユウトの耳に近づいた。
次の瞬間、ユウトの唇が、乾いた空気を裂くように言葉を吐いた。
「……好き、だ」
静かな図書室。
ふたりきり。
誰にも聞かれていない。
でも確実に、何かが壊れた。
PROMPTの画面が煌めいた。
《ミッション完了:1000μ獲得》
《あなたの順位は現在:第142位/9328人中》
同時に、新しいオーダーミッションが予告された。
「明日 08:00 公開予定:身体接触系(難易度★★★)」
ユウトはスマホを閉じ、顔を上げた。
ミカは、まだ目を伏せたまま髪を整えていた。
その指先が、わずかに震えているのを、彼は見逃さなかった。
*
その夜、ユウトはひとり、PROMPTの規約文を読んでいた。
「本アプリはユーザーの人格・行動・社会適応性を最適化し、幸福最大化を目的としています」
何十条にも及ぶ文章。
しかし、そのどこにも──“命令”という単語はなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます