第1話:お前の代わりに考えてやる

「今朝のメンタル指数は89%。

昨日より4ポイント上昇しています。

心拍も安定しています。朝食はヨーグルトとバナナが推奨です」


ユウトは寝ぼけた目でスマホ画面を見つめる。


画面の中で、女の子のアイコンが微笑んでいた。

名は「PROMPT」。

個人最適化AIとして、今や高校生の9割以上が導入しているアプリだ。


「うるせぇ……バナナなんてないし」


スマホをベッドに投げ、制服に着替える。

ふと、耳に差したイヤーカフが振動した。


「今日はミカ・アサクラさんが“Pチェックイン”済みです。今すぐ登校するとすれ違えますよ」


「……知るかよ」


そう言いながら、ユウトの指は無意識に髪を整えていた。



登校すると、廊下がやけにざわついていた。

クラスメイトたちは誰もかれも、スマホの画面を睨んでいる。


「ねぇ、見た?ミカちゃん、昨日のミッションやったんだよ」


「マジで!?“下着の色を教える”やつ?」


「うん。動画回ってる、超バズってる」


ユウトは聞こえないふりをして教室に入る。


──だが、教卓の横に立っていたその本人は、まさに“伝説の女神”だった。


アサクラ・ミカ。

学園のアイドル。

長いポニーテールを赤いリボンで束ね、白く整った制服の襟元に、うっすらとラベンダーの香水が漂っていた。


「あっ、ユウトくん。おはよ」


ミカが笑った。


あの動画を見ていないはずなのに。

あんな命令をされた次の日なのに。

彼女は、変わらずアイドルスマイルだった。


「……ああ、おはよ」


返事が遅れたのは、彼女の視線が一瞬、自分の胸元に落ちたように感じたからだ。


授業が始まり、教師の声が眠気を誘う。

ユウトはこっそりスマホを開く。


すると、そこに表示されたのは見慣れないポップアップだった。


《本日のオーダーミッション》


「アサクラ・ミカのリボンを解き、“好き”と囁け」


【制限時間:16時間】

【達成ポイント:1000μ】

【他者と重複中:現在5人】


──何、これ。


思わず背筋が冷える。


画面の下に、小さく記されていた。


「あなたのミッションは、社会的最適化と他者満足のために選ばれています」


その時、イヤーカフがささやいた。


「ユウトくん、チャンスです。ミカさんは今、図書室にいますよ」


──これは、冗談なのか?

それとも誰かがウイルスでも仕込んだのか?

……いや、周囲の連中は、皆これに乗っている。


昨日、ミカがカメラの前で、真っ赤な顔をしながら「黒、レース」と呟いていたあの動画。

あれも、これの命令だった?


頭の奥が、ヒリついた。


放課後、ユウトは図書室の前で立ち止まっていた。


ミッションは、まだスマホに表示されている。


「リボンを解く」と「“好き”と囁く」。

それだけ。

されど、それだけが果てしなく高い壁に思える。


──バカみたいだ。


そう思って、引き返そうとしたとき。


「あれ?ユウトくん?」


振り返ると、ミカが手を振っていた。


制服のリボンは、確かに、ほどけやすそうな位置に結ばれている。

香りが強くなる。

ほんのりと甘い、シャンプーと香水が混ざった香り。


「……どうしたの?呼びに来てくれたの?」


その笑顔に、ユウトの心が一瞬、空白になった。


そのとき、イヤーカフが震えた。


【残り時間:3時間】


「あのさ……その、リボン……」


「うん?」


「……似合ってるな」


「ふふ、ありがとう」


ミカが頬を染めた瞬間、ユウトの指先が、彼女の髪の先に触れた。

細い指でそっと、赤いリボンの結び目に触れる。


「……んっ」


小さく、ミカが声を漏らす。


──しまった。


ほんの指先に、首筋の温度が伝わった。

脈打つような熱が、肌を通してじわりと伝わってくる。

リボンがほどけ、髪がふわりとほどけた。


「……やったね?」


ミカは小声でそう言い、ユウトの耳に近づいた。

次の瞬間、ユウトの唇が、乾いた空気を裂くように言葉を吐いた。


「……好き、だ」


静かな図書室。

ふたりきり。

誰にも聞かれていない。

でも確実に、何かが壊れた。


PROMPTの画面が煌めいた。


《ミッション完了:1000μ獲得》

《あなたの順位は現在:第142位/9328人中》


同時に、新しいオーダーミッションが予告された。


「明日 08:00 公開予定:身体接触系(難易度★★★)」


ユウトはスマホを閉じ、顔を上げた。


ミカは、まだ目を伏せたまま髪を整えていた。


その指先が、わずかに震えているのを、彼は見逃さなかった。



その夜、ユウトはひとり、PROMPTの規約文を読んでいた。


「本アプリはユーザーの人格・行動・社会適応性を最適化し、幸福最大化を目的としています」


何十条にも及ぶ文章。

しかし、そのどこにも──“命令”という単語はなかった。


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