叫び

ヤグーツク・ゴセ

叫び


 米島はその日、覚悟した。


俺は弁護士になるためにロースクールに通っている。

     弁護士になるのは何のため?

     


散らかる部屋を後にロースクールへ向かう。満員電車に乗って、満員電車で帰る。そんな1日を永遠に繰り返している。


たまに叫ぶ。忙しい毎日に圧迫されて、しーんと静まり返った自習室で全身から叫ぶ。無音の叫び。

自分がなんで、こんなしんどいことしてるのかって、立ち止まって考える。



無数のおにやんまが、駿河中の校門前にある田んぼの上を飛んでいる。今にも枯れそうな秋の空を横目に、こうたと石を蹴って帰る。側溝に石を落とした方が負けのゲームだ。俺とこうたは小学校の時、地域のサッカーチームに入ってたから、石を蹴るのはそこそこ得意だった。


「なぁ、腹減った」

「いつも帰り道それ言うなぁー、こうたは。」

「それよりさぁ、こうた。将来の夢さー、何にした?」

「あーあったなぁ、山崎先生が卒業文書に載せるから、来週までに書いてきてって言ってたなあ」

一瞬、2人だけの空間が静かになった。おにやんまが2人の間に迷い込んできて、またどこかへ飛んでゆく。


「弁護士って書こうかな」

こうたがちょっと恥ずかしそうに言う。頬が赤く見えた。頬の赤さは恥ずかしさのせいか、秋の赤い西日のせいか俺には分からなかった。

「弁護士?なんかすごいこと言うなあ」

「俺、ヒーロー...。正義の味方みたいな...そういう..なりたいんだよ」

「なんだそれ...」

こうたの発言は俺にとって不意打ちで、ちょっと面白かった。

「うーん。なんかそのー、弁護士なら誰かを助けることができるんじゃないかって、思ったんよ」

「ほーん...なんかすげぇな、こうた。ちゃんと考えてるんだなあ」

「弁護士って名前かっこいいじゃん?!ただそれだけだよ。」

こうたは、笑いながらそう言った。その時、こうたに恥ずかしい感じはもうなかった。

「いいな、その夢」

「一緒になろうや」

「あー、そうだな」

咄嗟に返事を濁した。

そこから10数秒は無言の時間が続いた。

その10数秒の間、訳もわからぬ想像をした。

こうたは弁護士になって、俺なんかを置いて、すげぇ奴になるんだろうな。

そんでもって、俺の手の及ばない遠い場所へ行ってしまうんだろうなと直感的に想像した。だから、寂しさも感じた。寂しさの残る秋はすぐ過ぎ去った。



あっという間に、高校生になった。こうたとは別々の高校だから、すぐ疎遠になってしまった。秋が来るたびに、あの日のことを思い出す。そして、訳のわからない寂しさを感じる。

 


夜遅く電話がかかってきて、なんだか嫌な予感がした。お父さんが電話に出てる。電話に出たあと、俺の部屋まで急いで走ってきた。お父さんが俺に何か言ってる。よほど、緊急事態なんだろう。そこからはよく覚えていない。



その次の日、あいつと喋った。

「久しぶりだな、弁護士の夢はどうしたん?」

沈黙がながく続いた。よく覚えていないけど、多分返事はなかったと思う。





ロースクールの窓からは、無機質なビルの群れが見える。民法の授業中、先生が俺を指名して、俺は精一杯答える。大体間違えるけど、まぁそんなもんだ。授業が終わると、隣の席の町松から「米島は、なんで弁護士目指してるん?」って聞かれた。

いつもみたいに、適当な返事で誤魔化そうと思ったけど、なんとなくやめた。この質問だけは真剣に答えたかったからだ。

「あいつが目指してたからかな。」

「あいつ?あいつって誰?」

「小学校の時からの親友で、高校から別々になっちゃったんだ。」

「名前は?」

「...」


感覚が、中学の時のあいつとの思い出まで遡行していく。

無数のおにやんまがロースクールの教室の中にあらわれる。一匹のおにやんまが俺と町松の間をすり抜けて、消えていく。そしてまた一匹のおにやんまが来て、消えていく。

そーいや、あいつ卒業文集に結局なんて書いたんだ?

おにやんまが教室から消えていなくなる頃には、その疑問しか頭に残ってなかった。

気になって、授業が終わるとすぐ家に帰った。散らかった部屋から卒業文集を血眼になって探す。すぐには見つからなかったけど、表紙は黄色だったのを覚えていたから、本棚の奥の方から見つけ出せた。

見つけ出せたのは良かったけど、文集のページをめくるか一瞬迷った。読んでしまえば、とんでもないことを思い出すような気がしたからだ。心の奥底に閉じ込めてた感情が溢れるような気がしたからだ。

でも、覚悟した。全部覚悟してページをめくった。

あいつの名前があった。そこには、あいつの夢があった。

「誰かを守れる、助けられる弁護士になりたいです。できれば、仲の良い友達と一緒に弁護士になりたいです。」


文集の文字もよく見えなくなって、声が出なくなった。

遠くから誰かの叫び声が聞こえた。




「一緒に弁護士なりたかったよ。俺の弁護士になりたい理由は、ただ、、、。こうたに一緒に弁護士なろうって言われたからなんだよ。毎日電車乗って、難しい議論をやっとの思いで理解して、しんどい思いして、ここまで来たのは...。」


こうたは俺の手の届かない遠くへ行く気がしてた、ずっと前から。

手の届く場所にいてほしかった...。










弁護士になるのは何のため?


ここまで1人でも頑張れたのはこうたのおかげだ。

その日から、ロースクールの窓の外に「おにやんま」が見える。

米島はその日、覚悟した。














 

 






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