『キス、リハビリ。』 〜「キスが冷たい」と彼女に振られた俺は、学年一の美少女とキスの練習をする〜

エリザベス

第一章

『冷たいキス』

第1話 初めてのキス

「……ごめんね。なんか、キスが冷たかったっていうか……好きって、感じじゃなかったの」


 彼女がそう言って立ち去ったのは三日前のことだった。




 キスが冷たかったのってなんだろう。


 唇が冷たかったから……とか? それとも俺の体温自体が低かったから?


 いや、ちゃんと分かっていた。

 それはたぶん俺の“好き”が彼女に届いていなかったのだと思う。


 ちゃんと好きだった。ちゃんと付き合っていた。そして、ちゃん振られた。

 彼女に否はない。むしろ、献身的だったとも言える。


 朝は家まで迎えに来てくれるし、弁当だって作ってくれた。

 そんな彼女に俺はすごく感謝している。


 感謝? ただそれだけか?


 嬉しいという気持ちはないのか?


 分からない。自問自答してもその答えは出てこない。


 だからか、彼女には分かっていたんだ。

 俺の心が彼女にちゃんと向いてなかったのだと。


 俺なりに感情表現はしていたと思う。

 キス……もその一つだ。


 なのに、キスで振られるなんて、笑えない……。


 高校二年生の夏、俺――さかき悠真ゆうまは恋人に振られたのだった。



 昼休みの教室はやたらと寂しく感じる。いつも一緒にご飯を食べてくれる彼女はもういない。

 

 ただそれだけで、世界の色が変わったように見えた。

 今までの水色の景色が、少しずつ色褪せっていく。


 俺は朝コンビニで買ったパンを机の上に並べて、牛乳にストローを通す。

 視線は少し伏せたまま、なるべく周りの人に気づかれないようにする。


 幸い、俺に友達はいない。


 だから、少し前との“変容”を指摘されることもない。

 それが今の俺にとってせめてもの救いだった。


 ゆっくりパンの包装を開いて、口に押し込む。少し味気ないが、食べれないほどではない。


「……しょっぱいな」


 気がつけば涙がこぼれていた。


 必死に顔を隠して、誰にも見られないようにするのが精一杯だった。




 放課後、昇降口でローファーに履き替えようとした時のことだった。

 俺の下駄箱に一通の手紙が入っていた。


『校舎裏で待ってます』


 それだけ書かれていて、差出人の名前もなかった。


 いたずらかなとも思ったが、俺にいたずらして楽しむやつがそもそもいないから、俺は校門を出てゆっくりと校舎裏に向かった。


「こんにちは」


 鈴を転がすような透き通る声が響いた。

 

 校舎裏に立っているのは俺でも知ってる人だった。


 水鳥川みとりがわ雪乃ゆきの――学年一の美少女。


 白磁はくじのように透き通った肌は、どこまでも滑らかで、ほんのりとした血色が生命感を添えている。

 淡い灰色の瞳は氷のように澄み渡り、見る者の心を掴んでは離さない冷たくも美しい光を宿していた。


 長く艶やかな黒髪はまるで漆の帯のように腰まで流れ、光を浴びて銀色の煌めきを散らす。

 普段は無造作に片耳にかけているその髪は、彼女の凛とした気品をいっそう引き立てていた。


 そんな水鳥川さんとはクラスメイトだが、この二年間一度も会話を交わしたことがない。

 お互いがお互いを無視しているというより、お互いがお互いに興味すら持っていなかったのだろう。


「迷惑、だった?」


 俺の戸惑いを見透かしたように、水鳥川さんは静かに口を開いた。

 

「……別に」


 一度も会話をしたことのない相手だから、どう接したらいいのか俺には分からなかった。

 ぶっきらぼうに聞こえる俺の言葉は、それなりに愛想よく振舞おうとした結果だ。

 

 それより、水鳥川さんは一体なんの用なのだろう。

 校舎裏まで呼び出して。


 そう思って、俺は水鳥川さんの次の言葉を待った。


「ねえ、榊くん、沙耶に振られたんだって?」


 透き通るような声。なのに、的確に核心を突いてくる。

 

「なんで、知ってるんですか」


「敬語はいらないよ、同級生だもの」


「はい、あっ……うん」


 水鳥川さんは髪をそっとかき上げると、ゆっくりと声を紡いだ。


「わたしと、キス、してみない?」


「いまなんて……?」


「キス、わたしとしてみない?」


 水鳥川さんは髪を静かに戻しながら、言葉を続けた。


「わたしも……一緒なの……」


「一緒って?」


「キスが冷たいから、振られんだ」


 その顔はどこか遠いところを見ているようで寂しそうだった。

 

 キスをするってなに? 恋人同士でもない二人が?

 その理由が「キスが冷たかったから」?


 分からない。水鳥川さんが何を言っているのか理解出来ない。

 

「だから、キスのリハビリ、したいんだ」


「……俺と?」


「うん」


 透き通るような声で水鳥川さんは小さく肯定する。


「似たもの同士、いいでしょう?」


 その目はいつもと同じように無機質だった。


 でも、少なくとも、水鳥川さんは俺をからかっているわけではない。

 その証拠に、彼女は真っ直ぐに視線を向けてくれている。


 キスが、冷たい。だから、振られた。


 特別なことでもない。しかし、特別なことでもある。

 高校生の俺らにとって、それが全てだった。


 その気持ち、痛いほど分かっている。どうしようもないもどかしさ。そして、わずかな悔しさ。


 だから、俺は言った。


「いいよ」


 キスのリハビリ。俺にとっても、水鳥川さんにとっても、それが次の相手との円満な交際に繋がるのなら、別に断ることはない。

 少しでも、俺のキスが暖かくなるように、そして、水鳥川さんのキスが暖かくなるように。


 たぶん、これが俺らにとって一番の選択なのだろう。


「ありがとう」


 そして、次の瞬間、水鳥川さんの唇が俺の唇に触れていた。

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