ロスの暴力刑事、全てを壊す異世界無双!

 第一幕:召喚と王命


 玉座の間には、黄金の装飾が燦然と輝き、列をなして跪く臣下たちの衣が静かに揺れていた。


 荘厳な沈黙を破ったのは、床に描かれた巨大な魔法陣の脈動。

 そして、突如走る光――。


 まばゆい閃光と共に、煙が立ちのぼった。

 人々が目を細める中、その中心から現れたのは、一人の男だった。


「……げほっ。なんだこれ、喫煙ルームより空気悪いじゃねぇか。」


 革ジャンに皺を寄せた男が煙を払いながら呻いた。

 王は立ち上がり、両腕を広げて高らかに宣言する。


「おお……ついに来たか、異界よりの勇者よ!」


 男は胡散臭そうに王を見た。


「俺はただ、深夜のドーナツショップで一服してただけなんだがな……。で、あんた何だ? 見たところ、王様って奴か?」


 誇り高く胸を張り、王は名乗った。


「我こそは神授の王、トラヴィス三世! 人間界の支配者にして、正義の顕現である!」


 男は皮肉めいた笑みを浮かべた。


「へぇ、そりゃまた盛ったな。で、俺に何を?」


 王は厳かに命じた。


「貴様はただちに魔王領へと赴き、首領の首を取って戻ってくるのだ!」


 男は眉をひそめた。


「なるほど。はじめましても言わねぇで、行って殺ってこいか。随分スピーディーな歓迎じゃねぇか、陛下」


 王は毅然として言い放つ。


「当然であろう。貴様は我が召喚した兵器に過ぎぬ。異界の者に礼儀は不要!」


 男は肩をすくめた。


「つまり、従わなきゃ殺すって発想か。あんた、ギャング映画でよく見る口だけ上等なボスってやつだな」


 玉座の間にざわめきが走った。


「なんだと貴様……!」


 男は一歩前に出て、言葉を吐き捨てるように続けた。


「いいか王様、俺はな――ロスの刑事として、人生の半分をクソ野郎どもと楽しくケツを蹴り飛ばしあって生きてきた。テロリストと密林で追いかけっこしたことも、飛行機の上で裸で喧嘩したことも、サメに腕を噛まれながらグレネード投げたこともある。」


 一呼吸入れた後、鋭い視線を飛ばす。


「だがな、命令だけで納得するほど、正義の味方じゃねぇんだよ。」


 王は拳を握りしめた。


「貴様……我が命令を拒むかッ!」


 男は静かに、だが確かな響きで告げた。


「拒むって? いや――ただ、取引条件を聞いてるだけさ。弾もねぇ、装備もねぇ、地図も読めねぇ世界で敵地に行けって命じるのは、現代じゃ未必の殺意ってやつだ。」


 怒気を帯びた声が王から飛ぶ。


「貴様、我に逆らう気か!」


 男はふっと笑った。


「お前さん、上に立つのが初めてか? 命令ってのはな、餓鬼の癇癪じゃねぇ。銃口を向ける覚悟がある奴だけが言えるんだ。それでも俺に命じる気なら、せめて地図とコーヒーくらいよこしな、陛下。」


 明確に暴力の匂いを漂わせて、眼光鋭く睨みつける異界の男。

 王は唇を噛んだまま沈黙し、やがて絞り出すように命じた。


「……地、地図を、与えよ……っ」


 男は空を見上げ、ため息まじりに呟いた。


「あーあ。こりゃまた、とんでもねぇホリデーになりそうだぜ……」


 その男の名は、ジャック・マクレーン。


 数々の大事件を解決してきた腕利きの刑事であり、同時にロスに最悪の二次災害をもたらす破壊の申し子。

 その被害総額が国家予算規模に達することを、この世界はまだ知らない――。



***



 第二幕:「砦、そして崩壊」



 朝焼けに染まる軍営。王は地図を前にしながら、勇者と呼ばれる様になった中年男に向き直った。

 王は宣告した。


「よいか、魔族の砦はこの峠の上にある。まず歩兵が突撃し、次に騎士団が続き、最後に貴様が首領の首を取って戻ってくるのだ!」


 その隣では、軍司令官が胸を張って補足する。


「伝統的三段突撃陣であります! 祖先もこれで幾度となく勝利を収めてまいりました!」


 しかし、ジャック・マクレーンは地図を一瞥しただけで首を振った。


「それ、どう見ても全員まとめて玉砕コースだろうが。」


 言葉を失う一同をよそに、ジャックは地形図を指差す。


「この斜面、傾斜四十度はある。そこに重装歩兵を突っ込ませる? 弓兵の援護もなし? なんだこれ、古代の観光パンフレットから抜き書きした作戦か?」


 軍司令官が血相を変える。


「貴様、王の戦術を愚弄する気か!」


 ジャックは肩をすくめて言った。


「戦術? 子供の将棋と変わらねぇじゃねぇか。駒を一直線に進めて敵陣突破って言ってるだけだろ、くだらねえ。」


 玉座の王は顔を紅潮させ、怒鳴った。


「黙れ! 貴様は命令に従って戦えばよいのだ! 策など不要! 勇者とは命令を実行する存在だ!」


 ジャックは、これ見よがしにため息をつき、呆れ顔でそっぽを向いた。

 王は眉をひそめたが、ついに言い放った。


「ならば一人で行け! お前の策とやらを示せ! 成果を挙げてみせよ!」


 それに対し、刑事はゆっくりと顎を撫でた。


「成果ね。――だったら見せてやるよ。アメリカ流の仕事ってやつをな。」



***



 真夜中。

 魔族の砦。

 周囲の森は霧に包まれ、静寂だけが支配していた。

 その裏手、物置の影から人影が一つ、忍び込む。


 ジャック・マクレーン。

 その手にあるのは、箒、油差し、コショウ、そして掛け時計。


「……まるでホームセンターの閉店セールだな」と小さく呟き、彼は道具を一つずつ腰に収めていく。


 不意に現れた魔族の兵士が声を上げた。


「誰だ!? 貴様、何者だ!」


 ジャックは即座に手にしたコショウを振りかけながら言った。


「料理人だよ。目を閉じろ。」


 悲鳴が夜を裂く。


「ぐああああっ、目が、目があああああ!!」


 騒ぎを聞きつけて駆けつけた別の魔族兵が、ジャックの手にある掛け時計に目をとめる。


「侵入者!? なぜ掛け時計を手にしている!?」


 ジャックは冷たく告げた。


「お前ら、もうちょい時勢ってヤツを読んだほうがいいぜ。――顔面で、文字盤を刻むお勉強の時間だ。」


 二人目の叫びが砦に響き渡る。

 こうして、阿鼻叫喚の地獄の宴が始まった。



***



 やがて、砦の中央倉庫から、突如として火の手が上がった。


「火薬に火打石で着火、なかなか異世界とやらも、便利じゃねぇか。」


 ジャックは火炎瓶代わりに即席で作った装置に火を放ち、微笑んだ。


「よし、全自動火炎地獄の完成っと。」


 立ち尽くす魔族の司令官が、崩れ落ちそうな声で呟いた。


「馬鹿な……! たった一人で……! モップと調味料だけで……!」


 ジャックはその足元に落ちる火花を見下ろしながら、呟いた。


「ようこそ、異世界のクリスマスだ。」



***



 玉座の間。

 王の前に、戦果の報告がもたらされた。


「……砦は、落ちました。しかし……飛び火で…村が三つ、焼けたと……」


 重臣が顔を青ざめさせて報告する。


「食糧庫も、灰に……」


 そこへ、煙の匂いをまとったジャックが戻ってきた。


「おう、戻ったぞ。全部片付けた。ついでに砦の周辺も焼け野原になっちまったが。王様、予算に余裕あるといいな。」


 王は震える声で呟いた。


「勇者とは……世界を守る神聖な存在では……?」


 ジャックは無造作に、使い切ったコショウの瓶を玉座の前に置いた。


「おたくの戦術ってやつ、スパイスが足りてねぇのさ。……次は厨房でも視察しとけ。じゃあな、陛下。」


 そう言って、彼はくるりと背を向け、歩き去った。

 その背中を見つめながら、王はただ、言葉を失っていた。



***



 第三幕:黒煙の塔、そして落日


 大魔王の威光を戴く「黒煙の塔」は、峠を望む黒岩の断崖にそびえ立っていた。

 塔を守護するのは魔戦将グラトゥール。

 魔力の篭る鋼鉄の甲冑に身を包んだ屈強な戦士である。


 彼の命により、魔導師たちは結界を張り巡らせ、騎士との接近戦を想定した陣形を組み、勇者の聖なる剣を封じるための呪符を練成していた。


「勇者、来たる!」


 斥候の報が届いたのは、夜半の直前。

 兵たちは構え、魔力の風が塔に巻き起こる。


 しかし――


「侵入……! 南側厨房より! 被害、甚大ッ!!」


 狼狽する伝令が転がり込む。グ

 ラトゥールの額に浮かぶ皺が深まる。


「厨房、だと……? 貴様、何を言っておる。勇者は王家に伝わる聖剣を掲げ、正々堂々、正門から突入してくる筈……」


「し、しかし、兵舎が……ッ、厨房が……! バケツと……ミートパイで!」


「バケツ……!? ミートパイ……!?」


 その瞬間、塔の奥深くより炸裂音が轟く。

 土煙とともに中年男が現れた。

 すすけた革ジャン、片手に梯子、もう片手には――まだ湯気をたてるミートパイ。


 彼の名は、ジャック・マクレーン。

 異界より現れし召喚勇者。

 だが、その姿も言動も、完全に常軌を逸していた。


「ここの昼飯、あんまりうまくねぇな。せめてマシなソースくらい用意しとけってんだ。」


 その一言に、塔中の魔族が戦慄する。

 名乗りでも詠唱でもなく、食後の文句で戦いが始まる勇者など、前代未聞である。


 ジャックは、梯子を勢いよく投げつけ、魔族兵二人を一撃で壁にめり込ませた。

 次いで、足元に転がっていた鉄製バケツを蹴り上げると、宙を回転したバケツは魔導士の顔面に直撃し、奇声をあげて昏倒した。


 ミートパイはその後、熱々の状態のまま敵の背後から頭上に投擲され、溶けた肉汁と生地で顔面を包み込み、視界を封じた。


「ヒート・パイ・アタック。自由の国から、愛を込めてだ。」


 その場にいたすべての魔族が混乱した。

 この世界のあらゆる戦闘訓練は、剣技と魔法を基軸に想定されている。

 バケツで魔導士が倒れ、パイで戦士が沈黙する戦場を、誰も想像などできるはずもなかった。


 だが、それでも――塔の主、魔戦将グラトゥールは立ち上がった。

 彼は剣を構え、深紅のオーラを全身に迸らせ、咆哮する。


「ならば問答無用ッ! 我が刃の下、異界の輩よ、散れ!」


 そしてその瞬間、ジャックは静かに――腰に隠していた最後の現代兵器を抜いた。

 古びた銃口が、音もなく戦将の額に向けられる。


「俺はな、あんまりハジキを使いたくねぇんだよ……。

 でも、たまには使ってやらねえと、コイツもナニが萎びちまう。」


 雷鳴のごとき一発。

 世界に存在しない音が、塔の頂に響いた。

 グラトゥールの身体は崩れ落ち、塔の核――魔力炉に向けて落下していく。

 鈍い衝撃音が走り、黒煙の塔は、主の躯と同時に崩壊を始めた。


 ──そして。


 その激震は、塔に隣接する王都の郊外にも及び、古の橋は崩れ、水道は破裂し、王立魔法大学の魔力貯蔵庫は爆音と共に吹き飛んだ。



***



 玉座の間。

 床に座り込んだ王が、震える声で呟いた。


「……誰だ……このような者を……この…疫病神を召喚したのは……?」


 答える者は誰もいなかった。

 重臣たちは沈黙し、空気が凍りつく中――

 一人、首席大臣が小さく前に進み、言った。


「……おそれながら、陛下でございます」


 玉座に絶望が満ちていった。



***



 第四幕:ドラゴンと姫、そして煙草の香り


 ドラゴンの巣窟は、燃え尽きた火山の噴火口に存在した。

 誰もが恐れをなすこの地に、一人の男が足を踏み入れる。

 火薬臭い革ジャン、ススまみれのシャツ、そして手には鍋のフタと壊れたランタン。


 ジャック・マクレーン。

 異界の民は彼を、災厄の勇者と呼びはじめていたが、彼自身はそんなつもりは毛頭なかった。


「んー、ここの空気、もうちょい換気しろよ。煙と汗と、焼けたトカゲのミックス臭。最悪だ。」


 足元にあった鍋を盾代わりに構え、ジャックはトラップを回避しながら進む。

 壁に掛けられた飾り壺を外して投げつけ、仕掛けを起動させて爆破。


 天井の落石を避けるため、そこらにあった木箱を重ねて脚立代わりにし、華麗に回避――などではなく、ドスンと飛び降りて膝を押さえた。


「くそ、年だな……膝にきやがる……」


 そして、ついに現れた。

 巨大な赤き鱗に覆われた、洞窟の主――焔龍ヴォルザーグ。


 姫をその爪の檻に閉じ込め、巨大な尾で床をなぎ払い、火炎を吐きながら吼えた。


「なるほど、これがファンタジーの定番ってやつか。」


 ジャックはしゃがみ込み、燃え残った家具の脚と松明をまとめて火炎槍を即席で作成。

 炎を背負って突撃し、ドラゴンの顔面に鍋のフタを全力投擲。


 ガンッ!! と鳴り響く金属音。

 ドラゴンが、一瞬ひるむ。


「おいおい、火を吐くのはいいがな――煙突掃除くらい偶にはやれや!」


 最期の一撃。

 巨龍の頭上から、天井の支柱を破壊して大量の石材を落とす。


 そして、全てが灰と瓦礫になった後――

 ジャックは檻をこじ開け、姫を助け出す。


「……助けに来たぜ。ピザの配達じゃないけどな。」


 姫は震えていた。

 だが、それは感動でも安堵でもなかった。

 目の前にいるのは、絵本に出てきた銀の鎧の騎士でも、麗しの英雄でもなかった。

 タバコ臭く、無精髭を伸ばし、戦うたびに家具と建物を破壊する、ぼろぼろの中年男。


「……あなた、本当に……勇者なの……?」


 ジャックは肩をすくめる。


「いや。違うさ。

 俺はただの刑事――現実世界で夫婦喧嘩に敗れ、娘の誕生日も忘れて、ヤニとコーヒーの匂いだけが残った部屋で朝を迎える。

 そんな普通の、どうしようもねぇおっさんさ。」


 姫は言葉を失っていた。

 ジャックは、ふっと煙草をくわえる。


「妻にはもう数年、真っ直ぐに笑ってもらったことがない。

 娘には、今さら何しに来たのって顔される。

 でもな――それでも、あの二人が俺にとっての世界だってことに、最近になってやっと気づいた。」


彼はぽつりと、遠い空を見た。


「ここがどんなにふざけたお伽話の世界でも、火を吹くトカゲが何匹いようが関係ない。……俺が帰りたいのは、あの面倒で、地味で、うるさい現実世界なんだよ。」


 姫は、泣きそうな顔で問いかける。


「それでも、あなたは私を助けに来てくれたのね……?」


 ジャックは目を細め、火打ち石で煙草に火をつけた。


「――そりゃ、仕事だからな。……それに。娘がこんな目に遭ってたら、俺は地獄の底からでも迎えに行くさ。」


 洞窟の外に、朝焼けが差し込んでいた。

 焔の匂いと土埃の中、姫はただ一人、現実と夢の狭間で、煤けた男の背中を見つめていた。



***



 第五幕:暗黒の城塞、そして終末へ


 世界の終わり、漆黒の稲妻が天を裂く。

 かつて七つの王国を滅ぼしたと言われる大魔王ザグナロクの城が、沈黙のなかにその姿を現した。


 だが、今――その玉座の門前に立っていたのは、神の加護を受けし騎士でも、選ばれし賢者でもない。


 彼は、擦り切れた革ジャンを纏い、手に持っているのは、暖炉の火吹き筒、空になった麦酒樽の栓抜き、旅人宿から拝借した石鹸。

 脇には使い古した燭台をぶら下げていた。


 その男の名は、ジャック・マクレーン。

 異界の者たちが怯えながら噂する、鍋蓋の勇者、歩く災厄、破壊の権化。


 爆音と共に、異世界から来た存在が傍若無人に突き進む。

 やがて最深部に繋がる回廊に、伝説級の魔物たちが最後の守り手として立ちはだかった。


 だが炎を纏う大魔獣は、火吹き筒で酸素過多を起こして自爆させられた。


 巨大な亡霊騎士は、栓抜きで足甲の留め金を外され転倒、バケツでとどめ。


 魔法鏡の呪われし魔女は、鏡の前に燭台の蝋を塗られ現界できずに錯乱。


 誰一人、正面から戦ったわけではない。

 ただ一つだけ確かなのは――城はすでに半壊していた。


 そして、玉座の間。


 松明に照らされた階段を登ると、虚無の玉座に大魔王ザグナロクが鎮座していた。

 暗黒の王は立ち上がり、重く低い声で語り始めた。


「……愚かなる異邦の者よ。

 貴様が踏み越えたのはただの玉座の門ではない。

 これは、光と闇の均衡、善と悪の境界、時と理のはざまだ。」


 ジャックは、ポケットの中からくしゃくしゃのタバコ葉を取り出し、燭台で火を点けながら言った。


「へぇ、ご立派な演説だな。……こりゃまた、胡散臭いカルト宗教の教祖様かと思ったぜ。もうちょい寄付金の案内があれば完璧だったな。」


 ザグナロクの眉が僅かに動く。


「戯言を……! 貴様ごときが、深淵なる暗黒世界の理を侮辱するなど――!」


 大魔王は両腕を天に掲げ、虚空に魔印を描く。

 幾億もの魔素が城を貫き、天空に穴を開ける。


「来たれ――終末の魔法黙示の炎! 世界よ、焼き尽くされよ!!」


 巨大な魔方陣がジャックを中心に展開される。

 城の空間が歪み、時が凍りついたように感じられた。


 だが、次の瞬間。


 ジャックは、ゆっくりと懐から石鹸を取り出した。

 城の床に、ただ静かに転がす。

 そして、自身も前方に駆け込む。


「お前さんな……世界を滅ぼす前に、足元くらい見とけよ。」


 ザグナロクが反応するより先に、石鹸が足元を掬う。

 そして大魔王が転倒した瞬間、ジャックの手から燭台が離れ、まるで因果が定めたかのように大魔王の眉間を直撃。


 魔方陣が崩れ、力の奔流が暴走を始める。

 次の瞬間、世界が震え、玉座の間が火柱ごと吹き飛んだ。


 ……炎が収まり、瓦礫の中からゆっくりと姿を現す男がひとり。


 すすけた顔に、薄く笑みを浮かべ、ジャック・マクレーンはタバコを口にくわえ、煙を吐いた。


「……理だの終末だの――結局、お前さんも油断して石鹸でスッ転ぶ、いつもの悪党じゃねぇか。」


 彼は、誰にも届かぬ天井を見上げ、もう一度、長く煙を吐いた。


「……帰るか。娘の誕生日、たしか来週だったな……」


 その煙は、高く、高く、城の崩れた天井の隙間から、異世界世界の空へと、溶けていった。



***



 エピローグ:煙の向こうの帰る場所



 玉座の間は静まり返っていた。

 闇の大魔王が滅びたという報告が届いてなお、王は言葉を失っていた。


 なぜならその報告書の裏には、かように記されていたからである――


 王立天文台、爆破により崩壊。

 第六近衛塔、ワイバーン落下により瓦解。

 大図書館、煙草による火災で焼失。

 王都東門、特級呪具廃棄により半永久的に通行不能。

 魔王城、爆心地から広範囲が死の大地に。



 そして、玉座の扉が蹴り開けられた。


 すすけた革ジャンを羽織り、タバコを咥え、鍋ぶたを腰にぶら下げたままの男――ジャック・マクレーンが帰ってきた。


「Yo。帰ったぜ、陛下。あんたの言ってた魔王討伐ってやつ、ちゃんとやったぞ。……ま、おまけで色々壊れちまったがな。」


 王は震える手で報告書を握りしめた。

 顔色は青ざめ、口からは言葉が出ない。


「……こ、これは……この被害は……一体、誰が……!!」


「誰って、あんたが呼んだ勇者様だろうがよ。……というか、俺、最初から言ったよな? これがアメリカ式、俺の流儀だって。」


「黙れ!! 貴様……この惨状を……どうしてくれるのだ!!!タバコのポイ捨てとか舐めとんのか!?」


 ジャックは無表情のままタバコを灰皿のない床に落とし、靴でねじ潰した。


「これでパニクってんのかよ。――こっちじゃ、銃弾が天井抜けて隣の床に落ちるのも、容疑者がガス爆発で吹き飛ぶのも、クソみてぇなビルのオーナーが責任逃れするのも、全部が当たり前の日常だぜ。」


「貴様ッ……貴様だけは許さぬ! 衛兵! 衛兵よ!! この男を――処刑せよ!!」


 金属の足音が鳴り響き、十数名の兵士がジャックを囲む。

 だが、彼はすでに暖炉の火掻き棒を構えていた。

 左手には果物籠からくすねたレモン、右足で椅子を蹴飛ばして転倒させた兵士を踏み台に跳躍。


「……あのな、王様。報告者読んでねえのか? 俺を始末する気なら――まず家具をどかせ。」


 兵士たちは次々と倒れ、王宮の天井と壁は崩れ、最後にジャックは王の玉座に躍りかかると、石盤の上にあった銀の燭台を逆手に持って、王の前に叩きつけた。

 王はへたり込み、口からは泡が出ていた。


「これで満足かよ。勇者を召喚して世界を救うってのは、思ってるよりコスト高いんだぜ。……請求書は、ロス市警につけといてくれ。」


 沈黙。

 その中で、一人の少女――王女エルヴィアが涙をこぼしながら立ち上がる。


「父上……このような情けなき姿……私は、もう見ていられません! 王国は、私が――私自身の手で立て直します!」


 王は、何も言えなかった。

 ジャックはふと、王女のその背中を見て、そこに自分の娘の面影を重ねた。


「しっかりやれよ、姫さん。壊した後を建て直すのが、本当の戦いだ。」


 しれっとそう言い残すと、ジャックは転移魔法陣の前に立ち、深く息を吐く。

 振り返らず、誰にも別れを告げず、そのまま――光の中へと、歩みを進めた。



***



 ロサンゼルス市警。

 ブリーフィングルーム。

 青筋を立てた上司が紙を叩きつける。


「ジャック! 国際テロ対応班から要請が来てる!今回は、絶対に建物を壊すなって厳命だ!わかったな!?」


 ジャックは、無精髭を撫でながらゆっくりと立ち上がった。


「……無理だな。俺が壊してんじゃねぇ。向こうが勝手に壊れやがるんだ。」


 ざわめく署員たち。

 彼は火のついたタバコを口にくわえ、扉を蹴って、いつものように出て行った。


 世界が、また少しだけ、騒がしくなる気配を残して。



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