■第五話 次の配信

 夜。

 部屋の照明を落とし、ももはマイクの前に座っていた。


 机の上には、メモ帳。

 そこには、小さな文字で、こう書かれている。


「今日は、よかったことが、ふたつ。」


 ももは、深呼吸をひとつ。

 マイクのスイッチを、カチッと入れる。


「……こんばんは。momo_neです」


 その声は、いつもより少しだけ明るい。

 音量を整える手も、ほんの少しだけ、震えていない。


「えっと……きょうは、よかったことが、ふたつあったの」


 少し間を置いてから、語り始める。


「ひとつめはね……“がんばるね”って、言ってくれたひとがいたの。

 そのひとには、きっと、わたしの声なんて届いてないかもしれないけど……

 でも、ちゃんと伝えたかったから……言葉にしてみたら、

 “がんばる”って、わたしの中にも残った気がして……」


「……ふたつめは、それを“うれしい”って思えたこと。

 ……前のわたしなら、怖くなって、すぐ後悔して、布団に丸まって終わりだったけど……

 でも今日は、“うれしい”って、思えたから……ちょっとだけ、前より強くなれた気がしたの」


 その声を、ゆりえはまた、ベッドの中でイヤホン越しに聴いていた。

 クッションを抱きしめて、口元に枕を当てて、顔を真っ赤にしている。


(この子……この子は……ほんとに、すごい……)


(どうしてこんなにも、真っ直ぐで、やさしくて、かわいいの……?)


 布団の中で、ごろんと転がる。


「……だから、きょうの“ふー”は、ちょっとだけ強めにいくね?」


「……きょうも、えらかったね」


「いろんな気持ち、ちゃんと飲み込んで……がんばったでしょ?」


「……ふー……してあげるね……」


「がんばりすぎの、あなたへ……」


「……これからも、わたしはここで、声を出すから。

 もし届いたら、うれしいなって思います……」 


 カチッ、と配信が終了する音。


 しばらくの沈黙のあと、

 ゆりえは、スマホをそっと胸に当てて、天井を見つめた。


「…………好き…………」


 布団の中、誰にも聞かれないところで、

“もねりす”としてだけ、そっと呟いた。


 手元のスマホには、未送信のコメント欄。


「先生って、がんばること多いよね。でも、今日もちゃんと伝わってたよ」


 ゆっくりと、その文を削除する。

 そして、代わりにこう書いた。


「きょうのふー、ちゃんと届きました。ありがとう」


 送信。

 すぐに、何人かの“もねりす”が♡リアクションを送ってくる。


 それを見て、

 ゆりえはそっと、微笑んだ。


 先生と生徒。

“推し”と“リスナー”。

 その境界線は、まだくっきりと残っている。


 でも、

 そのどちらでも構わない。


 今は、ただ――

 この声が、届いている。それだけで。


 エピソード2・──・完・──

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