第19話 「追いかけない理由を、探していた」 (及川視点)
あの夜から、七海からの連絡はなかった。
会ってもいない。
話してもいない。
ただ、社内の共有チャットに彼女の名前がときおり流れるだけだった。
(……当たり前だ)
自分からも何も送っていないのだから。
送れるわけがない。
送ってはいけない。
それでも、ついスマホを手にしてしまう。
LINEの画面を開き、最後に交わしたメッセージの履歴を指先でなぞる。
「また食事に連れて行ってください」
「おやすみなさい」
あの夜、あの一言の奥に、どれだけの決意と、やさしさと、諦めが詰まっていたのか――
ようやく今になってわかってくる。
彼女は、自分の立場も、気持ちもすべて察して、
“後輩”としての顔に戻ってくれた。
それがどれほど苦しかったか、想像するだけで胸が詰まる。
そして、自分は……逃げたのだ。
あのキスが、間違いだったとは思っていない。
触れた指も、袖を引かれたあのぬくもりも、すべてが真実だった。
でも、それを選びきる覚悟が――自分にはなかった。
(……臆病者だな)
ソファに沈み込みながら、及川は静かに目を閉じた。
それから数日。
七海の名前が社内報で取り上げられた。
「若手デザイナー、新倉七海氏、大手案件でクライアント指名を獲得」
「社長直々の依頼も――社内で期待の星」
祝福の声。ざわつく同僚たち。
褒め言葉の数々が飛び交うなか、及川はひとり、
それが“自分の知らない場所”で起きていることだと実感していた。
近くにいたはずの人が、気づけば遠くの光になっている。
喜ばしいことのはずだ。
彼女の努力が報われた。評価された。
応援すべきだ。
それが“上司”としての立場だ。
でも、それでも――
「寂しい」と思ってしまった。
あの夜、なにも言えなかった自分。
何ひとつ選ばなかった自分。
七海が前に進もうとしているのに、
自分はただ、その後ろ姿を見つめているだけだった。
(追いかけてはいけない。だけど……)
追いかけたい気持ちを、何かのせいにして、
今日もまた、理由を探しては踏みとどまる。
そのくせ、心のどこかでは、
“もう一度会えたら”と、
叶うはずのない偶然を願っている。
本当は気づいていた。
彼女を見失いかけているのは、
誰でもない、自分の手のせいだということに。
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