明智とダニー(2)
男たちはまず、床で倒れている白井を見た。
これまで、数多くの男を虜にしてきた美しい顔……だが、今は醜く変形している。瞼は塞がり始め、唇は裂け血が滴り落ちていた。鼻はあり得ない方向に曲がり、床には白い破片が落ちている。彼女の歯だろうか。
次の瞬間、男たちの顔つきが変わる。
「明智さん! うちの子に何してくれてるんですか!」
ひとりの男が怒鳴り、明智に詰め寄る。そこまでは、まだよかった。
しかし、その後の行動がまずかった。この男は怒りに任せ、明智を突き飛ばしてしまったのだ。
今、この部屋において……それは、もっともしてはいけない行為だった。
その瞬間、何が起きたかをはっきり理解していた者はいない。
それくらいダニーの動きは自然で無駄が無く、かつ速かった。彼は瞬時に、突き飛ばされてよろめく明智のそばに移動する。
直後、ダニーの横殴りの左肘が放たれた。左肘は男の顔面を抉り、肉を切り裂く。
しかし、ダニーの攻撃はそれだけでは終わらない。彼の体は、なおも動き続けている。ダニーは時計回りに回転し、強烈な右肘を男の顔面に叩き込んだ――
その間、僅か数秒ほど。次の瞬間、男は倒れた。
「お前ら、ここにいるダニーは俺の弟分だ。しかも、ムエタイの達人だよ。お前ら全員を一分以内で病院送りに出来るぜ。さっさと、そこに寝てる『泣く女』を連れて失せろ。俺たちは、もう飽きちまったから帰らせてもらう」
いかにも楽しそうな表情で、男たちに言ってのけた明智。
一方、スーツの男たちは目の前で起きた出来事に唖然となっていた。ホラー映画に登場しそうな醜い顔の男がいきなり現れ、仲間のひとりを数秒で倒してしまったのだから。
だが次の瞬間、彼らの視線が倒れた仲間を捉える。無残に陥没した顔面を晒し、ピクピク痙攣していた。
その途端、男たちは一斉に動く――
しかし、ダニーの反応の方が遥かに早い。鞭のようにしなやかな左のミドルキックが飛んだ。
ダニーの足先は、催涙スプレーを取り出した男の右手首に炸裂する。鞭のようなミドルキックにより、男の手首は一瞬にして砕かれた。悲鳴を上げ、男は催涙スプレーを落とす。
直後、今度はダニーの右足爪先が男の鳩尾を抉る。男は声も無く、前のめりに倒れた。
だが、別の男がダニーに迫る。スタンバトンを手に、ダニーに襲いかかった。
しかし、いくらスタンバトンが強力でも、扱う人間の性能が違い過ぎれば宝の持ち腐れである。ダニーはスタンバトンの一撃を難なく躱し、その持ち主めがけ横殴りの左肘を叩き込む。次いで、下から上へと打ち上げるような右肘が顔面に炸裂――
ボクシングのアッパーカットのような軌道の右肘をまともに顔面に食らい、男は仰向けに倒れた。
しかし、ダニーの動きは止まらない。残った男へと向かって行く。首を両手で掴み、飛び上がるような膝蹴りを顔面に見舞っていく――
その場には、四人の男とひとりの女が血まみれで倒れていた。
一方、ダニーは息も切らさずに佇んでいる。そのライオンにも似た顔からは、何を思っているのか窺い知ることは難しかった。
その時、パチパチという妙に場違いな音が聞こえてきた。明智が拍手しているのだ……。
「いやあ、相変わらず見事なもんだな。ダニー、お前は本物の天才だよ。さて、引き上げるとするか」
愉快な表情を浮かべながら、ダニーに声をかける明智。しかし、またしても新手の男たちが部屋に乱入して来た。
今度の男たちも黒いスーツ姿だが、先ほどの者たち――床に倒れている連中――とは明らかに違う雰囲気だ。格が違う、とでも言おうか。全員がサイボーグのような冷酷な顔つきで、部屋に入り明智たちを睨み付ける。
しかし、明智は怯まなかった。
「何だよ、また来やがったのか。さっさと消えろや。でねえと殺すぜ」
平静な顔つきで言いながら、明智が懐から取り出した物……それは、黒光りする大型の拳銃であった。そして横にいるダニーも、両拳を上げて構えている。
緊迫した空気が、部屋を支配していた……。
だが、ひとりの男が前に進み出た。顔に火傷の痕があり、綺麗に切り揃えられた口ひげを生やしている。その表情は冷静で、興奮している訳でも怯えている訳でもない。
「明智さん……私はマネージャーの藤堂です。うちの人間が、何か失礼なことでもしましたか?」
あくまでも、平静な口調で尋ねる藤堂。すると、明智は口元を歪めた。
「失礼だぁ? そこで寝てるポンコツの金髪女はな、俺の弟のダニーを化け物と言いやがったんだよ。こんな失礼なことがあるか。俺たちは帰らせてもらうぜ。邪魔する奴ぁ殺すけどな」
明智の方も、平静な口調で返す。だが、横にいるダニーは今にも襲いかかりそうな様子だ。明智はさりげなく左手を伸ばし、ダニーの肩を叩きながら小声で囁く。
「ダニー、まだ大人しくしてろ。ただし、奴らが妙な真似したら殺せ」
一方、藤堂はじっと両者を見つめた。
「なるほど……しかし、ここまでの事をされたら、ウチとしても黙って引き下がる訳にはいきませんね。この始末、どうなさるつもりですか?」
重々しい口調で言い放つ。同時に、男たちの表情が変わる。上着の内ポケットに手を入れ、何かを取り出そうという構えだ。
しかし、明智にも怯む様子がない。
「そうかい。だがな、あんたらは黙って引き下がるしかねえんだよ。ここでドンパチやったら、困るのはあんたらの方だろうが。宗教団体ラエム教の施設で発砲事件なんかあったら、こりゃあマズイよねえ?」
余裕綽々の表情で、笑みを浮かべる。
すると、藤堂の口元が歪む。黙ったまま、じっと明智を睨み付けた。
ややあって、藤堂は口を開いた。
「では、我々が何もしなければ、あなた方は大人しく引き上げてくれるのですね?」
「ああ、そのつもりだよ」
明智の返事を聞き、藤堂は部下たちの方を向く。
「明智さんは、お帰りだそうだ。お前ら道を開けろ」
その声を聞き、スーツの男たちは動いた。不満そうな顔をしながらも、無言で部屋の隅へと移動する。
その様子を見た明智は、愉快そうに頷いた。
「さて、邪魔な奴らは居なくなったことだし、帰るとするか」
そう言うと、明智は意気揚々と部屋を出て行く。慌てて、その後を追いかけるダニー。
しかし、そんなふたりの背中に言葉が投げられた。
「明智さん、まさか、これで済んだと思っちゃいませんよね?」
その声を聞き、明智は立ち止まる。端正な顔に歪んだ笑みを浮かべ、ゆっくり振り返る。
二階から自分たちを見下ろす藤堂を、凄みの利いた表情で睨み付けた。
「ああ……こっちも、この程度で済ませるつもりはねえよ」
そう言うと、小馬鹿にしたような表情でペロリと舌を出して見せた。
外に出た後、明智とダニーは並んで夜道を歩いていた。周囲は閑静な住宅地であり、人通りもほとんど無い。まさか、こんな所に宗教団体の経営する売春宿があるなどとは、誰も想像しないであろう。
「ダニー、腹へったな。お前は何が食べたい?」
明智の問いに、ダニーは顔を上げた。
「う、うん。チキンラーメンとチョコパイが食べたい」
「チキンラーメン?」
すっとんきょうな声を出す明智に、ダニーはためらいながらも頷いた。
「うん。ダメ?」
「ダメじゃねえけどな……じゃあ、今日はチキンラーメン食うか。ただし鳥のささみと卵、それにブロッコリーとヨーグルトも食べるんだぞ。栄養のバランスも考えないとな」
「わかった。食べる」
素直に答えるダニー。すると明智の顔に、優しげな表情が浮かぶ。先ほどの、施設内での凶行が嘘のようだ……。
「ダニー……帰ったら、一緒にチキンラーメンとチョコパイ食べような」
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