獣の兄弟

板倉恭司

明智とダニー(1)

「明智さん、お連れしましたよ」


 付き人らしき男の声とともに現れたのは、存在だけで部屋の空気すら一変させてしまいそうな美女であった。

 年齢は二十歳前後だろうか。透き通るように白い肌をしており、顔はまるで作り物のように整っていた。青い瞳は大きく、たなびく金髪はウィッグではなく自前らしい。肩の開いた白いロングドレスを着てはいるが、その巨大な乳房はドレスの下からでも自己主張をやめていない。


「どうも、白井雪シライ ユキです」


 女は、にこやかな表情で頭を下げる。自らの美貌に対する圧倒的な自信が、その立ち振る舞いからも伺えた。


 そんな彼女の目の前にいる男も、顔の美しさでは負けていない。端正な顔立ちは、芸術家が丹念に作り上げた彫刻のようであった。高く通った鼻筋、形のよい唇、そして切れ長の目には、鋭さと静けさが同居している。どこか非現実で、この世のものとは思えない……そんな美しさがあった。

 もっとも、彼にあるのは美しさだけではない。野性の獣のような荒々しさをも合わせ持ち、独特の雰囲気を醸し出している。

 そんな男は、肩まで伸ばした髪を後ろで束ね、オーダーメイドのスーツに身を包み、手には革製の手袋をはめていた。いかにも愉快そうな顔つきで微笑んではいるが、白井を見る目には冷たい光が宿っていた。




 ここは新興宗教団体『ラエム教』の真幌支部だ。施設自体は三階建てであり、一階はホテルのように、受付と待合室が設置されていた。白い壁に囲まれた建物は、外からは病院のようにも見える。明智はその待合室のソファーに座り、白井の到着を数分前から待っていたのだ。

 もっとも、この場所は……宗教団体の支部、とは名ばかりである。信者たちはごく普通の人間ばかりだが、教団を仕切る幹部たちはヤクザも顔負けの悪党たちによって構成されているのが実情だ。


 そんな教団が、裏で行なっている商売のひとつが売春である。売春とは言っても、そこに所属している女性は並みの容姿ではない。そこらのアイドルや女優では太刀打ちできないほどの美貌の持ち主が、数多く所属しているのだ。この施設自体も、夜になると売春宿と化す。

 今、明智アケチ光一コウイチの目の前にいる白井雪も、ラエム教の売春組織に所属する女のひとりであった。


「白井さん、といいましたね。あなたは実に美しい。今夜は是非とも、あなたと共に素敵な夢を見たいものですね」


 そう言って、明智は微笑んだ。こちらもまた、落ち着いた余裕たっぷりの態度である。大抵の男が、見ただけですくんでしまうであろう白井の美貌に対し、怯む気配がない。

 すると、白井はにっこりと微笑んだ。


「ええ、喜んで」




 そして白井は、二階の一室に明智を招き入れる。田舎のラブホテルのようにごてごてと悪趣味な飾り付けがされているわけではなく、ごく普通の落ち着いた雰囲気である。部屋はさほど広くなく、ダブルベッドとテーブル、それに冷蔵庫があるくらいだ。

 白井は妖艶な笑みを浮かべながら、ダブルベッドに腰掛けた。


「私、あなたのようなイイ男は初めて見るわ……仕事抜きでお付き合いしたいくらい――」


「ああ、ちょっと待ってな。今、呼ぶからさ」


 白井の言葉を途中で遮り、明智はずかずか部屋の奥へと進んでいく。白井には見向きもせず、奥にある窓を開けた。

 窓から顔を出し、叫ぶ。


「おい、ダニー! ここだから早く上がって来い!」


 その行動に、白井は唖然となった。この男は、いったい何をしているのだろうか?


「ちょ、ちょっと!?」


 白井が声を発すると、明智は振り向いた。彼女に向かい、にっこりと微笑む。


「大丈夫。今来るから」


 その言葉の直後、白井は口を開けたまま硬直した。なぜなら、本当に窓から侵入してきた者がいたのだから……。


「な、何なの……」


 そう言ったきり、絶句する白井。

 窓から入って来た者は、黒いパーカーに身を包み、窓のそばに佇んでいる。体つきはがっちりしており、その両腕は長い。顔にはサングラスをかけマスクをしており、異様な雰囲気を醸し出している。


「白井さん、こいつはダニー。まあ、俺の弟みたいなもんだ。おいダニー、サングラスとマスク取って挨拶しろ」


 言いながら、明智はダニーの頭をはたく。

 すると、ダニーはためらいながらも、明智の言う事に従った。まず、被っていたフードを上げる。次いでサングラスを外し、マスクを取る。

 その瞬間――


「いやあぁぁぁ!」


 白井の悲鳴が、室内に響き渡った……。

 その男の顔は、恐ろしく醜かった。小さく不気味な形の目、平べったく巨大な鼻、大きな口……ライオンや虎に代表される、猫科の大型肉食獣のような顔つきをしていたのだ。しかも、ツギハギのような傷痕まで付いている──


 まるでホラー映画に登場する怪物のような風貌の男が、そこに立っていた。


 体を小刻みに震わせ、後ずさる白井。すると、明智が楽しそうな表情で口を開いた。


「白井さん、実を言うと……このダニーはまだ、女を知らないんだよ。チェリーボーイなんだよな。だからさ、ダニーに女ってものを教えてやってくれ。頼んだぜ」


 言いながら、白井に向かいウインクする明智。次いで、彼はダニーの方に向き直る。


「そういうことだ。いいかダニー、白井のお姉さんの言うことをちゃんと聞くんだぞ。そうすれば、お前も天国に連れて行ってもらえるぜ」


 いかにも嬉しそうに、ダニーの肩を叩く明智。その時になって、白井はようやく我に返った。


「じょ、冗談じゃない!」


 憤然とした表情で怒鳴りつけると、白井は憤然とした表情で扉へと向かう。

 その瞬間、明智も動く。まるで忍者のように音も無く移動し、扉の前に立ち塞がった。


「おい待てよ。どうしたんだ? いったい何を怒ってるんだよ?」


 微笑みながら、尋ねる明智。すると、白井は彼を睨み付けた。


「ふざけるんじゃないよ! こっちはね、そこらの売春婦とは違うんだよ! あんな化け物の相手するほど――」


「待てよ。お前は今、なんて言ったんだ?」


 尋ねる明智の声は、それまでとうって変わって無機質なものだった。

 顔つきも変化している。先ほどまでのにこやかな表情が、その顔から消え失せていた……白井は思わず後ずさる。


「ねえ白井さん、聞いてるの? 俺の聞き間違えでなけりゃ、今あんたは化け物って言ったよね?」


 無表情のまま、なおも質問してくる。


「ああ言ったよ! あいつの顔、どっから見たって化け物じゃない!」


 顔をゆがめながらも、言い返す白井。

 その時、明智はニヤリと笑った。


「顔か……分かった。顔に難があるから、ダニーは化け物だと、あんたはそう言ってるんだな」


 冷静な口調で言った直後、明智は白井の髪を鷲掴みにした。

 そのまま、何のためらいも無く壁に叩きつける――


 グシャリ、という音。血に染まる壁。

 一瞬遅れて、白井の口から悲鳴が上がる。だが、明智は平然としていた。


「そんな声だすなよ。今から、あんたの顔もきっちり変形させてやるから。あんたも、今日から化け物の仲間入りだ」


 冗談めいた口調で言いながら、明智は白井の顔を壁に叩きつける。

 何度も、何度も――


「あ、兄貴……」


 部屋の奥から、くぐもったような声が聞こえてきた。ダニーの声だ。


「何だよダニー。俺は忙しいんだ。今からこいつの顔を、名画『泣く女』に変えてやるから。俺の芸術的な創作意欲に火が点いちまったんだよ。ちょっと待っててくれ」


 言葉を返しながらも、明智は凶行を止めない。白井の金髪を掴み、顔面を壁に何度も叩きつけているのだ……その度に、グチャッという胸の悪くなるような音がする。


「も、もういいよ……」


 恐る恐る声をかけるダニー。明智が言い返そうと顔を上げた時――

 唐突に部屋の扉が開き、数人のスーツ姿の男たちが姿を現した。

 すると、明智は愉快そうな表情を浮かべ、パッとその場から離れる。血まみれで息も絶え絶えな白井を放置したまま……。





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