第4章 part6 対局の2日目

ヴァルハラ魔術学院 魔歴2025年 入学式当日


その日、学院内はざわめきと興奮に包まれていた。


新入生たちにとって希望と緊張の入り混じる記念すべきはずの入学初日。だが、そんな佳き日に前代未聞の異例事態が発生した。


――魔術対局(まじゅつたいきょく)の発令。


学院全域の学生たちの意識へ、直接脳内に響き渡る術式放送が流れたのだ。


『学院休憩エリアにて、“魔対”が発令されました。観覧希望の学生はこのアナウンスの直後、流れる術式回路に自身の魔力を乗せてください』


その瞬間、静まりかえっていた空気が一変する。


廊下も食堂も図書室も、いたるところでざわつきとざっくばらんな会話が飛び交い始める。


「ま、魔対だと…? 今日? 入学初日に?」


「喧嘩でそんなもん発動させる奴いるかよ。何考えてんだ?」


「どうも新入生同士らしいぜ。頭おかしいんじゃねぇのか? ほとんど使われてないシステムだぞ、これ」


「しかも片方は南大陸貴族のご令嬢、もう片方はクラスを二つ取ったって噂の奴だってさ」


生徒たちは各々の思惑を胸に、興味本位と好奇心に駆られて脳内へ流された術式構造へ自らの魔力を乗せていく。


それはヴァルハラ学院独自の魔術システムで、観覧希望者の意識を遠隔で地下対局場へと転送するものだった。


そんな中、ただひとり複雑な想いを抱え、深くうつむきながら地下へと意識を飛ばされる少女がいた。


――津秋ユイ


「クロウ……本当にごめんね。全部、私のせいだ」


自分の浅はかな行動で、親しくなったばかりのクロウをこんな騒動に巻き込んでしまったことを悔い、胸を締め付けられる思いで目を伏せる。



だが、今となっては何もできない。ただ流れに身を任せるしかなかった。



意識が転送され、学院地下に存在する魔術対局場に降り立ったユイの目の前には、想像とはまったく異なる光景が広がっていた。


(え、なにここ……対局場って言うからもっと閉鎖的な空間かと思ったのに)


そこはまるで古びた中世の街並み。石畳の道路とレンガ造りの家々が並び、遠くには黄金色の畑が風に揺れていた。ヴァルハラ学院地下とは思えない、どこか異世界のような景色。


不安と驚きを抱えながら辺りを見回していると、街の奥からふたつの人影が姿を現す。


ひとりは、漆黒の髪を揺らしながら歩いてくるクロウ。もうひとりは、年端もいかぬ少女の姿だった。


「あ、そういえば名乗ってませんでしたね。私、フェイ・ベリアブルと申します。どうぞフェイと呼んでください」


柔らかな微笑みを浮かべ、丁寧に一礼するその姿は幼いながらも品位を感じさせた。


「私はクロウ。そんなにかしこまらなくてもいいさ。私は貴女を対等の仲間だと思ってる。たとえ貴女が西の大陸の名門ベリアブル家のご令嬢だったとしても」


「ふふ、すでにベリアブル家は没落貴族ですよ。今は見る影もありません。それに、こちらの方の方がまだ先がありそうですよ」


フェイはクスクスと笑いながら、遠くを指さした。


視線を向ければ、そこには貴族然とした堂々たる態度で立つ少女――ビクトリア・マイヤーがいた。


自身満々に胸を張り、豪奢な装飾のついた制服に身を包み、まるで自分こそが主役とばかりに手を広げる。


「ようこそ!これが私のマイヤー家の“庭”よ!」


誇らしげに叫ぶビクトリア。手を広げ、自身の権威を象徴するかのようにこの異空間をクロウたちへ見せつける。


「この街も、この土地も、すべて私のために用意されたもの! これが格の違いというものよ!」


魔対会場は開催者本人の意思により場所が設定できる。それは自身の得意フィールドであったりと、様々だ。


(……何か仕込んでるな)


クロウは静かに眉をひそめ、視線を鋭く巡らせる。


「フェイ、君は充分距離を取って離れててくれ。ここは危険だ」


「承知しました。でも、あそこまで露骨だと逆に楽しくなってきますね」


フェイは小さく肩をすくめ、楽しげに笑いながら距離を取っていった。


「全くだ」


クロウは手を振ると同時に、虚空より漆黒の短剣を転送させる。その刃は鈍く黒光りし、まるで闇そのものを象ったかのような妖しい気配を放っていた。


その頃、上空――浮かぶ雲間にひとりの男の姿があった。


ビクトリアの従者・剣聖ハーミット


悠々と空中に浮かび、腕を組みながら街の様子を見下ろしていた。


「はぁ、お嬢様も相変わらずだな。喧嘩っ早いし、プライド高すぎるし……ったく、面倒事ばっか持ち込んでくれる」


ぼやき混じりのため息をついたその瞬間、頭の中に響く声。


『なにか言ったかしら?』


ビクトリアの冷たい声音が、通信魔法を通じて脳内に響く。


「い、いえ! 何も!」


即座に体を強張らせ、慌てて返答するハーミット。


互いの布陣が整い、いよいよ対局は始まろうとしていた。



「……さて、行きますかね」


誰に言うでもなく、虚空に呟いたのは学院服に身を包んだ青年、ハーミットである。


彼は自らの背に収めていた剣の柄に手をかけると、鞘から静かに抜き払った。鋭い金属音が、冷えた空気を裂くように響く。


その視線の先には、今まさに対峙の構えを取る黒髪の少女——クロウがいた。


遠く地上に立つ彼女の存在を捉え、ハーミットは息を潜めるように魔力の気配を抑え込みながら、じわりと力を込める。


瞬間、気流が揺れた。


「——!」


クロウの鋭敏な感覚が、異変を察知する。

咄嗟に上を仰ぎ見た時には、既に遅かった。


遥か頭上、約三百メートル上空。雲の切れ間から、疾風のように降下するハーミットの姿。


彼の剣が大気を裂き、滑空と同時に魔力を纏わせる。


風属性魔法ウィンドサイス

ただの急降下の剣撃ではない。その斬撃に纏わせた風の刃が、目には見えぬ鎌の如くクロウを切り裂かんと迫る。


ドンッ!!


耳を劈く轟音が大地を揺らし、土煙が盛大に舞い上がる。

斬撃の余波で、周囲の地面には無数の亀裂が走り、乾いた地表が抉れて砕けた。


「おおおおっ!?」


対局場を意識のみで観覧していた学院生たちの意識の群れが、一斉に沸き立つ。


『やったか!?』


『魔対って魔法で相手を行動不能にする競技だよな?剣士ってありなのかよ!?』


『ばか、アレは魔法剣士だぞ。魔法をまとわせてるから、攻撃判定も魔法になる』


『それチートだろ。そりゃ勝ち確じゃん、剣速も異常だし』


『てかあのビクトリアって貴族の娘、こんな奴まで抱えてんのかよ……今年の新入生、魔境かよ』


好奇心と興奮の意識が入り乱れる中、ひときわ静かに響いた声があった。


『……クロウは負けない。絶対に』


それはユイの声だった。

不安と後悔に押し潰されそうになりながらも、彼女は必死にクロウを信じる心だけは手放していなかった。


『え、誰?』


『黒髪の子の知り合い?』


『そーいうの気の毒だよな……あの攻撃、さすがに避けられねぇよ』


『しかも、この魔対フィールドもビクトリア側の得意空間になってるし、もう詰みじゃん』


ユイへの同情と興味の視線が意識の中で交錯する。だがその空気は、次の瞬間、舞い上がった土煙の中から現れた光景によって一変した。


『——!?』


ゆっくりと晴れていく砂塵の向こう。

そこにいたのは、剣を地面に突き刺し、膝をついて肩で息をするハーミット。


そして、その前に悠然と佇み、涼しげな顔で立つクロウの姿だった。

漆黒の短刀を手に、薄く笑みを浮かべながら。


「……空からの奇襲。鷹のような急降下で有無を言わさぬ一撃。なかなかの腕前ですね」


地面に目を落としながら、クロウが静かに呟いた。

その声は穏やかだが、どこか底知れぬ余裕と冷たさを孕んでいる。


「全く……異常な学院に放り込まれたと思ったら、初日からこれかよ。こんなの避けられたの、初めてだぞ……」


そう言いながら、ハーミットは突き刺した剣を抜き、再び構え直す。

額には汗。けれど、瞳の奥に闘志が宿る。


「……かなりの使い手だ。伊達に“南大陸の剣聖”と呼ばれるだけのことはある」


クロウも構えを取り、漆黒の短刀を逆手に持ち替えた。


「嬢ちゃん……あんた、何者だ?歴戦の軍人かってぐらいの殺気と隙の無さ。とてもただの学生には見えねぇ」


ハーミットが尋ねると同時に、間を置かず二連の斬撃を放つ。


一撃目は足を狙い、二撃目は首筋へ。迷いのない鋭い一太刀だった。


だが、クロウはそのすべてを短刀の小さな刃で正確に弾き、防いでみせた。


「まじか……これも防ぐのかよ」


ハーミットの目に驚愕の色が浮かぶ。

だが、それでも怯まない。剣に魔力を纏わせ、さらに術式を重ねる。


風の魔力、水の魔力——二属性を融合させた剣撃。


振り抜いた瞬間、その軌跡には透明な水の刃が生まれ、時間差でクロウに襲いかかる。


「【魔剣術式・水波刃】!」


剣の斬撃は避けても、その後に迫る水刃の追撃を回避するのは困難。

剣と魔法の二重攻撃による不可避の構成だ。


だが——クロウはそのしなやかな体さばきで水刃の軌道を読み切り、紙一重で回避。

髪の毛先がかすかに散るだけで、傷一つ負わなかった。


「……避けるのか、これも!」


動揺の走るハーミット。

次の瞬間、避けた体の回転を利用し、クロウの放った鋭い爪先蹴りが、ハーミットのこめかみを正確に捉えた。


ゴッ。


鈍い音と共に、ハーミットの体が地面へと崩れ落ちる。

目を見開き、信じられないと言わんばかりの表情のまま、意識を手放した。


「……。」


沈黙するハーミット。


クロウは蹴り上げた足を軽やかに下ろし、口元に手を当て、ハッとしたように呟いた。


「……あ、やば。魔法使ってなかった」


観覧していた意識体の生徒たちも、言葉を失って沈黙する。


ただ、ユイだけが、胸に手を当てながら微笑み、そっと呟く。


『やっぱり、クロウは強いんだ』


誰よりも確信に満ちた声で——。


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