第4章 par1 待望の1日目
乾いた風が肌を撫でる。
焼けた石畳の匂いが入り混じる空気を胸いっぱいに吸い込み、津秋ユイはゆっくりと息を吐いた。
目の前に広がるのは、異国の景色だった。
石造りの建造物が並ぶ街並みは、古代の遺跡を思わせる重厚な佇まいと、現代の魔術技術を融合させた不思議な姿をしている。
路地の上空には淡く輝く魔導灯が浮かび、遠くの塔からは、巨大なホログラムの文字が街に向けて浮かび上がっていた。
──【神国特別自治区カムイへようこそ】
ユイはその文字を見上げ、ようやく実感が湧いてくる。
「……ここが、カムイ」
神国本国ではない。だが、この街もまた神国の文化と権威の影響を色濃く受けた場所。
巨大ギルド【アヴァロン】が運営するこの自治区で、彼女はこれから仮滞在を送り、最終審査に挑まなければならない。
肩から下げた鞄の紐を握り直し、ユイは背後にそびえる巨大な門を振り返る。ここが入国管理局の仮ゲート。ここから先はカムイの中心街へと続く。
ふと、風に乗って賑やかな声が聞こえてきた。
路地の先では露店が並び、異国の料理の香りと、魔道具の呼び込みが飛び交っている。街路樹の枝には小型の魔術鳥が止まり、人の肩に止まって囁きかけては飛び去っていく。
まるで、過去と未来が同居する混沌の街。
「これが、あの方への第一歩……」
呟くように、ユイは自分に言い聞かせた。
遠く、カムイの中心部。巨大な石造りの塔が、夕焼け空に向かってそびえている。塔の頂には、四人の女王の石像が並んでいるのが、小さく見えた。
そこが、この街の象徴。いずれ訪れることになる、特別な場所。
そしてその手前、瓦礫と魔術金属で築かれた超高層ビル――それが、神国直属魔法学校【ヴァルハラ】
ユイは一度だけ、目を閉じた。胸の奥に宿る、不安と期待。見知らぬ街、見知らぬ人々、そして待ち受けるであろう厳しい試練。
それでも、ここで負けるわけにはいかない。
──私は、あの人を出会うためにここまで来たんだから。
再び目を開け、ユイは一歩、カムイの街へと踏み出した。
津秋 ユイ編開幕
カムイ歓楽街──その一角。石畳の道の両脇には色とりどりの灯りを掲げた商店や露店、酒場が立ち並び、行き交う人々の賑わいが途切れることはなかった。
行商人の威勢の良い声、ギルドの紋章を誇らしげに掲げた冒険者たちの笑い声、そして高級そうな衣服に身を包み、顔を隠すようにフードを被った貴族風の者たち。
あらゆる階層の者たちが入り混じり、夜の街はまるで祭りのような喧騒に包まれていた。
その中を、一人の少女が歩いていた。
年の頃は十六、七。紺の学生服に身を包み、両手には自分の身の丈ほどもありそうな巨大なトランクバッグを抱えている。
か細い腕と華奢な身体には到底釣り合わぬ荷物の大きさに、周囲の者たちがちらりと視線を向けるものの、誰も声は掛けてこない。
少女──津秋ユイは、行き交う人波の中で立ち止まり、手にした地図を何度も見返していた。
「ええと……この通りを抜けて……あれ、さっきもここ通ったっけ?」
額にうっすら汗を滲ませ、困ったように眉を寄せる。
初めて訪れた異国の歓楽街はあまりにも入り組んでおり、目印になるはずの塔も建物の隙間からではほとんど見えない。
そんな彼女の傍に、すっとスーツ姿の男が近づいてきた。
「嬢ちゃん」
低く落ち着いた声が背後からかかる。ユイはびくりと肩を跳ねさせ、慌てて振り返った。
「あ、はいっ」
地図と睨めっこしていた顔を上げると、そこには片手をポケットに突っ込み、口元に薄く笑みを浮かべた中年の男が立っていた。
どこか胡散臭くも見えるその風貌に、ユイは即座に警戒心を強める。
「探し物かい?」
「はい、でも……怪しいんで、ほっといてもらっていいすかね」
遠慮の欠片もない返答と、あからさまに眉をひそめる露骨な表情。だが男は気を悪くする様子もなく、ふっと笑った。
「まあまあ、そう言わずに」
そう言って男はユイの巨大なバッグに手を添えると、指先に淡い光を灯した。瞬間、空気が震えるような感覚と共に、術式の陣が浮かび上がる。
「えっ……な、なに?」
驚くユイの目の前で、彼女の背より大きなバッグはみるみるうちに縮み、手のひらに収まるほどのサイズにまで圧縮されてしまった。
「え、なにこれ……魔法……?」
ユイは絶句したまま、掌ほどの小さなバッグを恐る恐る手に取る。中身は無事なのか、不安が胸をよぎる。
男はにこりと笑い、再び別の術式を展開してみせた。
「今やったのは圧縮術式。旅には基本の魔法だよ。で、これが戻す方の術式。そう難しくないから、嬢ちゃんも試してみな」
警戒は解けないものの、ユイは興味の方が勝った。恐る恐る同じ術式陣を描き、意を決して魔力を流し込む。
「……っ、よし!」
ぱんっと小さな音を立て、バッグは再び元の大きさへと戻った。
「おおっ!」
思わず声を上げるユイに、男は満足げに頷く。
「さすが筋がいいな。部屋に着くまでそのまま圧縮しとくといい」
「……まあ、確かにそうですね。ありがとう、ございます」
まだ怪しさは拭えなかったが、純粋に便利な魔法に素直に感謝の言葉を返した。男は満足げに頷くと、軽く手を振って雑踏の中へと消えていった。
荷物が無いと、こんなにも歩きやすいものなのか。ユイはその身軽さに驚きつつ、再び塔を目指して歩き始める。
途中、街のあちこちに立つ警備兵に行き先を尋ねると、その度に優しく道を教えてもらえた。
どうやら外の国の人間には、神国直属の学術院──ヴァルハラへの道が魔術で阻害されているらしく、学生証を提示することでその術式を解除してもらえた。
やっとのことで到着した寄宿舎の受付窓口。そこにいたのは、優しそうな老婆だった。
「貴方が新入生かい? 若いのに優秀なんだねぇ」
「えへへ、ありがとう。でもまだまだこれからなんです!」
照れたように笑い、自身を謙遜するユイ。胸の内には、これから始まる学びへの期待が膨らんでいた。
実のところ、ユイはカムイに入国してからずっと迷子だった。塔は街の中心にそびえ立っているはずなのに、いざ歩くと建物の入り組んだ道のせいでなかなか辿り着けない。
そしてついに、自身の部屋へとたどり着く。
そこは二人部屋だったが、もうひとりの入居者はまだ到着していないようだった。ユイはベッドの端に腰を下ろし、肩の力を抜く。
(……街の人、めっっっっっちゃいい人だったあああああ!)
心の中で思わず叫ぶ。道中、何度も声をかけられ、最初は全員を不審者だと決めつけて無視していた。だが振り返れば、善意からの親切ばかりだったと気付き、あまりの民度の高さに内心驚愕していた。
寄宿舎はヴァルハラの隣にそびえる巨大なビルだが、不思議なことに外からはその姿を視認することができない。
プライバシー保護の観点から、特殊な術式によって隠されているらしい。
ユイは窓を開け放つ。夜の街が広がり、古き良き石造りの建物が並ぶその風景の中を、魔導車やバイク、配送用の魔導ドローンが行き交っていた。歴史と最先端の魔術技術が共存する異国の街並みに、思わず目を奪われる。
「綺麗だなぁ……」
ぽつりと呟き、街の光に手を伸ばす。
その瞬間、何かが違うことに気付いた。手を伸ばした先にあるはずの落下防止用の魔術障壁が、そこには無かった。
「あっ──」
開け放たれた窓、その縁に身を乗り出しすぎた体はふわりと宙に浮く。次の瞬間、ユイの身体は煌びやかな夜空へと吸い込まれていった。
視界は一回転し、ネオンの海が逆さまに揺れる。
「お、おちるぅ──っ!」
必死に叫ぶユイの声が、夜の歓楽街に響いた。
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