第2話 葉桜と毛虫
マットレスに腰かけて赤いガクの残る桜の枝を眺めていると、ふと、違和感を感じた。横向きにしわのような模様が入っているはずの幹に一か所だけ縦に模様が入っている。模様の頭には気味の悪い黒い粒がついていた。
「毛虫だな。」
放たれた言葉と音もなく近づいてきたこいつに驚いて、俺はひっと声を上げる。昔から毛虫は苦手だった。小さいころ、目の前を這ってゆく毛虫と目が合ったような気がしたからだ。
「五、六匹はいるな。」
特に反応するでもなくこいつは窓の向こうの毛虫を眺めている。
「平気なのか。」
聞いてみるといいや、と首を振ったのでよくわからないやつだな、と思った。
「だから違うんだよ、方向性が。」
がやがやとした居酒屋で、烏龍茶のグラスを片手にこいつは言った。
「『夏が終わる』と『秋が来る』じゃ見ている時間が違うんだ。終わる季節を名残惜しんでいるのか、これから来る季節に想いをはせているのか、その幅だって違う。ただ時間の経過を表しているわけじゃないんだ。」
酒も飲んでいないのにこいつは酔ったように饒舌だ。
「作家はそんなややこしいことを考えているんだな。俺ならずばっとそのまま書いてしまうが。」
「それが理想だよ。言葉は伝えるためにある。文章ってのはな、筆者から読者への一方的な自己主張だ。読者に如何に本意を伝えるか、答えのない記述問題だ。俺みたいにそれで飯を食う人間にとって、その点数は入ってくる給料なんだよ。」
サザエの肝を丁寧に取り除きながらあいつは言った。
「旨いのはその肝の部分だろ。もったいない。」
「缶コーヒーに塩を足したような味だが。」
「つまり、不味いのか……?」
「そういうことだ。」
残った身の部分を口に入れ、こいつは渋い顔をする。それは果たして除き損ねた肝の苦みのせいだけなのか。
「『記述問題』に例えるってことは『先生』とそりが合わないわけか。」
こいつは何も言わずに悔しげに口をゆがめる。
小中学校のころ、彼はそこそこ勉強ができたらしい。中学の試験で学年一位を取ったこともあった。だが、自分の知っている彼は、勉強が嫌いで、本ばかり読んでいる奴だった。勉強机は常に本で埋まり、教科書は常に小説の下敷きだった。
「書けるけど、読めない。」と、彼は言っていた。あれほどの本を読んでおいて読めない、とはどういうことか。彼は眉を顰めるだけで何も答えなかった。
眼前に聳えるは雪の残りし大山なり 玉梓 @tamazusa_fox
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