眼前に聳えるは雪の残りし大山なり
玉梓
第1話 白昼夢のような道
新幹線の止まるターミナル駅から路面電車に乗り換え、終点まで揺られること二十分。そこからさらに十五分ほど歩いた先に白昼夢のように静かで緑に囲まれた住宅街がある。昼間は車の通りが少なく、会社の事務所と廃れたような洋服屋があるだけの大通りにその一軒家は建っていた。さして広いわけでもない庭には珍しくソメイヨシノや夏みかん、渋柿の木が植えられていて、家の前に庇のように枝を伸ばしている。あまり掃除もしないのだろう、敷き詰められた砂利の間に桜のガクや枯れ葉が積もっていた。
玄関でインターフォンを押すと、古びた簾の向こうから声が聞こえてきた。
「鍵は開いてる。」
防犯意識の低さに呆れながら家に入る。古書店のような埃っぽい匂いが微かにした。正面の踊り場にある窓から差し込んでくる光で家の中もじわりと暑い。
「そんな所で突っ立ってたって仕方ないだろう。」
右手にある和室から浴衣を着た男がのそりと姿を表した。伸ばした髪を低く束ね、少し前屈みに腕を組んでいる様子は妙に様になっていて、いつの時代の人間だろうか、と疑問を感じてしまう。
「暑くないのか。」
ぼそりとそいつは玄関に立つ俺を見下ろして言う。土曜日にもかかわらず得意先に顔を出していたため、スーツを着てネクタイを締めているが確かに暑い。
「仕方ないだろう、今日は半ドンだったんだ。」
「世の中はクールビズって言葉も知らんのかね、脱炭素やら持続可能やら騒いでるのに時代錯誤もいいところだろう。」
話す声は穏やかだが、その言葉の奥にある皮肉は隠しきれない。
「時代錯誤ってのはお前のことを言うんじゃないのか?」
そう言い返してみるとそいつは意外にも毒気のない表情で答えた。
「涼しいぞ、浴衣。」
こいつは俺の従兄弟で、小説の中に生きているようなやつだった。ただ影が薄いのではない。ふとした時には消えてしまいそうな幻のような感じだが、確かにそこにいるという不思議な存在感を持っている。
「……そろそろ麦茶の季節だな。」
湯を沸かしながらそいつは呟いた。
「麦茶は夏のもんじゃないのか。」
「今の時期は大麦を収穫するだろう。だから麦茶で言う新茶の季節なんだ。」
「そんなに違うものなのか?」
「新茶は特に風味がいい。」
文字書きをやっているからか、こいつはずぼらな生活をする癖に、季節の変化には敏感である。一人暮らしにしては大きすぎるテーブルには必ず花が生けてあった。
ふと、テーブルに投げ出すように置かれた本が目に入った。パラパラとめくってみると、どうやらファンタジー小説らしい。
「お前にしては珍しいものを読んでるんだな。」
「時代は異世界転生モノだとよ。」
向かい側に腰を下ろしたそいつはどこかげんなりしているようだった。
「想像でこんなものが書けるなんて、すげえよな。」
静かな居間に氷の溶ける微かな音。
二年間の出張を終えて地元の支社へ戻ってきたものの、以前住んでいた部屋は当の昔に引き払っていた。新たな住処を探しに不動産屋へ連絡をつけようとした矢先に舞い込んできたのが文字書きをしているこの男、一つ年上の父方の従兄弟の家に居候して、まともに生活をしているか監視してほしいという話だった。
従兄弟は日常生活を送っていくうえで必要なものが欠けていて、個人の気の持ちようや努力云々では改善できそうもない。そんなことが発覚した折に、地元に戻ってきて住まいを探している同世代の自分は大変都合がよろしかったらしい。
二階に上がると古本屋のような埃と紙の匂いがした。いつも使う突き当たりの部屋は板張りで、矢張り、本で埋もれている。緩く停滞した空気が外からの異物を取り込もうとゆったりと巡り始める。カーテンを開けると細かな塵が陽の光に煌めいた。
足の踏み場もないほど積み上げられた本をどかしていると、あいつが扇風機を持ってきた。
「エアコンが壊れたから使ってくれ。」
「修理しないのか。」
「一月は予約でいっぱいらしい。それに、ここを片付けるのは……面倒だ。」
「それはそうかもしれないな。」
さらに二人で本をどかし、寝る場所ができる頃には日が傾いていた。途中から視界に入らなくなったと思えばこいつはマットレスに腰掛けて、途中で発掘された文庫本を読んでいる。何度も読み返したのだろう、縁がボロボロになっていた。
「……呑みにいくか。」
「そうだな。」
明日は日曜日で仕事もない。多少羽目を外したところでなんともないはずだ。
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