Spread World〜神官の異世界生活〜
老いには逆らえん
プロローグ 筆も握れぬ身体
VRMMOがゲームとして主流になり始めた2080年、「Spread World」略して「SW」が発売される。
「制限なく広がる世界」という名目で売り出されたこの作品は、発売から1年経っただけでも知らぬ者は居ないとされる程に爆発的な人気を誇っていた。
超情報化社会となった現代で絵に没頭しゲームに触れてこなかった普通の22歳成人男性、斉藤ヒカル…つまり私だ。
幾ら「SW」が人気であろうと私には関係ないと他人事のように考えていたが、後から考えるとそれは愚考と切り捨てる他無いだろう。
これは、絵を描くことに人生の楽しみを見出した男の自由気ままなVRMMOライフである。
◇◇
大きな総合病院の中にある白い部屋の一室にある枯れ木のような異物…それが私だ。
「斉藤さーん、薬の投与の時間ですよ」
「……」(毎日ありがとうございます)
明るい少し間延びした女性の毎日の献身に感謝の言葉を伝えようと思ったが…
見るのが億劫になる程の数値が並ぶサイドモニターの、呼吸値が少し変動しそれを知らせる機械音が鳴るだけで終わった。
今の技術ならば、脳波を感知し音声に変えてくれる機械もあるのだが私には届かない高額な病室にしか無い為これは当然の結果と言えるだろう。
しかし、全く思い通りにいかないこの状況に苛立ちが募り心拍数がはね上がろうとしたがーー目の前で作業をしている看護師の菊池さんの邪魔になるだけなので意識して心を落ち着ける。
「はい、落ち着いて下さいねー、もう少しで鎮静剤が効いてきますので」
「…、…」(すみません、…)
「そういえば、斉藤さんは『SW』をやってませんでしたよねー」
「SW」は最高のVRMMOと呼ばれる程に完成度が高く他のゲームには無い特徴から、覇権を握っているがその分現代技術の結晶というに相応しいお値段となっている。
そんな代物は、身体から沢山の管を伸ばし機械に囲まれ1日の大半を睡眠薬で無理矢理寝て過ごす無職の病人である私には到底払えない。
私が、絵を描くこと以外の趣味が無いのは専属のように働いてくれている彼女ならば分かるだろうに…
それまで見つめ続けていた立て掛けられた1本の上質な絵筆から視線を外し、彼女を見つめてみると案外真剣な顔をしていた。
「実は、『SW』がクラウドファンディング予定額を達成した事を記念し重篤な患者さん達に向けてゲーム一式を無料配布することを決定したんですよー、そして今日それが届いたんです」
彼女らしからぬ唐突な話の振り方の結末が見えてきた。
近年フルダイブ型ゲームは、その没入感から精神病を患う人の感情の捌け口・身体が動かせない重篤な患者が心を軽くする場所等。
医療措置の一環として認められ始めており、それに目をつけた「SW」の生みの親桐生グループは医薬品製造業も展開している伝手を生かして複数の医療関係の企業とタッグを組んだ大開発を始めた。
基礎が出来たとの告知から5年ベータテストを加えて5年という異例の期間と膨大な資金により、作り上げた上に専門家からのお墨付きも頂いた医療措置として使えるゲームということを売りにしている。
しかし、本当に届けたい患者達もその家族もゲーム如きにお金を費やす余裕も暇も無いので、一部支援者から"自己満足の為に作っただけのゲーム"等と批判されている。
そんな現状を打開する為に、無料配布という思い切った行動を取り知名度と企業イメージの向上を図っているのだろう。
私が納得したのを見て彼女が続きを語ろうとすると、ノック代わりとしてドアが軽く三回蹴られる音の後に大きな箱を抱えた一人の看護師が部屋の中に入ってきた。
「斉藤様に菊池様、遅くなってしまい申し訳ございません」
「いえいえ、説明していた最中だったので丁度良かったですよー」
「…、…」(大鳳さん、こんにちわ)
新しく部屋にやってきた大鳳さんは菊池さんの先輩でベテラン看護師だ。
この二人には入院してから、ずっとお世話になっており頭が上がらない。
そんな彼女は、限界まで詰め込んだと言わんばかりの大量の機械達を持ってきた箱の中から次々と取り出し始める。
箱には「SW機械運搬用」とシールが貼られているから、あの中に入ってる機械全てがゲーム専用の物らしい。
かなりの数に驚いてしまったが、現実と変わりのないような膨大で緻密なデータを加速処理するにはあれくらい無いと難しいんだろう。
「菊池様、薬剤投与は終わったご様子ですのでお手数ですがお手伝い頂けませんか」
「良いですよー、それでは私はこちらから確認していきますねー」
「……」(私も何か手伝いを)
何時も助けて貰っているのにこれ以上はと思い動こうとしたが、私の身体は一切言うことを聞かずただサイドモニターの数値を変動させるに留まった。
また考え無しの行動を…中々治らない後遺症から来る悪癖に自分の事ながら呆れてしまう。
私は、二年前の山岳事故により脳の機能不全とを身体全体の複雑骨折という重大な障害を負ってしまった。
それにより、身体を自分の意思で動かせなくなり常に管による栄養補給を必要とする難儀な身体となっている。
その上、先程のように自分の状態すら正しく理解出来ない言動を繰り返してしまう程に感情に振り回され理性的な判断が欠けることも度々あるのだ。
絵を描く事が唯一の趣味である私は、二年前定期的に行く山でのスケッチへと向かった。
両手で数える以上に慣れ親しんだ山であった為、予報を嘲笑うかのような異常気象で大雨が降り出してもそれまでの慢心で帰るかどうか迷ってしまい…
そこから先は、テレビで見かけるようなお約束の展開だ。
1、地面がぬかるみ足を滑らせる。
2、その状態で落石を避けようとしたが転落。3、見事遭難。
幾ら慣れているといっても、生粋の登山家でも無く身体を鍛えているわけでもない私は人の手が入った登山道しか使っていなかった。
獣道に一人落ちて全身に激痛が走り頭が軋み意識も朦朧としてきた私は、どうすることも出来ずそのまま気絶した。
そこまでは、私の自業自得の部分もあるが不運のどん底だったが遭難者が居ないかと念の為に確認しに来た地元の捜索隊の方々のお陰で何とか生還する事が出来た。
完治不可能と診断された私は家族のように大切な画材も売り出し、なけなしの貯金を崩しこうやって生き延びている…
…もし、あの時異常気象なんて起きなければ?…もし、迷わず家へと帰っていたら?
そんな、たらればの都合の良い妄想ばかりを繰り返してしまうが日々全身の痛みと自分の異常性を突きつけられればこうなるのも仕方ない。
こうやって、意識を保てているだけで生きているだけでも奇跡なのでは?実際、救って頂いた先生にも褒められたわけだから!
…無意味で空虚な思考だな、これ以上続けると馬鹿になりそうだ。
そんなことばかり考えていると、黙々と作業していた大鳳さんが立ち上がるのが目に入り現実世界へと意識を戻した。
「斉藤様に菊池様、次の仕事がありますので私はこれで失礼いたしますね」
「お疲れ様ですー、私も終わったらそちらへ応援に向かいますね」
大鳳さんらしいきっちりとした30度の綺麗なお辞儀と共に箱を抱えて素早く去っていく背中を私と菊池さんの二人で見送った。
「先輩が居なくなったのではっきり言いますがー、斎藤さんは失った物ばかり数え過ぎですね。今楽しめる物を一つでも多く探していきましょうねー」
「……」(全てお見通しだな)
先程までの私の思考を読み取ったかのような発言に、図星をつかれ少し視線が泳いでしまう。
「…と、言うことでー。そんな斉藤さんにはこれをやって貰いますね、準備も終わりましたしパスワード等の面倒な作業も事前にやっておいたので気兼ねなく遊んで下さいねー」
「……?!」(やけに強引だな?!)
「はーい、ヘッドギア装着と。それでは楽しんできて下さいねー」
無料配布でやれるなら有効活用しない手は無いということで、即ログインを選択する…彼女の圧が凄いのはあまり考えないでおこう。
所詮男は女、いや女性の皆様の尻に敷かれる運命なのだから。
目を瞑り、ヘッドギアの作動音と共に身体を委ねると視界が白く塗り替えられーー
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