コバルトブルーに映る謎

星宮遥飛

プロローグ

 空高く昇った日の光が強く海面を照らしている。まるで、この世界の全てを照らし出しているかのように。−謎−なんて一つもない。とでも言うように。


 どこまでも澄み渡るような、空と海。美しい。と何のひねりもなく、率直な言葉が口をついて出た。寄せては返す波のざわめき、遠くから聞こえてくるカモメの声、吹き抜けていく爽やかな海の風−


 目を閉じれば、コバルトブルーから生まれる1/fゆらぎの世界が広がってくる。穏やかでどこか激しい、そんな海の世界が。


 ここに移り住んできてよかったと心の底から結乃ゆのは思った。埼玉の田んぼしかない町から一人、彼方まで続く水平線が美しい神奈川の名地である七里ヶ浜へやってきた。江ノ電が海岸線を走り抜け、数多くのサーファーや観光客で賑わい、様々な店がひしめいているこの場所は輝いて見える。


 なかでも目を引くのは、きらびやかな景色に一際異彩を放っている一軒の店だ。海岸というよりは、たくさんの木々に囲まれた中にありそうな木造の店。中世ヨーロッパを思わせるハーフティンバーを模したその店は、不思議なことにその周辺の景色とは同調していた。あたかも周りが後からその店の雰囲気に合わせたかのように。


 喫茶店Lucis−私がこれから勤める喫茶店だ。


 店先まで来たは良いものの、結乃はドアノブに伸ばした手を止めてしまった。面接時にマスターとバイトリーダーとは顔を合わせたが、マスター以外の従業員は会ったことがない。今日は最初の出勤で、入ったらどんな表情でどう挨拶するか決めてきた。なのに、いざその時となると緊張してなかなか目の前のドアノブに手がかからない。


  躊躇していたってしょうがない、と意を決してドアノブに手をかけようとすると、ドアノブはするりと手から抜けて店の中へと消えていってしまった。驚いて顔を上げると、同じように驚いた顔をしている同い年くらいの女性と目が合った。


 「あ、すみません」


 「こちらこそ失礼しました」


 キリッとした目つきと肩から下ろすほど長いのに整った髪、真面目そうな態度からクールな印象を受ける。パッ見た時は同い年くらいかと思ったけど、ずっと大人かもしれないと結乃は思った。


 彼女はどこかへ行こうとしたところで思い出したように動きをとめると、結乃の方へと顔を向けた。


「もしかして、新入りバイトの方?」


「はい、そうです!」


 結乃が答えると、女性は少し強張っていた表情を緩ませた。


「そうでしたか。挨拶が遅れました、従業員の新島美昊にいじまみそらです。バイトリーダーがおりますので、中へお入りください」


 そう美昊に案内されて中に入ると、モダンな雰囲気の店内が姿を現した。BGMのクラシックがよりその雰囲気を味わい深いものにしている。カウンターの中には面接の時に会ったマスターとバイトリーダー。そしてホールには若い男の人が一人いる。全員が結乃の方を見ていたが、不思議と緊張せず、むしろ結乃はどこか安心感を覚えていた。穏やかな店の雰囲気と、優しい従業員の笑顔がそうさせたのだろうか。


「「「いらっしゃいませ。Lucisへようこそ」」」


 そう息のあった挨拶で迎えられると、完全に緊張がほぐれ自然と笑みが溢れた。この店を選んで良かったとこのとき結乃は思った。

 

 コバルトブルーに染まる海はただ静かに揺らいでいる。水面に微かな影を落としながら。

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