三叉路(やっぱり三叉路のある田舎へ行ったら泣いてしまった)
海中金雪丸
北
まぎれもなく三叉路である。
水平かつ無窮に長いこの三叉路の奥から海の香りが漂ってくる。
尋常でないまでに、この三叉路には夏が閉じ込められており、三歩だか四歩だか歩く度にたちまちに喉が渇く。それほどまでに、この三叉路は暑い。
私は昔から三叉路が怖かった。
二等辺三角形の家屋や飲食店、小さな石碑のある空き地、祠、なんにしてもあの小さく不吉な空白に位置する物には大抵わけもわからぬ、波立つような嫌悪を覚えた。
いたく蒸し暑い夜に見る悪夢から湧いて来る
狂気的なまでの恍惚に、三叉路への恐怖はよく似ている。
それは無意識的に際限なく長く感じられるが、ほんとうはゾウの3,4歩程度の長さしかないという奇妙な実態や、それを知っていながら知らないと言うような、矛盾した問答を延々と矛盾のなかで論じるような、そんな恐怖だ。
語り得ないなにかがそこにはたしかにあり、
寥廓とした場所として知覚しえない領域で、絶えず存続する、それが私にとっての三叉路だ。
蛾の舞う街灯の光は、それが消えるまでは輝き、その明るさを失わない。それなのに私の内なる死と心理と節制とは、私よりも先に消えてなくなってしまうのであろうか。
宿命的必然か、動かすべからず秩序か、慈悲深き摂理か、またはいずれも知らず、所有もしない愚かな自然が素材、原因、目的、といった風に私を分節化していくとするならば枯渇することなく、私を懊悩させるだろう。
そうして私は、真夏の三叉路で触れた、触れてしまったのだ。
「存在=無」今日の自分は昨日の自分と地続きだと確信を持つことができないような、内部から外部に向かって、有限性の分節化が行われたような、そんな語り得ぬことがわが身を裂いた。
自己同一性が戦慄にも似た畏敬をともなって崩れ去ったその瞬間、私はこんなふうに言った。三叉路と三叉路にあるハリボテの街ずたいにいる地蔵とそのかたわらで死によこたわる、哀れな猫も聴いた。お天道さまだって聴いた。
「今日、私はあらゆる煩労から抜け出した。というよりもむしろあらゆる煩労を放り出したのだ!
なぜならそれは外部にはなく、内部に、私の主観の中にあったのである。」
三叉路を歩いていれば気がつく、奇怪かつごく自然といえる様々な法則について。
思考のためのあらゆる運動に関する行動は「下方」へと「転落」する運動であると同時に、「周期的運動」という「上昇」の動きも入ってくる。要は足場が一切ない。場所というより「ある広がり」、空間で非ざる空間(≒空虚)でしかなく、
ふたつの異なる実体的な事物・事象は互いのあいだで共通することがなにもない、ということだ。
「地は雨を好み、荘厳なる空もまた好む」
「わが心笑えり。」
焼け爛れるような熱気と孤独は、甘美に、蜜のごとくに喉に絡みつく!
ああ過日、この甘美なる愛はどうして醒めようか?
私が言葉を用いるかぎり、この呪いによく似た愛ないし呪縛を外部へ放逐することはまるでかなわない!
無意味のために意味を消費するような人間には、
永久を得たとて成し得ないのだろうか?
無駄だとわかっていながら、餓えと孤独を胃に溜め込みながら歩く程度の発散では求める場所へ昇ることができないのだろう。
それを知れども、私になにができるというのか!
絶え間なく注ぐ慈愛は針の筵に、打ち寄せる古い香りは鼻腔をずたずたに切り裂く、そんな過酷な三叉路で、抵抗はいったいなんの意味を持つのか。
ああ、耐え難いまでの大きな苦痛よ、来たれ!
大きな苦痛はそう長くは続かず、もし必要であれば我々に赦された最大の恩赦にこの身を喰わせ、
完膚なきまでに、なにも残らぬように引き裂いてみせよう。
声ひとつ、影すら残らぬように。
それは腐食に似て苦痛を久しいものにした。
心までをも深くへ運びこみ、それの動脈をめぐっていったろう。
四肢もまたそれの新たな門出の助けになったろう。
長い旅のために、それは私を所有した。
心臓を取り出し、鬱々とした恍惚の照りを放つ星へと捧げた。
星と理想のそばで、輝くことだけが、
私の人生の意義だったのだろう。
三叉路(やっぱり三叉路のある田舎へ行ったら泣いてしまった) 海中金雪丸 @Yukimaru-1126
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