第10話

 目が覚めると見慣れた天井が目に入った。

 起き上がると後頭部と首に痛みを感じる。

 癖でベッドサイドのスマホに手を伸ばすと日曜日の早朝だった。


 そこで目が覚めるまで異世界に居た事を思い出して背中に触れても当然ながら銃剣はない。

 それどころかスマホのカバーに仕舞っていたテレホンカードも無くなっている。

 そもそも自分がどうやって帰って来たのかも思い出せない。

 現代に帰って来たという事は紛失したのは現代に戻ってからという事になる。

部屋の中を見回すが、目立つ赤いテレホンカードは落ちていない。


一旦落ち着いて直前の自分の行動を思い出す。

まずは、地下都市で銃剣を受け取って紗英と亀を試し斬りしに行って、自分の手で亀を絶命させた。

そこで怪物が自分と同じ赤い血を流す事を知った。

そこまで思い出して鼻の奥に鉄臭さが蘇る。

幸いな事に直後のような過呼吸手前のような状態にはならなかった。

そこで意識が落ちる前に、紗英が耳元で「ごめんと」囁いたところまでは思い出せる。

それ以上の事は思い出せないけど、紗英が何らかの手段で俺を気絶させてここまで運んでくれたのだろう。


そこで運んでくれたお礼を言う為に紗英に電話をかける。


コール音が鳴ると部屋の隅からスマホの着信音が聞こえる。

部屋の隅の何もない場所。

正確には家具の影の中から着信音が聞こえる。

電話が繋がらず呼び出しが切れると、家具の影から紗英が現れる。

影の中から着信音が聞こえた事でもしかしたらとは思っていたが、物だけでなく本人も影の中に入れるらしい。


紗英を前にすると、お礼を言うつもりが何故か言葉が出なくなる。


「おはよう」


それでもどうにか搾り出したのは当たり障りのない挨拶だけだった。

異世界で再び縮まったと思っていた紗英との距離が再び離れてしまったように感じる。


「おはよう。気分はどう?」


「落ち着いてるよ。ここまで運んでくれたのは紗英だろ、ありがとう。お陰で助かった」


「うん。でも康平はもう向こう行かない方がいいよ」


「なんで……」

途中まで続けようとした言葉をそれ以上口にする事が出来ない。

なんでなんて聞かなくても自分で答えがわかっている。

怪物相手に戦って殺す事に躊躇いを持ってしまったからだ。


生命融和ハーモニクスそれがあの世界の怪物を生み出している術式、生きている生き物に核を融合させて怪物にしたり、異なる生き物同士を融合させて新しい生物を生み出したって。つまりあの怪物たちは、元はあの世界に存在した普通の生き物なの、それを知った上で殺せる?」


紗英の語る事実に俺は答える事が出来ない。

それでも辛うじて言葉を搾り出した。


「今の言葉が事実だとして、それでも俺はあの世界の怪物を殺せるなんて言えない」


「でしょうね。だからこそ、これ以上あの世界に行くのはやめた方がいいよ。康平のテレホンカードは私が持っておくから」


これは紗英からの最後通牒だ。

だからこそテレホンカードの事を自分から明かした。

別に何処かで落としたとでも言っておけば良いのにわざわざ自分から明かす。

俺を諦めさせる為に。


「でも、俺がここで諦めてテレホンカードを手放しても紗英は一人であの世界に行くんだろ?」


「うん。まだ私にはあの世界で調べたい事があるの」


「それなら、俺も怖いけど、一緒に行くよ」


「怪物を躊躇って殺せないのに?」


「それは、克服してみせる」


「そう言って克服出来ずに恐怖してあの世界で死んでいく人をたくさん見たよ」


「それは……」


「どれだけ強力な術式を持っていても、恐怖や忌避感に勝てなくて挫折して去る人もいる。それでも現代で普通に暮らしていける。それでいいじゃん」


「紗英はどうなんだ?」


恐らく紗英は地下都市で暮らしている人間よりもあの世界に関する知識を知っている。

それでもあの世界で怪物を殺してでも調べたい何かがある。

それが知りたかった。


「さっきも言ったでしょ。あの世界で調べたい事があるって」


「調べたい事があるってだけで、一人で異世界で怪物を殺して平然としてられるのか?」


紗英は何も答えない。

その様子を見て確信した。

まだ他にも色々と隠している事がある。

そう確信した上で俺がやる事は一つだ。


「やっぱり俺も行くよ」


「さっきからダメだって言ってるよね。伝わらなかった?」


反論する紗英の声の温度が下がる。

やんわりとした拒絶から明確な拒絶に変化した。


「それでも行くって言ったら?」


「テレホンカードも無いでしょ。もう私の影の中に沈めたから物理的に取り出せないよ」


「それなら問題ない」


「私が根負けしてテレホンカードを返すと思ってる?」


「いや、頑固だから無理だと思ってるよ」


「それならどうするって言うの?」


「どれだけ時間がかかっても新しいテレホンカードを見つけてそれを使って一人で異世界行く」


「そんな事出来ると思ってる?」


「不可能じゃないだろ。実際一度見つけて紗英を探しに行った訳だし」


「そうね」


「どうする? 今ここで、テレホンカードを返さなくても自力でテレホンカードを見つけて一人で行く。それなら今テレホンカードを返して目の届く範囲に置いといた方が安心じゃないか?」


「それは脅し?」


「いや、提案だよ。なにしろ異世界に行ったとしても丸腰で武器もないからな」


少なくない時間悩んだ紗英は盛大にため息を吐くと諦めたように言う。


「わかったわよ。返せばいいんでしょテレホンカード」


影の中からテレホンカードを取り出すと乱暴に投げて部屋を出て行った。


俺はテレホンカードを拾いながら紗英の思いやりを無碍にした事を心の中で謝るともう一度異世界へ行く覚悟を決めた。


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