第3話
窓から入る陽射しで目が覚める。
昨日あれだけの事があった直後なのに寝付けなかったせいで当然ながら頭は重い。
それでも普段の習慣で枕元のスマホで時間を確認するとアラームには気付けなかったようで既に学校へ行くには遅刻ギリギリの時間になっている。
まずいとは思うけれど疲労と鼻血で動く気力がない。
そうしてベッドで動けずにいると、朝七時を過ぎても起きて来ない俺を母さんが叩き起こす為に部屋の扉をノックする。
鼻にティッシュが詰まって鼻声の状態で返事をする前に部屋の扉が勢いよく開かれる。
俺は両方の鼻にティッシュを詰めた状態で母親を見た。
母さんは俺を見てすぐに枕元のビニール袋に詰められた大量の赤いティッシュを見た。
「康平、それ大丈夫?」
「多分、大丈夫だとは思うけど、鼻血が止まらん」
鼻血が止まらない為に途切れながら返事をする。
「今日はもう学校休んでいいわよ」
欠席のお許しが出た事でホッとする。
「それと、顔もなんだか赤いから念の為に熱も測っておきなさい」
そう言って一度部屋を出るとリビングから体温計とスポーツドリンクをもって来てくれる。
「それと今日は大人しく寝とく事」
それだけ言うと仕事に行く為に部屋を出て行った。
部屋に一人になると、昨日紗英が言った不穏な忠告に納得した。
確かに尋常じゃない鼻血が出る。
ついでに高熱のオマケ付きだ。
これは事前に忠告をされていなければ、このまま失血死でもするんじゃないかと思う程鼻血か出てびっくりする。
と言うか事前言われていてもビビるくらい鼻血が出る。
母さんが一目見て学校を休んで良いと言うほどなのだから相当だ。
でもこの状態で学校に行けと言われないのは素直にありがたい。
朝方まで歩いて寝不足な上に疲労困憊で既に色々と限界だった。
そのまま横になっているとすぐに睡魔がやってきて眠りにつく。
「おはよう」
頭上から声が聞こえて目を覚ますと、まだあまり回ってない頭で反射的に答える。
「おはよう」
「具合はどう?」
「めっちゃ鼻血出て熱も出たけど、もう大丈夫かな」
「術式が脳に刻まれた後遺症だね」
「あれ事前に聞いていてもヤバくないか?」
「私も最初はびっくりした」
「ところで紗英はどうやって部屋に入って来たんだ?」
当たり前のように会話をしていたけれど、今はまだ昼過ぎで家には俺以外誰もいない。
「部屋の窓が開いてたからそこからだけど」
「ここ二階なんだが?」
「そんなに驚くこと?」
そう言われて紗英が数メートルの高さを跳躍一つで軽々登っていた事に思い至る。
あれなら掴まる場所の多い民家なんて余裕だろう。
「いや、なんとなく納得した」
「そう。それなら本題に入るけど、次に異世界に行くまでにある程度戦えるようになって貰うわ」
「それは願ったり叶ったりでありがたいんだけど、具体的にはどうするんだ?」
「まずは、私がやって見せるから真似してやってみて」
それだけ言うと足元の影からナイフを二本取り出してそのうち一本を渡してきた。
俺の見てる前で紗英が持っている方のナイフの刀身が黒く染まっていく。
対して俺の持っている方のナイフは刀身の変色もなく何の変化もない。
試しに力を入れて握ってみても振ってみても特に変化はない。
「回路はもう出来てるはずなんだけどね」
「感覚的には鼻血以前と特に変化はわからないぞ」
「それはそうでしょ。変化を自覚してたら怖いわよ」
「このナイフも特に変化は無いし」
言ってからナイフを再度か確認してから手に持っていたナイフを紗英に返した。
「最初から出来るとは思ってないけどね」
「なんで渡した?」
「なんとなく。出来たらびっくりだな。くらいの感覚?」
言いながらナイフを影に戻そうとするので、ずっと気になってた事を聞いてみる。
「その四次元ポケットの中ってどうなってるんだ?」
「試しに手でも入れてみる?」
「いいのか?」
「まあ、試してみたくなるよね」
紗英の口ぶりからして自分でも試してみた事はあるみたいだ。
俺もお言葉に甘えて紗英の影に手を入れてみる。
なんの抵抗もなく突っ込んだ手が影の中に入っていく。
それなりに深さがあるのか、伸ばした手が底に当たる感覚がない。
横に動かしても同様で本当に四次元なのか気になるところだ。
俺は一度影から手を引き抜くと竹製の一メートル物差を取って来て欠けてるの中に入れてみるけど底に当たる感覚はない。
つまり影の中は一メートル以上の深さがある。
続けて引き出しからスチール製の巻き尺を取り出すと限界まで伸ばして影の中に入れてみる。
それでも底に当たる感覚がない。
十メートル以上の深さがある事は分かった。
この家にはそれ以上の長さの物が無いので非常に残念ではあるが実験を諦める。
「満足した?」
「今のところはな。残念ながらこの家にこれ以上長さのある物がない。それで実際どれくらい深さがあるんだ?」
「私にもわからないわ。中に入っても上下左右がないんだもの」
「その中人間も入れるのか?」
「一応ね。今度試してみる?」
「そりゃ勿論試す」
「なら、まずは最低限術式を扱えるようになってからね」
「術式を使えずに入るとどうなるんだ?」
「影の中を無限に落ちていく」
紗英から出た回答は思ったより怖かった。
それに答えがあるって事は試した事のある人がいるのかと思ったけれど、それを自分から聞くのは怖かった。
もしかしたら影の中に入ると底には白骨化した人間遺体でもあるのかもしれない。
「それは怖いな」
「でしょ」
「それで術式を使うにはどうすればいいんだ?」
「まずは自分に刻まれた術式がどの系統なのか把握するところから始めないと」
「系統?」
「うん。おおまかに三種類って言われてて、戦闘系と補助系生産系があるんだけど、どれも名前の通りね。私のは見ての通り補助系かな」
「四次元ポケットだからな」
俺の相槌をスルーしてそのまま紗英は説明を続ける。
「戦闘系は直接的な戦闘能力に特化していて炎を出してその辺周辺を焼け野原にしたり、雷撃を出して相手を貫いたり、勿論同じ炎を出す術式でも強弱があるから人によって威力は全然違うし」
「火炎放射器とライターくらいの差があったりするのか?」
「うん。まあライターでも充分使い道があるから悪い能力ではないけどね」
「生産系は物を作る事に特化していて武具を作ったり銃を作ったりとか特殊な素材の扱いとかも出来たりするよ。私のナイフもその一つで特別な鉱石を素材に使っていて武器に自分の術式を流し込んで使う事が出来るの」
「それで刀身が変色したのか。なんとなく理解は出来たけど、問題は俺の術式はどの系統なんだ?」
「さあ、それは使ってみない事にはなんとも」
「それ、もし戦闘系で家の中でうっかり使ってこの辺一帯が更地になったりしないか?」
「否定出来ないから初めて術式を使う時は広い空き地に行くかそれこそ異世界に行った時に試すのが安全かもね」
「それだと異世界に行く時に自分の能力が把握出来ないのは危なくないか?」
「うん。だから康平には最初に無系統の付与術を覚えてもらおうと思ってるよ」
「それを一番最初に言ってくれ」
「先に術式の事を知りたそうにしてたから」
「それは否定しないけどさ」
「付与術は名前の通り、付与して身体能力を強化して戦う術式に依存しない技術」
「紗英の身体能力が異様に高かったのはその付与術を使ってるからなのか?」
「うん。それなら補助系の術式でも戦えるからね」
「それなら早速教えてくれよ」
「まず、心臓の辺りに意識を集中して、それから力を錬るイメージで練った力を強化したい部位に集めるの」
説明しながら実際に目の前でやって見せてくれる紗英の真似をして言われた通りに試してみても当然ながら筋力が上がった実感はない。
試しに財布の中から取り出した五百円硬貨を握り込んでみても歪んだりする様子はない。
そんな様子を見かねて紗英がフォローする。
「最初から出来ると思ってないから焦らなくていいよ。それと硬貨は歪むと使えなくなるから、せめてゲームセンターのコインくらいにしときなよ」
「そうは言われてもな。せめてコツくらいは掴んでおきたい」
「仕方ないないなぁ。手を出して?」
よくわからずに紗英に言われた通りに手を出す。
紗英が手を掴むと掴まれた手を通して温かさとは違う何かを感じる。
「練り込んだ力を手を通して流してるけどわかる?」
「なんとなくなら感じとれるよ」
「そう。ならこれを自分の心臓で練り上げて強化したい場所に付与するの」
言われた通り繋いだ手から感じる力を感覚を頼りに心臓の辺りで練るとそれを繋いだ手に留めるイメージをする。
練り上げた力はすぐに霧散して手に留める事が出来ない。
この感覚を忘れないように何度も繰り返しても結果は同じだ。
「焦らなくてもいいよ。今は地道に積み重ねたら出来るようになるから」
「そうは言っても次にいつ行くかわからないんだから早いに越した事はないだろ」
「それはそうだけどね。康平に大事な事を教えてあげる」
「大事な事?」
「あんまり根を詰め過ぎると脳に負担が蓄積し過ぎて鼻血が止まらなくなって死ぬよ」
「マジ?」
「うん。正確には脳が限界を超えると焼き切れるらしいんだけど、初期症状で鼻血や頭痛がするから気を付ける事」
「練習はほどほどにするわ」
今朝の大量の鼻血を思い出すとゾッとしてそう答える他なかった。
「うん。よろしい。私はそろそろ帰るから、またね」
「わかった。紗英も気を付けて帰れよ」
そう言って窓から帰る紗英を見送った。
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