第8話 時の奔流



「なあ、気分はどうだい?」


 ロイエンが、治癒系の魔法をふるっている。

 心配顔で、琉酔乱をのぞきこんでいた。


 すでに斬光剣は、背にもどっている。

 ただし封魔鏡と照魂玉は、ルンバの倒れた場所にそのまま残っている。


 ルンバの身体は、斬光剣の力によって、痕跡も残さず消え去っていた。


「ずいぶんと良くなった。感謝する」

「なに、命の恩人だもんな。なあ?」


「うむ」


 同意を求められたラグンは、あいかわらず無表情のまま、小さくうなずく。


 琉酔乱は、かりそめにしろ気力を賦与された。


 ゆっくりと立ちあがる。

 なにげなく、周囲を見わたした。


 その目に、かかるものがあった。


 祭壇の背後――。

 室内池をわたった奥の、小さな部屋である。


 琉酔乱は無言のまま、そこへと歩いていく。

 池にかかる渡り廊下を越え、純白の石畳をすぎ、家型のアーチのかかる部屋へと、足をふみ入れる。


 そこには、ひっそりと、ひとつの柩がおかれていた。


 なんの装飾もされていない、粗末なあわせ石の柩である。

 琉酔乱は、柩ののぞき窓に手をかけた。


 その時――。


「見ないでください」


 背後で声がした。


「……ラミア」


 ゆっくりと、ふりかえる。

 その顔には、ふかい悲しみが刻まれている。


 ラミアは、入口にたっていた。

 両手の指を、祈るように胸前であわせている。


 じっと、見つめかえしている。

 その目にも、祈りに似た悲しみが浮かんでいた。


「お願いだから……見ないで」

「わかった」


 琉酔乱は柩から離れた。


 ためらいながら、ラミアに歩みよる。

 迷いを見せつつ、その顔に手をのばす。


「あたたかい」


 ラミアの頬は、人間のもつあたたかみに溢れていた。


 琉酔乱の顔に、あざやかに安堵の表情が浮かびあがる。


「ボルゴが冥界に落ちて、私への呪縛も解かれました」

「それは、よかった」


「でも、それは束の間のまぼろし。三種の神器がそろった今、このエフェネルを封じていた神々の呪縛もまた、その封印を解かれます。だから私は……あなたに、お別れを」


「一緒に行けないのか?」


「ええ。時の流れは、だれにも止められない。時の封印を解かれたエフェネルには、猛烈な勢いで、時そのものが浸入してきます。ほら、もうその兆しが……」


 ラミアはそういうと、入口の外――天井のドームを指さした。


 先ほどの爆風で砕け散った、瑠璃の窓。

 そこから、すさまじい勢いで、白い霧が吹きこんでいる。


 よく目を凝らしてみると、その霧にふれた天井が、見る見る色あせ、ピシピシとひび割れていく。


 ラミアは琉酔乱から目をそらし、他の二人を見た。


「あの霧は、あなたと出会ったときの妖霧。そしてあれこそが、時の大河をうめる、無常の霧……さあ、あなたたちは、それぞれ、ここに参られた時代の時の流れに乗り、ふたたびそこへと運ばれていきます。早く脱出しないと、時の迷い子になってしまいますわ」


「おまえも、自分の時代にもどるのか?」


 琉酔乱の、ささやきに近い声。

 つられるように、ラミアの視線がもどる。


「はい。でも……」


「どうした」


「いいえ。その通りです。だから、なにも心配はいらない。さあ酔乱……いいえ、青嵐王様。あなたを必要とする多くの民の待つ時代へ、はやくお戻りなさい!」


 ラミアの瞳がゆれている。

 万感の思いをこめて、静かにゆれている。


「あっ!」


 琉酔乱は、ラミアの手を引きよせた。


 両の腕で、ふくよかな身体を抱きしめる。

 なにも言わず、接吻した。


 無情の時がすぎていく。

 気の遠くなるような時が、光矢の速度で流れていく。


 やがて……。


 なごりおしそうに、唇を遠ざける。

 琉酔乱の眼前で、桜色の唇が小刻みに震えている。


 歓喜と悲しみのいりまじった……。


 ちいさな。

 本当に小さなため息が、そこからもれた。


「本気だった」


 琉酔乱は、くるりと背を見せた。


 そのまま、ふりむかずに歩いていく。


 ロイエンに照魂玉を、ラグンに封魔鏡を持つように指示をする。


 そして最後に、ひとり言のようにつぶやく。


「それぞれの国に、それぞれの品を。まだ人間には、これを扱えるだけの智慧がない」


 琉酔乱は、神殿の大扉に手をかけた。


 丸い銀製の取っ手をにぎりしめ、ぐっと力をこめる。

 その動きが、途中でとまった。


 ゆっくりと、ふりかえる。


 ラミアが、先ほどとおなじ場所に、おなじ姿勢のまま、たっていた。


 琉酔乱の唇が震えた。


「しっかり、生きろ」


 一気に扉を開く。

 猛烈な勢いで、白い霧が噴きこんでくる。


「達者でなぁー!」


 ロイエンの声が、遠くで聞こえたような気がした。


 しかしそれも――。


 膨大な時の流れに、またたくまに押し流されていった。




      ※※※




「若様ッ!」


 耳元で花梨の声がした。


「う、むむっ!?」


「なにが、ウムですか! さっきからずっと、ボーッとなされたまま……」


「花梨。若がぼうっとするのは、いまに始まったことではない。放っておけ」


 蛮虎が、すかさずチャチャをいれる。


「なんだ、おまえたちか」


 琉酔乱は正気を取りもどした。


 そこは、森の中のあき地である。

 西にかたむいた陽が、足もとに長い影をつくっている。


 前方と背後には、荒れはてた街道が続いていた。


「なんだじゃ、ありませんよー!」


 花梨が、あきれたように言う。

 熱でもあるのかといった感じで、顔をのぞきこむ。


「ねえ若様、霧も晴れたことだし、ここあたりで食事にしません? わたくしもう、おなかが減って一歩も歩けませんわ」


 花梨のいうとおり、すでに霧は跡形もない。

 西日にかすむ峻峰ジルム山が、手にとるように見えるくらいだ。


 その西日を頬にうけて、琉酔乱が首をかしげている。


「幻影であったか……」


 ひとりつぶやく。


(あの、幻想的な出来事……)

(あれは本当に、霧の見せた幻だったのだろうか)


 琉酔乱は、確信が持てなかった。


「あら?」


 横にならんだ花梨が、怪訝そうな声を出した。

 つられて蛮虎も、それを覗きこむ。


「嫌ですわ、若様ったら。また服を破かれて。さあ、夜営ついでに繕いますから、はやく着がえてください!」


 花梨と蛮虎の視線をおって、琉酔乱も自分の袖口を見る。

 うす汚れた袖口が、かぎ裂きにやぶれている。


(これは……)


 みるみる、顔が強ばった。


「花梨」

「はい?」


「ロウエンという名の、魔導師を知ってるか?」

「は、はい。それが琅焔ろうえん様のことでしたら」


「どんな男だ?」


「ミリア人の魔導師ならば、だれでも知っているですわ。琅焔様は、ラテリア魔道学の基礎を確立したとされる人物で、神のごとき魔導力をそなえていたとか」


「蛮虎」

「はッ!」


「ならばおまえは、ラグンという名の戦士を知っているか?」


「無敵戦士、ラグンのことか?」

「話してみろ」


「まだゼファールの国が三国に分かれていたころ。たしか、そういう超絶の戦士がいたという。ラグンは巨体の持ち主で、その剣技は、武の神ログもたじろぐほどだったという。

 しかもラグンは、身に危険がせまるまでは、けっして剣を抜こうとはせず、もっぱら神盾しんじゅんでもってのみ敵と対峙し、そのことごとくを追い払った……しかしこれは、他愛もない伝説だと思う」


「ふむ」


 琉酔乱は黙りこんだ。

 何事かを、懸命に考えている。


 その表情を、二人の部下。

 ミリア人の巫女である花梨と、ガルト人の女戦士である蛮虎が、怪訝そうな表情で見つめている。


 琉酔乱は、唐突にふりむいた。

 強い口調で呼び掛ける。


「花梨!」

「きゃあ!」


 驚いた花梨は、ゆうに膝上まで飛びあがった。


「あー、びっくりした」

「おまえ、紅を持っているか?」


「な、なんでしょう、いきなり!?」

「唇をかざる紅のことだ。持っているのなら、俺にくれ」


「わ、若。お気を、たしかに!」


 蛮虎がうろたえている。

 めずらしく、おろおろとした態度で琉酔乱につめよる。


「気はたしかだ。バイホーンについたら、かならず新品を買ってやる。だから、いま持っているやつを俺に渡してくれ」


「それは、いいですけど……はい」


 花梨は肩かけ袋をおろした。


 のろのろと、美しい二枚貝に入った口紅を取りだす。

 気味悪そうな顔で、おずおずと渡した。


「二人は、この広場で、夜営と食事の準備をしていてくれ。俺は、ちょっと出かけてくる」


「あ、待ってください!」

「大丈夫だ。一刻ほどで、もどる」


「若! まさか、んじゃ……」


 蛮虎のつぶやきに、琉酔乱の足がとまった。


 琉酔乱には、暗い過去がある。

 それはを、暗に意味しているのだ。


 ほんのわずか、背をむけているその肩が怒りにふるえた。

 しかし、すぐに力を抜く。


 全速力で、彼方にむけて走りはじめた。


「図星みたいね」


 花梨は、蛮虎に同意した。


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