誰かの墓参り

彼岸花がなだらかな丘の斜面を覆っている。

街の喧騒からはすこし外れたところに今日の目的地がある。


緑ヶ丘霊園は電車の駅から歩いてすこし。ゆるやかな坂を登った先に入口がある。

管理事務所は素通りした。僕はそこに立ち寄る必要はなかった。


いくつか気に入った花を店で購入しておいた。

そこには特に規則性はない。ただ気に入った花をいくつか選んで、個別にラッピングしてもらった。


息を吸って吐く。深呼吸。

生きている間にゆるされた数少ない束の間の自由を行使する。


最初に目についたのは比較的最近つくられたように見える真新しい墓だ。

ピカピカの大理石が陽光を鈍く反射している。

最近誰かが訪ねてきたようで、供えられたばかりの花があった。

掃除がよく行き届いており、清潔なオフィスのエントランスを連想させた。


墓石には「夢」と刻まれていた。


故人はどのような夢を抱いて、それを叶えるかあるいは道半ばで途絶えたのだろう。

持参した花を、既にあった花束に追加して無言で手を合わせた。



僕は墓参りをしにきていた。いうまでもなく。

ただふつうの人の墓参りと違うのは、この「夢」と刻まれた故人とは生前も死後もなんの関わりもないということだ。


そもそもこの霊園自体に知っている人はひとりも埋葬されていない。

もしかしたら過去にご縁があった方の墓があるのかもしれないが、特に親戚や知人から知らされてはいない。

ということはつまり死者から見れば、見知らぬ誰かが眠る墓に縁もゆかりもない他人がふらっと迷い込んだということになるだろう。



縁もゆかりもない他人。

はたして本当にそうなのだろうか?


僕たちは生きている間、さまざまな人間と出会い、すれ違っては別れを繰り返す。

異性とパートナーとして付き合うこともあるし、最初から別れまで織り込まれたワンセットも存在する。

お世話になった先生、会社の上司、同僚、同級生、先輩後輩友達そして家族親族。

元々は他人同士。ありとあらゆる”生前の顔”をもつ有機的なつながり。


その痕跡をたどって僕たちは墓石の前で物憂げな悲しい目を携えて、手を合わせる。

ご冥福をお祈りして。



ご冥福を祈る。もちろん。死後であっても、あるいは死後はより一層幸せであってほしいというのが我々のたっての願いだ。


亡くなったあとに他人が縁やゆかりを持とうとしたっていいじゃないか。


僕たちは死者にとっては残された記憶の延長線上だ。

もしかしたら死後も記憶を蓄積するのかもしれないけれど。

少なくともたいていの場合、亡くなった方の生前の姿を思い浮かべてご冥福を祈る。


あるいはそれは僕たち自身に向けた祈りでもあるのかもしれない。

いまは物言わぬ彼らにとっての死後の世界は、我々が今生きるこの世界そのものだ。



「真実」と刻まれた墓石の前で足を止める。

全体的に苔が生えており、長く手入れされた様子はない。

枯れたひまわりが侘しく揺れている。

線香の代わりにタバコに一本火をつけて花と一緒に供える。

目を開いたまま手を合わせる。


その火が消えるまで見届けようとおもう。

















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