第3話

 

 掌編・『二十四節季』


 脳性まひで、身体が不自由な笑理えみりにとっては、狭いベッドが、いわば世界のすべてで…自分の状況を自覚把握した瞬間から、そういう限定された外部の条件には早々に見切りをつけて、より豊饒な内面世界に遊ぶほうを、笑理は選択しました。


 さばさばした性格で、割り切りが鮮やかで、それは父譲りだったが、で、自分の脳内の精神世界というものの無限の、汲めども尽きせぬ資源、湧き出る知識やイメージ、言葉のほうの可能性を探求することにしたのです。


 母や兄弟姉妹に頼んで、笑理は目や耳から得られる新奇な情報で私的空間プライベートエリアに構成される、”知的な遊園地”建設のために必要なアイテム、情報ツールをどんどん蒐集しました。


 無尽蔵の情報の宝庫の、ネット空間で遊弋し、意匠も興趣もunlimited infinite の、書籍や活字、音楽、絵画、… 無数の媒体の中を四次元的に無我夢中で生きている体験は、身体的な条件を遥かに凌駕した、無上の快楽の桃源郷…私はいつもそこに揺蕩たゆたっていよう…それはまったくもって怜悧な笑理にふさわしい、クレヴァーな選択だった。

 

 その日には、愛用のタブレット端末で知った、「二十四節季」に、笑理は心魅かれ、様々に思索をめぐらせていました。


 「なるほど。 四季折々のいろんな風趣とか情景とかが鮮烈に髣髴される短い、研ぎ澄まされたワード。 歳時記みたいな自然とともにある感覚の…嚆矢? 中国渡来らしいけど、いかにも和風の趣味ねえ。 漢字で出来た宝石みたいに綺麗にも思える。  

 「啓蟄」か。 そう、三月初めの春の土の色やら薫りまで目に浮かぶ。 「清明」に「穀雨」か。 よくぞ思いついたって感じの漢字。 ふふふ。 「白露」に「寒露」か。 微妙に移り変わってて、だけどドンピシャなんがすごい! 」


 「俳句はもちろん、伝統的な日本のココロが如実に具現した、典型的な純和風の芸術やけど、抽象的な二文字で、季節を表わすというのも、もっと凝縮された、究極の漢字藝術? そういう面白さもあるなあ…うん、俳味の極致は、この二十四節季とかかもしれない」


「でも単に「小寒」「大寒」「小暑」「大暑」じゃつまらないから、もっとこういうのを考えてみても面白いかな? ポエジーのある新しい節季語! そう、12月なら「寒籠」「凍樹」とか? 7月なら「熱砂」「灼陽」なんてカッコいい! …」


 笑理は、こうやって、狭いベッドでの、退屈な日常を精一杯華やかに彩っていて、でもって全く悲壮感とかとは無縁で…まあ、そういうのが本当の「壺中天」、無有哬郷ユートピアというものなのかもしれない…


 「貧困なる精神」という本があったが、笑理の場合はさしずめ「富貴なる精神」。 精神の貴族。お雛様さながらの、みやびな平安貴族の正統的な後裔。 そうなれたのも、病気ゆえでしたから、誰もいたずらに、彼女を罵ったり哀れんだりはしないし、できない。 たとえ世間と隔絶されていて、愛や恋や富やら権力とかそうした世間的な快楽とか価値とは生涯全く無縁であっても。


<了>

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