第8話
蝉の声が降り注ぐ七月。アストラル・アリーナの新たなシーズン、「ALJ サマーシーズン」が開幕した。春のシーズンで旋風を巻き起こしたKokemusuiwa――藤堂結月――への注目度は当然のように最高潮に達していた。メディアは連日彼女の特集を組み、ファンコミュニティは彼女の連勝を疑わない熱気に包まれていた。
僕、高城翔太も、もちろん彼女の初戦を固唾をのんで見守っていた。隣にはいつも通りミオ姉の青い鳥ホログラムがいる。
「いよいよ始まるわね、サマーシーズン! 結月さん、きっとまた私たちを驚かせてくれるはずよ!」ミオ姉が興奮気味に言う。
「だといいけど」僕はなぜか胸騒ぎを抑えきれなかった。春のシーズンの後、Kokemusuiwaとカブトの連携は世界中のチームによって徹底的に分析されているはずだ。あの特異な「カブト・レゾナンス」がそう簡単に対策できるとは思えないけれど。
不安は的中した。
サマーシーズン開幕戦。対戦相手は春には中堅どころだったはずの「サイバー・アナリスト」。しかし彼らの動きは明らかに春とは別物だった。
「なっ!? どうして動きが読まれてる!?」
試合中盤、結月のアバター、Kokemusuiwaが焦りの声を上げる。彼女の得意とする予測不能な奇襲。それがまるで待ち構えていたかのように相手チームのAIバディに完璧に見破られ、逆にカウンターの集中砲火を浴びる。カブトが瞬時に防御シールドを展開し致命傷は避けたものの、Kokemusuiwaのアバターには痛々しいダメージエフェクトが刻まれた。
「これは厳しい戦いになりそうね」ミオ姉がいつになく真剣な表情で呟く。
「相手チーム、完全にKokemusuiwa選手とカブトの連携パターンを分析しきってるわ。『アンチ・レゾナンス戦略』。ついにメタゲームが動き出したのね」
その言葉通り、サイバー・アナリストの戦術は徹底して「Kokemusuiwaとカブトの分断」に特化していた。カブトの予測能力を逆手に取るような陽動。彼の情報収集を妨害するAIジャミング。そしてカブトのサポートが一瞬途切れた隙を狙って、三人掛かりでKokemusuiwaに襲い掛かる。
結月は必死で応戦する。彼女のプレイヤースキルは健在で、時折観客を沸かせる神業的な動きも見せる。しかし以前のような魂が共鳴するような「カブト・レゾナンス」の輝きは明らかに影を潜めていた。彼女の動きには迷いが見え、まるで信頼していた羅針盤を失った船のように戦場をさまよっているように見えた。
「Kokemusuiwa、完全に研究されていますね! あの変幻自在だった動きが、まるで鳥かごの中の鳥のように封じ込められている!」
「カブト・レゾナンスが発動しない彼女は、ただの腕の良いプレイヤーに過ぎないのか!?」
解説者たちの辛辣な言葉が僕の胸に突き刺さる。
結果は、Kokemusuiwa率いるノヴァ・ダイナスティの完敗だった。
試合終了のブザーと共に、結月のアバターは力なく膝をついた。バイザーの奥の表情は分からないけれど、その震える肩が彼女の悔しさと絶望を物語っていた。スタジアムからはため息と、そして心無い野次が飛ぶ。
「なんだよ、大したことねーじゃん!」
「もう終わりだな、シンデレラガールも!」
その言葉に僕はVRゴーグルの中で拳を握りしめた。悔しくて腹立たしくて、そして何もできない自分がもどかしかった。
その後の数試合も結月の苦戦は続いた。他のチームも「アンチ・レゾナンス戦略」を取り入れ、徹底的に彼女をマークしてきたのだ。かつてアリーナを支配した輝きは失われ、彼女は焦りから無理なプレイを繰り返し、それが更なる敗北を招く悪循環に陥っていく。観客席からの野次は日増しに大きくなっていった。
『どうして勝てないのよ! カブト! あなたの予測はどうなってるの!?』
試合後、控室での結月の悲痛な叫びが、ファンコミュニティにリークされた。
『申し訳ありません、マスター。私の分析と対応が、敵の進化に追いついていません』
カブトのいつもは冷静な声にも苦悩の色が滲んでいるように聞こえた。その声は僕の胸を締め付けた。彼らだって苦しんでいるんだ。
ファンコミュニティは炎上状態だった。かつて彼女を女神と崇めたファンたちは手のひらを返したように批判を浴びせ始める。
『期待してた分、ガッカリだわ。もう引退しろよ』
匿名の言葉のナイフが画面の向こうの結月の心をどれだけ傷つけているだろうか。想像するだけで吐き気がした。僕はAnalytical_Crowとして彼女を擁護しようとしたけれど、その声はあまりにも無力だった。
「翔太、辛いわね見ていて」ミオ姉が悲しそうに呟く。
「彼女は今、頂点に立った者だけが味わう重圧と孤独と戦っているのかもしれないわ」
「一人じゃないはずだ」僕は絞り出すように言った。
「彼女には、カブトがいる」
「ええ、そう信じたいわ。でも」
ミオ姉は何かを言いかけて言葉を飲み込んだ。
七月も下旬に差しかかり、梅雨明け間近の蒸し暑さが容赦なく照りつける日の放課後。図書室の片隅で、結月は一人、窓の外のぎらつく日差しと遠くで鳴り続ける蝉の声をぼんやりと眺めていた。冷房が効いているはずの室内でさえ、彼女の周りだけ空気が重く淀んでいるように感じられた。その横顔は以前にも増して青白く、大きな瞳には深い疲労とどこか諦観にも似た色が浮かんでいる。
僕は声をかけられなかった。どんな言葉も今の彼女には届かない気がしたからだ。ただ彼女の耳元で揺れるヘリオトロープのイヤリングだけが、雨音の中で静かに光っていた。「献身的な愛」「永遠の愛」、そして「私はあなたを許さない」「甘い夢」。その花言葉が今の彼女の複雑な心境を表しているようで、僕の胸は締め付けられた。
彼女の栄光はまるで夏の夜空に咲いた儚い花火のように、あっけなく散ってしまうのだろうか。そんな暗く重たい予感が、まるで入道雲のように僕の心を覆い尽くし始めていた。
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