あい どんと のう
間川 レイ
第1話
1.
ぷかぷか、と。
僕は浮いている。暖かく、柔らかな感触に包まれて。とても静かな空間の中で、ぷかぷか、ぷかぷかと。僕は静かに漂っている。上もなく、下もない、この穏やかな世界で。かつて水族館で見た海月のように。海月って何だっけ?水族館?そんな疑問がふとよぎる。だけど、ちゃぷちゃぷと言う僕を包む世界が揺れる感覚と共に、まぁ、いいかと言う気分になる。思い出せないと言うことは、どうせ大したことでは無いのだろう。
まぁ、そんな事より、と。僕は一息つく。ここは快適だ。暑くもなく、寒くもなく。どこまでも静かで。まるでこの世界には僕一人しか存在しないかのような。それでいて、ちっとも寂しく無い。まるで大きくて、暖かな存在に抱きしめられているかのような。お母さんに、ギュッと、抱きしめられているかのような穏やかな心地。お母さん?お母さんって何だっけ?ちゃぷちゃぷ。世界が揺れる。不安が溶ける。すうっと、僕の中から吸い出されるように。
ああ、とても静かで、暖かい。ぽかぽかとした穏やかな気持ちが胸の内から込み上げてくる。ここは、素晴らしい場所だ。お腹が空くこともなく、暑くもなく、寒くも無い。足りない、と言う事が存在しない。全てが満ち満ちている。全てが完成している。世界は暖かく穏やかで、何一つ不自由がない。ちゃぷちゃぷ、ちゃぷちゃぷ。世界が揺れる。赤、橙、黄色。穏やかな光が世界を満たす。色とりどりの光が現れては消えていく。それはさながら万華鏡のように。ここには、「無い」物がない。何もかもが完成した、素晴らしき新世界。
ああ、こんな生活がずっと続けばいいのに。
2.
廊下には埃が地層をなし、電球もところどころ切れている、打ち捨てられた研究所の一角。いくつかのスチールラックと幾らかの紙切れが転がっている研究室の中に、それはあった。ごぽごぽと音を立てる、ひとつの培養槽。
培養槽は、琥珀色の液体で満たされていた。その中に浮かぶのは一つの人間の脳。無数の電極につながれた、剥き出しの人間の脳が、ぷかぷかと浮かんでいた。周囲には埃を被った機材が並んでいて、時折思い出したかのように機材のランプが点灯しては、琥珀色の液体を揺らしている。ちゃぷちゃぷ、ちゃぷちゃぷと。誰もいない研究室で、機材のみが動いている。擦り切れそうな配線と、たくさんの埃に囲まれて。静かに、果てる事なく動いている。
培養槽の横には、薄らと消えそうな文字でメモが貼られている。そこに書かれているのはたった一文。
「地球人 標本」
あい どんと のう 間川 レイ @tsuyomasu0418
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