第12話

空間が裏返った瞬間、景色が真下から殴りかかってきたような感覚に襲われた。重力の軸が狂って、脳が数秒追いつかねぇ。だが、そういう異常空間では“感じたことの逆”が正解ってのが戦場のセオリーだ。俺は脊椎で反応してた。


右足を地につけたつもりで、左に跳んだ。それが正解だった。地面だった場所が突然崩落し、血管みてぇな赤い筋が蠢く穴が口を開けた。真下に落ちてたら、今ごろ内臓が逆流してたところだ。


「くそったれ、空間まで敵かよ」


前方にはまだ、あの球体――いや、“神の胎児”が浮かんでた。今はもう、閉じていた目を完全に見開いてる。その瞳に、黒でも赤でもない色。まるで“色の定義が存在しない”って言ってるような目。常識も光も、ねじ曲げる目。そんなもんで見つめられりゃ、普通は即死だろうな。


だが俺の脳味噌は、地獄の砂漠で焼けてる。ガスとナパームで三回も沸騰しかけたこの脳じゃ、こんなもんじゃ死なねぇ。


「目を逸らさねぇのが礼儀だろうが。見てるなら、見返すのが流儀ってもんだ」


俺はジャッジメントのスライドを引いた。深層呪殺弾、装填完了。こいつはさっきの一撃で確かに通った。だが“それだけじゃ足りねぇ”って顔してやがる。なら、もっと撃ち込んでやるまでだ。


引き金を引こうとした瞬間、空気が波打った。いや、空気じゃねぇ。現実そのものがねじれた。視界の端に、何かが現れる。


“黒い手”だった。五本指、関節は多すぎて、指なのか触手なのかもわからねぇ。そいつが、ゆっくりと空間を滑るように動いて、俺に伸びてくる。


「触れる気か? いいぜ、触れてみな。だがその前に――吹っ飛べ」


俺は真横に飛び、同時にグレネードをその“手”の根元に投げつけた。爆発。だが、効果はねぇ。そいつは煙の中を平然と通り抜け、なおも俺を掴もうとしてくる。


「無敵タイプか? いいや、そんな都合のいい話はねぇはずだ。見えてるなら、撃てる」


弾道視覚を起動。手の構造が見える。軸がある。動きを制御してる“神経的な”コアみてぇな光点が中心に浮いてる。撃てば止まる。そういう構造だ。


「そこが急所ってんなら、問題はねぇ。急所があるなら、それは“死ぬ側”ってことだ」


俺は膝をついて、弾道を調整。一発、撃ち込む。黒い手のコアに深層弾が突き刺さる。次の瞬間、手が硬直し、空中でバラバラに砕けた。だが、すぐに三本、四本と新しい“手”が球体の周囲から伸びてくる。


「際限ねぇな。だったら、全部まとめて潰すしかねぇ」


俺はマガジンを交換。残りは通常弾八発、呪詛弾二発、重力弾一発。圧倒的に足りねぇが、戦いってのは常に“足りねぇ中でどこまでやれるか”の勝負だ。


レナの姿が一瞬視界に映った。距離を取って俺の指示通り後方に下がってる。だが、あいつの目はこっちを見てた。完全に戦いを見失ってねぇ。そのまま見てろ、レナ。これが俺のやり方だ。


「来いよ、神の防衛機構。お前らが何本腕を伸ばそうが、俺の指は一本で十分だ」


俺は再び構え、次の射線を探した。弾道視覚は、今度は“球体の中心”をマークしてた。コア。ようやく見えたってわけか。存在情報は依然不明。でも、“存在してる以上、貫通できる”ってのが俺の理論だ。


「引き金が正義だ。それを証明する時が来た」


俺は一歩踏み出し、全力で走った。異常空間の中で、真っ直ぐ走ること自体が無理ゲーだが、ジャッジメントの補正が俺の動きを支えてくれる。まるで地形の歪みに俺の肉体が対応してるみてぇな感覚。足が勝手に正しい地面を踏んでく。


目の前に神の触手。弾丸で弾く。さらに前進。もう一本、肩にかすめる。血が飛ぶが無視する。あと十メートル。中心が見える。球体の奥で、例の目が俺を睨む。


「殺意ってのは、撃つ前に見せちまうとな……読まれるんだよ。だから、黙って殺る」


深呼吸。脈が静まる。心音が一拍止まった。その瞬間、俺は引き金を引いた。


深層弾、発射。直線軌道。空間の歪みを貫いて、一直線に突き進む。球体の中心、コアへと吸い込まれるように命中――したかと思った瞬間。


全てが止まった。


時間が停止したわけじゃねぇ。あの“存在”が、俺の弾を拒否した。拒否っていうか、“書き換えた”みてぇな感覚。軌道を変えたんじゃねぇ。存在そのものを改変しやがった。


「弾が……消えた?」


目の前の空間が波打つ。その中心に浮かぶ神の胎児が、口を開いた。音じゃねぇ。理解だ。こいつは、言葉を使わねぇ。言葉そのものを“押し込んで”きやがる。


――存在認識:異常個体。破壊不能性:高位。排除優先度:最大。


「へぇ……嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。俺が“最大優先排除対象”だってよ」


笑いが込み上げた。こちとら、ただの傭兵だ。軍籍もねぇ、後ろ盾もねぇ。だが、こいつにとって俺は“殺すべき対象のトップ”ってわけだ。これ以上の褒め言葉はねぇ。


だが、こっちは弾切れ。残りは三発。しかも通常弾のみ。どう考えても不利な状況。だが――最高の状況でもある。


「戦場ってのはな、追い詰められてからが一番楽しいんだよ。無駄を削ぎ落として、やることが一個だけになる。それが“撃つ”だ」


俺は再装填し、左手をグレネードポーチへ伸ばす。最後の手製グレネードを取り出し、ライターを擦る。火はすぐ点いた。


「爆薬ってのは、祈りみてぇなもんだ。願いを込めて起爆する。だったら、これは“神殺しの祈祷弾”ってことになるな」


俺はピンを抜いた。ジャッジメントを構えて、グレネードを口に咥えたまま、走った。


前進。銃弾をばら撒きながら、敵の攻撃をかいくぐって、神の胎児に肉薄する。その間も世界は歪み、崩れ、再構成されていく。だが、俺の座標は変わらねぇ。俺がいる場所は、常に“引き金の先”だ。


あと五メートル。距離を詰める。神の視線が一気に集中する。精神が焼けるような感覚。だが、それを振り切る。


「燃えろ、俺の起爆願望ってやつがよ」


口からグレネードを吐き出し、空中で起爆。その爆風を利用してさらに加速し、俺は空中から神の胎児へと飛び込んだ。

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