Re:Veil / 誰が聖像を砕くのか

木村希

第一章(序章)

 輝きは祝福ではなく、呪いだった。

 それでも、少女たちはステージに立った――自分を偽った笑顔と、隠し通した痛みとともに。

 一面の光が、灼けるように網膜を包んでいた。ホールの天井から降り注ぐスポットライトが、群青のステージに花弁のような模様を描く。

 観客席を埋め尽くす歓声。無数のペンライトが波打ち、名前を呼ぶ声が交差する。そのすべてが、ひとつの存在を称え、ひとつの光を求めて収束していく。


 花隈真白はその中央にいた。ショートヘアーの形をした銀色の髪が光を帯び、舞うたびに白い衣装の裾が空気を切る。彼女の瞳は、どこか遠くを見ているようで、しかし決して逸れてはいない。

 誰よりも完璧に、音を外すことなく、ただ与えられた旋律を紡ぎ続けている。その姿はまるで、人間を模した機械のようでありながら、なぜか異様なほどに人間的でもあった。

 真白は、ステージの上で歌いながら、ふと思った。 ――ここにいる『私』は、本当に私なのだろうか。


「花隈さんは、感情が薄いわね」


 数年前、オーディションの控室でスタッフに言われた言葉が蘇る。 それは称賛でも非難でもない、ただの感想だった。


「それが逆に、投影しやすいのよ。ファンは、あなたの中に自分の感情を見ることができる」


 真白は、その言葉を受け入れた。感情が薄いのなら、それを武器にすればいい。

 ライブが佳境に入る。彼女の声は完璧な軌道を描いて会場を満たし、どこか透明な質感を持って観客の心を震わせていく。そのとき、彼女の視線はふと舞台袖に向けられた。


「それじゃあラストの曲、いくよっ!」


 赤と金の閃光がステージを割る。朝倉ほのかが勢いよくターンし、床を蹴った。

 小麦色の脚が宙を裂き、赤色のポニーテールが弧を描いて舞う。その力強さは観客の心を貫き、まるで感情そのものが踊っているかのようだった。

 ほのかの存在は、まばゆいほどに強かった。 力強い動きの中に、誰にも見せない弱さを隠している。

 デビュー前、レッスン場の外で聞こえた彼女の独白。


「強く、明るく、元気に見せるしかないじゃない。そうじゃなきゃ、誰も見てくれないんだから」


 鏡に向かってにっこりと笑った後、力なく崩れ落ちる肩。そして、再び仮面をつけるように作り上げた笑顔――。


「ありがとう、みんな!」


 MCを担う水瀬柚が、天使のような笑顔で叫んだ。ふわりと茶色の髪が揺れ、頬にかかったライトが、彼女の表情を柔らかく照らす。声は澄んでいて、どこか心をすくうような響きを持っている。

 柚は、誰よりも優しく、誰よりも痛みを知っている。 それは、彼女が本能的に察した事実だった。

 控え室での些細な気遣い。リハーサルでのさりげないフォロー。そして、ふとした瞬間に見せる、誰も見ていないと思った時の表情。それは、かつて家の壁の向こうで耳にした、あの悲鳴に似ていた。


 Re:Veil(リヴェール)――新人としてデビューしてからわずか一年で、横浜の大規模コンサートホールでライブを行うほどにトップシーンへ上り詰めた3人組ユニット。

 完璧なビジュアル、練り上げられた世界観、そしてなにより、脆さ――どこか壊れそうで、崩れてしまいそうで、それゆえに人々の心を惹きつける。

 そんな聖像としての美しさを、彼女たちは纏っていた。観る者の心に張りつくような儚さが、光と影の境界線でゆらめいている。

 だがその脆さは、ただ作られた演出ではなかった。 それぞれの胸の内に、誰にも言えぬ想いが沈殿していた。


  自分の感情が希薄であることに気づいていた。


 仮面を被ることでしか他者に愛されない自分を知っていた。


 かつて手放した何かを、いまだ赦せずにいた。


 それでも彼女たちは、光を浴びて、笑った。 その笑顔の奥に何が潜んでいるのかを、誰も知らない。

 ラストナンバーが終わり、ステージが暗転する。 一拍の静寂を置いて、会場全体が熱狂の渦に呑み込まれた。

 アンコールを求める叫び。ペンライトが一斉に揺れ、揃いも揃って再臨を欲する。だがステージに戻ることはなかった。完璧なタイミングでライブは幕を閉じる。

 控室に戻った三人は、まるで魂を削ったあとかのように、肩で息をしていた。


「……おつかれ」真白が、ひと息おいて小さく言う。

「お疲れ様〜……いやあ、足つりそうだった」ほのかが笑うが、その声には微かな張りがあった。

「みんな、ほんとすごかったね。ライト綺麗だったぁ」柚は心からのように声を弾ませる。その顔は汗で濡れ、キラキラと光っている。

「みんな、お疲れ様!」女性のマネージャーが朗らかに三人に声をかける。

「テーブルの上に差し入れを置いといたよ」

「わあ、ありがとうございます!」三人は大いに喜んだ。

「明日も予定がいっぱいあるから、今のうちに羽を休めておいてくださいね」


 マネージャーがそういって去っていった後、三人はマネージャーが用意してくれた椅子に腰を下ろし、差し入れのお菓子やドリンクを手に取る。クッキーやチョコレート、炭酸飲料の甘さが口や喉を刺激し、ようやく自分が生きているという実感が戻ってくる。


 その時、控室の壁に貼られたモニターに、番組の録画映像が流れ始めた。自分たちのパフォーマンスが、画面の中で繰り返される。


 真白が、無言でモニターを見つめている。ステージで歌う自分。完璧に計算された動き、ブレのない声。しかしその目には、どこか不自然な静けさがあった。


 スポットライトの下で完璧に歌う自分。それは確かに「自分」なのだが、どこか別の存在のようにも思える。


「やっぱ、今日も完璧だったね」ほのかがそう言うと、柚が頷いた。

「トレンドもすぐ一位になったし、ファンのコメントもすっごい好意的だったよ。『神がかってた』とか、『鳥肌』とか……」


 真白は小さく笑った。その笑みは、どこか現実から切り離されたような、儚いものだった。


「ねえ、覚えてる? 私たちが初めて会った日」


 突然、柚が言い出した。 ほのかは眉を上げ、真白は静かに目を向けた。


「あの日、事務所の廊下で、私、すっごい緊張してたんだよね」 柚は少し目を細める。

「真白ちゃんは無表情だったし、ほのかちゃんはすごく背筋伸ばしてて……怖かったな」

「私のこと怖がってたの?」 ほのかが少し驚いたように首をかしげる。

「だって、あんなに自信満々に見えたんだもん。『絶対にセンターになる!』って言ってたじゃん」

「言ってた、言ってた」 ほのかは苦笑する。

「でも、あれ、ほんとは超緊張してて。あんな言い方しかできなかったんだよね」

「私は……あのとき、二人が眩しく見えた」真白は静かに言った。

「え? 真白が?」 ほのかは驚いたように目を丸くする。

「うん。二人は……感情が、あふれてたから」


 瞬間的な沈黙。そして、柚がクスッと笑う。


「なんだか不思議だね。三人とも、お互いのこと羨ましく思ってたなんて」


 そんな会話をしながら、彼女たちは控室を出た。移動車に乗り込んだのは、ライブが終わってから一時間後のことだった。

 街のネオンが徐々にフェードアウトし、無音の闇が車窓に広がっていく。

 照明の落ちた深夜の街を、黒塗りのワゴンが走っていく。エンジン音とウィンカーのカチカチという音だけが、空間を支配していた。

 運転席の男は無言。ナビの光だけが、ぼんやりと室内を照らしていた。その顔はルームミラーに映っているが、どこか焦点が合っていないようにも見える。


「今日も最高だったねー。次はフェスかぁ。忙しいね、ほんと」


 柚が無邪気に言う。後部座席でくるくると脚を動かしている。真白は無言でシートベルトを緩め、首をまわす。


「ちょっと仮眠したら、明日のリハもなんとかなるかな……って、あれ?」


 ほのかが、不意に声を出す。


「ルート、違わない?」


 ほのかは地図を記憶していた。ワゴンが曲がるべき交差点を直進していた。景色が見慣れない。ほのかが前方を覗き込む。


「運転手さん、事務所に戻るって聞いてませんか――」


 その瞬間だった。車内に白い煙が噴き出した。


「なっ……!?」


 目の奥に痛みが走る。喉が焼けるように乾く。視界がぼやけていく。


「……っ! ま……しろ……っ」


 柚の声も、遠くなる。全身の力が抜けていく。ほのかが最後に見たのは、真白の瞳だった。清らかで、静かな青。

 本来の運転手は、その日の朝に「組織」によって一時的に拘束されていた。そうして三人をいつも会場や自宅など、さまざまな場所に運んでいる車両は、拉致のための車両に置き換わった。その車は特殊な二重構造になっており、内部に睡眠ガスを放出する仕組みが組み込まれていた。

 三人の所持品からは通信機器や位置情報を発信する可能性のあるものはすべて取り除かれ、通信を遮断する専用の箱に保管された。数ヶ月前から三人の行動パターンとスケジュールを調査し、完璧なタイミングで実行に動いていた。

 三人は、そのまま光の檻から連れ去られた。やがて、車は道路の灯を離れ、黒いトンネルの奥へと消えていった。都市部から遠く離れた、地図にも載っていない場所へと連れていかれるのだ。


 ......気配は、どこか冷たい。 地下へと沈んだような空気の重さに、真白は目を開けることすら忘れていた。眠るように沈んでいた思考が、ゆっくりと浮かび上がる。

 声は聞こえなかった。けれど、何かがそこにいると分かった。 誰かが彼女たちを見ていた。誰かが、彼女たちを選んだのだ。

 その「誰か」は、すでに彼女たちのすべてを知っていた。 声にならない問いが、真白の胸を打つ。


 私たちは、どこに向かってるの?


 その問いの答えは、まだ誰にもわからない。 ただひとつだけ、確かなことがあった。

 彼女たちの物語は、あの眩しすぎる舞台の上では、決して終わらなかった。

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