第41話 規則と規則
「……また、お前か。違反、計30点。即時収容処置だ」
警察官から無機質な声で告げられ、俺はその場に崩れた。
「くっそ!またかよー。もー!」
警官が無言で携帯司法端末を見せつける。
今回の違反は「左足から歩き出した」と言う記録が刻まれていた。
この世界では行動全てが規則により決められており、違反をすると点数が溜まっていく。
例えば歩き始める時は、右足からで立ち止まる時は左足で止まる。
皆揃った制服を着ており、その着方にまで規則がある。
立ち止まる位置、振り向く速度、呼吸のリズムまで法で定められたこの世界。
街には裁判塔がいくつもそびえ、
道には「歩行ガイドライン」の白線が刻まれている。
俺は違反常習者だった。
「生きるって、こんな不自由でいいのかよ……。」
警察官に連れて行かれながら俺は嘆いた。
違反点数が30点になると、強制的に収容所に入れられる。
そこでは1週間のトレーニングを受けさせられ、その後解放される。
開放後はまた0点からスタートになるのだが、俺はもうそれを何度も繰り返している。
この世界では、俺みたいな奴は【異常者】扱いだ。
普通に生きて、普通に暮らせていたら違反なんて滅多にしない。
皆がちゃんと出来る事なのに、何故か俺は出来なかった。
こちらだって随分と気をつけて生きているのだが、ついうっかり間違ってしまうのだ。
何も反抗したい訳ではない。
ただ単純に、俺はルールを覚え続ける事が難しいのだ。
「懲りないね、また1週間トレーニングだよ。」
収容所の館長とはすっかり顔馴染みだ。
と言うより、収容所に入る人なんて数少ない。
規則違反の常習犯なんて、俺ぐらいしかいない。
「これでも、精一杯やってるんです…。」
俺は館長に申し訳なく思う。
この人は俺の事をなんとか公正させようと、毎回優しく指導してくれている。
強く言われるとパニックで間違った事ばかりしてしまうので、
優しく教えてくれるのは本当に有り難かった。
「いいよいいよ。ここには殆ど誰も入らない。私も仕事が出来て嬉しいから。」
館長はそう言って笑った。
収容所で一晩過ごした後、翌朝からトレーニングが始まった。
「じゃあ、君は今から外にいる設定で歩き出す。100m程先で止まってみようか。」
緊張の中、俺は右足から歩き出す。
そして、左足を出し止まった。
「うん、いいね。じゃあ次は振り返る動作をやってみようか。」
こうして法律で決まっている動作を館長と一緒にトレーニングした。
「館長、ありがとうございました。もう来ない様に気をつけます。」
1週間を使って、何度も何度も繰り返し動作を反復した。
いつも思うが、この出所の時点では自信に満ち溢れており、
もう違反せずに過ごしていける気がする。
「ゆっくりと、焦らず過ごしなさい。頑張ってね。」
館長は優しく俺に微笑んだ。
自宅へ帰る途中、ピピ、と携帯型司法端末がアラームを出した。
【右折時、左足から前進。違反点数1点】
「あー!しまった!」
今日の夕飯の献立を考えながら進んでいた俺は、
またしても違反を犯してしまった。
トレーニングを終えてから、ものの数分で既に違反を犯している。
「何で皆が普通に出来る事が、俺には出来ないんだ…。」
残り29点。
俺は絶対に違反するものかと、気合を入れて家に歩き出した。
世界線越境は突如として起きた。
歩いている中、俺の目がチカチカと少し光った。
その時体がぐにゃり、と反転する感覚がした。
「あ、やばい。」
次に目を覚ました時、目の前にあったのは
規制線のない歩道、制服を着ていない様々な格好の人々。
その光景を目にし、自分が世界線の越境をした可能性が高い事を知る。
俺たちが住む世界線ではAUPDもORAXの事も誰もが知っている。
だからと言って世界線に越境する事なんて、ほぼ無いのだが、
知識として世界線の歪みに入った瞬間、目の前が反転する感覚があると聞いている。
越境してしまった自分は戸惑った。
AUPDが助けに来てくれないと、オリジナルラインに戻れない。
そしてもしかしたら、ORAXに攫われる可能性もある。
「とりあえず、待つか…。」
暫くその場で待機したが、助けはまだ来なかった。
そんな中、目の前の人々を見て俺は心底羨ましく思う。
自分の好きな洋服を着れて、歩き方も走り方も立ち止まり方も、皆バラバラだ。
この世界線は俺の世界と違って、そんな規則すらない世界線なのだろう。
右足・左足、どちらから歩き出しても咎められない世界。
「…俺もここに生まれたかったなあ。」
そう呟いてから、足元を見ながら恐る恐る歩いてみた。
左足からも、右足からも。
元の世界線だったら、直ぐに30点を超える様な動作を何度も行った。
違反の警告アラームは鳴らないし、全て自分の意思で行う事が出来る。
楽しくなって途中から小走りもしてみたし、スキップもした。
誰も俺を捕まえない。
誰も俺を責めない。
「あ〜。これが、自由……か。」
近くにあったベンチに腰掛けると、見知らぬ女の子が横に座ってきた。
「お兄さん、さっき回転しながら歩いてたよね、すごいね!」
笑ったその子の顔に、法律の色はなかった。
ただの、普通の暮らし。
ただの、生きること。
「凄いでしょ!」
俺は満面の笑みで返した。
自由の風に身を委ねていたそのとき、
ついに、2人の男性が俺の前に現れた。
「こんにちは〜。AUPDです。保護しに来ました。」
その言葉に、俺は少しだけ唇を噛んだ。
「……ありがとうございます。」
意思とは遠い言葉だったが、俺は今トラベラーだ。
ORAXよりも先に来てくれたAUPDに感謝するしかない。
「俺はセイガ、こっちはアマギリ。
君にとってここは魅力的な世界線だと思うが、留まらせる事は出来ないよ。」
セイガさんが優しく諭した。
「わかってますよ。よろしくお願いします。」
俺は乾いた笑い声で言った。
「じゃあ今から、あなたがいた世界線に限りなく近い世界線へ移送します。」
アマギリさんは少し申し訳なさそうに視線を伏せた。
俺は少年の頃から「自由に歩く夢」をよく見ていた。
だがそのたびに、司法端末の無慈悲な通知がそれを砕く。
「…もうちょっと、あっちにいたかったなあ。」
気がつくとAUPDの2人はもういなかった。
見渡すと、いつもの光景に戻っている。
戻ってきた世界は、元いた場所と0.0001%しか違わない。
だがその“0.0001%”には、司法緩和も、自由の余地も存在しなかった。
俺は歩道に立ち、背筋を伸ばす。
「歩行開始前、呼吸を整え、右足から……」
だが俺は、一瞬だけ左足をわずかに上げ、微笑んだ。
「ま、自由ってのは……忘れなきゃ、心の中にある」
その瞬間、司法端末が小さく点滅した。
【注意:違反まで残り28点】
俺は今日も点数を抱えて生きる。
けれど、俺の歩き方はどこか、前よりもほんの少し軽やかになった気がした。
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